「一生忘れることのできない日」に始まり「死んでもいいと思う瞬間」を迎えるまで【イチローの軌跡をたどる「51」の言葉:モーメント編 Vol.1】

「一生忘れることのできない日」に始まり「死んでもいいと思う瞬間」を迎えるまで【イチローの軌跡をたどる「51」の言葉:モーメント編 Vol.1】

昨年3月21日、東京ドームでの試合を終えて日本のファンに別れを告げた。(C)Getty Images

鳴りやまない歓声に包まれて、悔恨の念は払拭されたと胸中を語った。2019年3月21日、東京ドームで開催されたメジャーリーグ開幕シリーズの2試合目を最後にイチローが現役を退く意向を表明して1年が経つ。グラウンドでのプレーだけではなく、印象的な言葉でも野球の魅力を表現し、ファンの記憶に刻み続けた。海を渡ってからメジャー19年間で語られた言葉を振り返ろう。

「想像していた以上でした。間違いなく一生忘れることのできない日。そして最も特別な日になるでしょう」
(2001年4月2日/メジャーデビュー戦で第4打席に初ヒットを放つ)

「こうやってクールを装ってはいますけど、自分の中ではすごくうれしいです」
(2002年9月22日/2年続けてシーズン200安打をマークして)
 「重圧や怒りから、吐き気がしたり息が苦しくなったりすることはこれまでにはなかった経験」
(2003年9月20日/これまでに経験したことのない苦しみを経験しながらシーズン200安打に到達して「いかにタフなことか」)

「小さなことを多く重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道なんだと感じてます」
(2004年10月1日/シーズン最多安打記録を更新して、継続の重要性を確信)

「夢にも出て、キレそうになったこともある」
(2005年9月30日/記録が近付くと増す「逃げることはできない」プレッシャーに立ち向かい、5年連続でシーズン200安打を達成)

「今年できたら、来年はできなくてもいい。毎年、そう思いながらやっています」(2006年9月16日/6年連続で記録したシーズン200安打への想いを語る)

「平均年俸が500万円だとしたら、弥生時代からプレーしないと出せない数字ですよね」(2007年7月13日/ファンからの残留を望む声にマリナーズ残留を決断し、5年9000万ドルで延長契約を締結)

「僕以外の人を納得させる数字」
(2007年9月3日/7年連続でシーズン200安打を達成して「日本でしたことをこちらでもやらないと、人は納得しない」)
 「ずっと恐怖との戦いだった」
(2008年9月17日/8年連続でシーズン200安打を達成して「できないかもしれない」恐怖との戦いだったと胸中を語る)

「解放されました。人との戦い、争いに終わりを迎えることができた」
(2009年9月13日/シーズン200安打をメジャー最長記録となる9年まで伸ばしても「見えた景色なんてない」)

「チームメイトが皆、祝福してくれて。喜んでいいんだなって思いましたね」
(2010年9月23日/10年連続シーズン200安打の快挙にも、個人的な目標を批判された「トラウマ」を思い出して)

「なぜか晴れやかですね」
(2011年9月28日/シーズン200安打を逃しながら記録に区切りがついて「続けることに追われることがなくなった」)
 「環境を変えて刺激を求めたいという、強い思いが芽生えてきました。できるだけ早くチームを去ることが、チームにとっても自分にとっても良いのではないかという決断に至りました」
(2012年7月23日/ヤンキースへのトレード移籍が決まり、会見で心中を語る)

「4000のヒットを打つには、僕の数字で言うと8000回以上は悔しい思いをしている。その悔しさと常に、向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかと思います」
(2013年8月21日/日米で放った安打が通算4000本に達して)

「2度とピッチャーの悪口は言わないって誓いました」
(2015年10月4日/プロで投手デビューを果たし、1回1失点で最速89マイルを計測)

「僕以外の人たちが喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事と再認識した瞬間でした」
(2016年8月7日/メジャー通算3000安打を達成して「この先は感情を少しだけ見せられたら」)

「あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません」
(2019年3月21日/プロ最後の試合を終え、ファンからの「イチロー」コールに場内一周で応えた時間を「死んでもいいと思う瞬間」と表現)

文●藤原彬
ふじわら・あきら/1984年生まれ。『スラッガー』編集部に2014年から3年在籍し、現在はユーティリティとして編集・執筆・校正に携わる。
 

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