新型コロナウィルスで開幕延期のMLB。このままだとシーズン短縮もあり得るのか? 過去にあった例は?

新型コロナウィルスで開幕延期のMLB。このままだとシーズン短縮もあり得るのか? 過去にあった例は?

94〜95年にもストでシーズンが短縮され、MLB人気は急落。だが、野茂の快投で球場にファンが戻ってきた。(C)Getty Images

3月26日に予定されていたメジャーの開幕は、新型コロナウイルスのパンデミック(大流行)により、延期を余儀なくされている。いつ開幕を迎えることができるかはまだわかっておらず、延期が長引けば、シーズンが短縮される可能性もある。

 過去にも、シーズンの短縮は何度か起きている。第一次世界大戦中の1918年は、予定よりも1ヵ月近く早く、9月2日にシーズンが打ち切られた。そのため、1チームにつき154試合が組まれていたが、多いチームでも131試合、少ないチームは123試合にとどまった。戦争だけでなく、スペイン風邪の影響もあったようだ。ただ、ワールドシリーズは中止されずに9月5日から開催され、レッドソックスが4勝2敗でカブスを下して世界一に。余談ながらこの1年後、レッドソックスはベーブ・ルースをヤンキースへ放出。そこからチームは長くワールドシリーズ優勝を果たせず、放出されたルースのニックネームにちなんで”バンビーノの呪い”と称されたのは有名な話だ。
  現在のような162試合制となってからのシーズン短縮は4度ある。いずれも、選手会によるストライキが原因だった。72年には選手会とオーナー側の間で年金基金や健康保険に関する交渉がもつれ、史上初のストライキに突入。最初の10日間に予定されていた試合がキャンセルされ、153〜156試合のシーズンとなった。

 2度目の81年は、5年前に導入されたばかりのFA制度の形骸化を目論む経営陣に対して選手会が反発。開幕こそ予定どおりに迎えたものの、6月12日から2ヵ月近くストライキによる中断が発生。その期間を挟んで前後期制のシーズンとなった。ナ・リーグのカーディナルス(東地区)とレッズ(西地区)は、トータルでは地区最高の勝率を記録したものの、前期も後期も2位に終わり、地区シリーズへは進むことができなかった。
  3度目と4度目は、サラリーキャップ制導入を巡って対立が長期化。ストライキが年をまたぎ、94年と95年のシーズンが続けて短縮された。94年は8月11日の試合を最後に打ち切られ、112〜117試合になったのに加え、ポストシーズンも開催されなかった。ちなみに、ポストシーズンがなかったのは、前年に続いて2度目のワールドシリーズが行われるはずだった1904年と、この94年だけだ。1904年はナ・リーグを制したジャイアンツのジョン・マグロー監督(とオーナーのジョン・ブラッシュ)が、ア・リーグ優勝チーム(アメリカンズ=現レッドソックス)との対戦を拒否した。

 続いて、95年は144試合制のシーズンとして4月25日に幕を開けた。その前には、オーナー側が選手会に属していないマイナーリーガーらの“代替選手”で開幕する案を検討。オリオールズのカル・リプケンは、ルー・ゲーリッグの2130試合連続出場まで121試合に迫っており、ボルティモア市議会はそれを途切れさせないよう、代替選手による試合をオリオールズの本拠地で行った場合、メジャーリーグ機構に罰金を科す“リプケン法案”を成立させた。
  このストライキによって、MLBの人気は急落。その人気を取り戻す一因となったのが野茂英雄(当時ドジャース)だ。一風変わったトルネード投法を武器に、並みいるメジャーリーガーを三振に切って取るこの日本人投手にファンは熱狂。オールスターにも選出され、日本人史上初の先発投手も務めた。続く98年のマーク・マグワイア(当時カーディナルス)とサミー・ソーサ(当時カブス)によるホームラン対決の熱狂が起こるまで、野茂はMLB人気を支えた一人だった。

文●宇根夏樹

【著者プロフィール】
うね・なつき/1968年生まれ。三重県出身。『スラッガー』元編集長。現在はフリーライターとして『スラッガー』やYahoo! 個人ニュースなどに寄稿。著書に『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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