「ここに野球ができるヤツはいないのか?」“史上最弱軍団”メッツを盛り上げたユーモアあふれる老監督<SLUGGER>
2023年06月07日 16時30分THE DIGEST

ヤンキースを7度世界一に導いた名将ステンゲル。メッツでは“道化師”としてチームを盛り上げた。(C)Getty Images
61年ぶりに“大記録”が達成されるかもしれない。現地6月6日時点で、アスレティックスは63試合を消化して13勝50敗。勝率は.206で、このペースだと年間129敗を喫する計算になる。1962年、結成初年度のメッツが喫した120敗(40勝)が近代メジャーワースト記録であり、その不名誉なレコードを更新する勢いなのだ。
同年のメッツは開幕から9連敗、5月から6月にかけて17連敗。連勝は3試合が2度あっただけで、首位のジャイアンツには60.5ゲーム、9位(10球団中)のカブスにすら18ゲーム差をつけられた。
58年にジャイアンツとドジャースが西海岸へ同時に移転し、ナ・リーグからニューヨークを本拠とする球団が消滅。メッツはその代わりの新球団として設立された。選手もかつてドジャースの主砲だったギル・ホッジスをはじめニューヨークに縁のある者を集めたが、ほとんどが峠を越したベテラン。年の若い選手は他球団から供出された余りものとあっては、負けが込んで当然だった。2005年に結成された楽天が、近鉄を吸収した形のオリックスから不要とされた選手ばかりで97敗したのと、同じような状況だったのだ。
初代監督もニューヨーク関連で、ヤンキースを7度の世界一へ導いたケイシー・ステンゲル。この名将はメッツの指揮官にうってつけだった。弱いチームを強化したからではない。抜群のユーモアセンスの持ち主で、負けが続く日々でも気の利いたコメントで報道陣にネタを提供し、ファンを楽しませたからだ。 キャンプ初日からいきなり「ここに野球ができるヤツはいないのか?」と言い放ったステンゲルにとって、メッツの選手の質の低さは格好のネタだった。
「ウチには3人捕手がいる。一人は、肩は強いが捕球が下手。一人は、捕球は上手いが肩が弱い。もう一人はどっちもダメだ」「レッズの選手はみな(高級木材の)マホガニー。ウチはどいつもこいつも流木」。年末に「球界最高のセールスマン」に選ばれた際の感想は「おかしいな。ウチの選手を他球団に売ろうとしても、誰も買ってくれないのに」だった。
こうした談話は意図的にウケを狙ったものだが、彼自身もかなりのボケだった。投手のボブ・L・ミラーとチームアナウンサーのリンジー・ネルソンの名前を逆に覚えていて、選手の名もしばしば失念した。もっともそれは、しっかり覚えてもらえるような選手が少なかったからかもしれない。控え内野手のロッド・ケイネルは「ロクなピッチャーがいなかった。ロジャー・クレイグはリリーフとしては最高だったけど、彼を先発で使わなけりゃならなかったんだ」と回想している。
そのクレイグの成績は10勝24敗。他にもアル・ジャクソンが8勝20敗、ジェイ・フックが8勝19敗、クレイグ・アンダーソンが3勝17敗。ステンゲルが「ネルソン」だと思い込んでいたミラーは1勝12敗だった。 とはいえ投手だけの責任ではない。守備陣も210個ものエラーを犯し、非自責点が147失点もあったのだ。とりわけ酷かったのが、一塁手ながら97試合で17失策したマーブ・スローンベリー。他の選手がエラーをすると、スローンベリーは「俺の専売特許を奪わないでくれ」と文句をつけたという。閉幕後にスローンベリーがメディアから「グッドガイ賞」に選ばれた際には、ステンゲルはこのように発言した。「その賞は郵送した方がいい。手渡しだとあいつは必ず落とす」
こんな珍事も発生した。センターのリッチー・アッシュバーンがフライを追いかけ「俺が捕る」と叫んだにもかかわらず、ショートのエリオ・チャコンと激突した。ベネズエラ出身のチャコンは英語がわからなかったからだ。そこでアッシュバーンは、次に同じような打球が飛んだ時はスペイン語で叫んだ。そして、スペイン語を知らないレフトのフランク・トーマスと激突した。「長いことこの世界にいるが、まだ新しい負け方を見つけるとは思わなかった」。ステンゲルが嘆息したコメディ映画顔負けのチームは、翌63年も111敗、64年も109敗。68年までの7年間は毎年9位以下だった。しかし69年、若手が急成長してリーグ優勝を遂げたのみならず、一気にワールドシリーズまで制覇。初年度の惨状も、メッツファンにとっては笑い話に変わった。
一方のアスレティックスは、2025年からラスベガスへ移転することが内定している。今年のチームを懐かしい思い出として振り返る機会は、オークランドのファンには残されていない。せめてステンゲルのように、どんな状況でも笑いに変えてくれる監督でもいればよかったのだが……。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
同年のメッツは開幕から9連敗、5月から6月にかけて17連敗。連勝は3試合が2度あっただけで、首位のジャイアンツには60.5ゲーム、9位(10球団中)のカブスにすら18ゲーム差をつけられた。
58年にジャイアンツとドジャースが西海岸へ同時に移転し、ナ・リーグからニューヨークを本拠とする球団が消滅。メッツはその代わりの新球団として設立された。選手もかつてドジャースの主砲だったギル・ホッジスをはじめニューヨークに縁のある者を集めたが、ほとんどが峠を越したベテラン。年の若い選手は他球団から供出された余りものとあっては、負けが込んで当然だった。2005年に結成された楽天が、近鉄を吸収した形のオリックスから不要とされた選手ばかりで97敗したのと、同じような状況だったのだ。
初代監督もニューヨーク関連で、ヤンキースを7度の世界一へ導いたケイシー・ステンゲル。この名将はメッツの指揮官にうってつけだった。弱いチームを強化したからではない。抜群のユーモアセンスの持ち主で、負けが続く日々でも気の利いたコメントで報道陣にネタを提供し、ファンを楽しませたからだ。 キャンプ初日からいきなり「ここに野球ができるヤツはいないのか?」と言い放ったステンゲルにとって、メッツの選手の質の低さは格好のネタだった。
「ウチには3人捕手がいる。一人は、肩は強いが捕球が下手。一人は、捕球は上手いが肩が弱い。もう一人はどっちもダメだ」「レッズの選手はみな(高級木材の)マホガニー。ウチはどいつもこいつも流木」。年末に「球界最高のセールスマン」に選ばれた際の感想は「おかしいな。ウチの選手を他球団に売ろうとしても、誰も買ってくれないのに」だった。
こうした談話は意図的にウケを狙ったものだが、彼自身もかなりのボケだった。投手のボブ・L・ミラーとチームアナウンサーのリンジー・ネルソンの名前を逆に覚えていて、選手の名もしばしば失念した。もっともそれは、しっかり覚えてもらえるような選手が少なかったからかもしれない。控え内野手のロッド・ケイネルは「ロクなピッチャーがいなかった。ロジャー・クレイグはリリーフとしては最高だったけど、彼を先発で使わなけりゃならなかったんだ」と回想している。
そのクレイグの成績は10勝24敗。他にもアル・ジャクソンが8勝20敗、ジェイ・フックが8勝19敗、クレイグ・アンダーソンが3勝17敗。ステンゲルが「ネルソン」だと思い込んでいたミラーは1勝12敗だった。 とはいえ投手だけの責任ではない。守備陣も210個ものエラーを犯し、非自責点が147失点もあったのだ。とりわけ酷かったのが、一塁手ながら97試合で17失策したマーブ・スローンベリー。他の選手がエラーをすると、スローンベリーは「俺の専売特許を奪わないでくれ」と文句をつけたという。閉幕後にスローンベリーがメディアから「グッドガイ賞」に選ばれた際には、ステンゲルはこのように発言した。「その賞は郵送した方がいい。手渡しだとあいつは必ず落とす」
こんな珍事も発生した。センターのリッチー・アッシュバーンがフライを追いかけ「俺が捕る」と叫んだにもかかわらず、ショートのエリオ・チャコンと激突した。ベネズエラ出身のチャコンは英語がわからなかったからだ。そこでアッシュバーンは、次に同じような打球が飛んだ時はスペイン語で叫んだ。そして、スペイン語を知らないレフトのフランク・トーマスと激突した。「長いことこの世界にいるが、まだ新しい負け方を見つけるとは思わなかった」。ステンゲルが嘆息したコメディ映画顔負けのチームは、翌63年も111敗、64年も109敗。68年までの7年間は毎年9位以下だった。しかし69年、若手が急成長してリーグ優勝を遂げたのみならず、一気にワールドシリーズまで制覇。初年度の惨状も、メッツファンにとっては笑い話に変わった。
一方のアスレティックスは、2025年からラスベガスへ移転することが内定している。今年のチームを懐かしい思い出として振り返る機会は、オークランドのファンには残されていない。せめてステンゲルのように、どんな状況でも笑いに変えてくれる監督でもいればよかったのだが……。
文●出野哲也
【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『メジャー・リーグ球団史』『プロ野球ドラフト総検証1965-』(いずれも言視舎)。
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