【氏原英明が選ぶセンバツ名勝負5選:前編】滋賀の無名公立校が“ジャイアントキリング”をやってのけた第80回記念大会

【氏原英明が選ぶセンバツ名勝負5選:前編】滋賀の無名公立校が“ジャイアントキリング”をやってのけた第80回記念大会

石川はその後、明治大、JX-ENEOSを経て現在は中日に在籍。昨年はウエスタン・リーグの首位打者に輝いた。(写真)朝日新聞社

「センバツ名勝負5選を選んでほしい」。そう執筆の依頼を受け、かつての名勝負を回想しながら脳裏に浮かんだのは、「名勝負」と謳われる試合には接戦が多いことはもちろん、「熱投」であることがほとんどだという事実だ。

 想起される試合は数多あるが、一人のジャーナリストとして思うのは、球児たちの将来を考えた時に、果たしてただの「名勝負」としていいのか、ということだ。熱戦を展開したことは事実だとしても、長期的な視点で見た時にやはり感動できない部分もある。

 2003年からセンバツの取材をしてきたが、その点を留意しながら、取材を通して見つめたセンバツ名勝負を時系列に沿って振り返ってみた。

●第76回大会(2004年)準々決勝 済美(愛媛)7−6東北(宮城)

 東北勢初の優勝を狙う東北はエースのダルビッシュ有(現シカゴ・カブス)を中心とした投手力を看板に、優勝候補の一角に挙げられていた。1回戦ではそのダルビッシュが熊本工を相手にノーヒッターを達成し、2回戦でも西の横綱・大阪桐蔭の強力打線を抑え込んだ。
  だが、この日の先発はダルビッシュではなく真壁賢守。前年夏の甲子園でもダルビッシュとともに大舞台に立ち、準優勝に貢献した右のサイドハンドだ。

 試合は1回表に東北が大沼尚平の3点本塁打で機先を制し、試合を優位に進めていた。中盤までに済美が2点を返すも、東北が6、8回に1点ずつを奪って6ー2とリード。済美はそれまでチームを支えてきた2年生エースの福井優也(現楽天)が8回で降板。いわば、東北の完勝ペースだった。

 しかし、9回にドラマは起きた。

 済美は先頭から2連打と内野ゴロの間に2点を返すと、2死から連打で一、二塁の好機を作りクリーンアップへとつなぐ。すると、3番・高橋勇丞が放った打球は左翼スタンドへ飛び込む起死回生のサヨナラ3ランとなったのだ。
  ダルビッシュがこの瞬間をレフトのポジションから見届けたのは有名な話だ。右肩の状態が万全ではなかったこともあるが、指揮官が優勝を目指した当然の投手起用が結果としては裏目に出た。

 ただ、このゲームを歴史的にも振り返りたくなるのは、この大会が「ダルビッシュのもの」にならなかったターニング・ポイントでもあったからだ。1回戦でノーヒッターを達成し、2回戦で大阪桐蔭を封じ込めた。ここで、2番手に相当の真壁が好投を見せれば、のちの戦いもやりやすくなっただろう。

 そんな思惑を済美が粉砕したことに、この試合の勝利の価値がある。しかも、試合の大勢は東北のペースで進んでいたのにもかかわらず、だ。この試合は事実上の決勝戦と言っても良かった。
 ●第77回大会(2005年)1回戦 東邦(愛知)1−0育英(兵庫)

 このゲームをチョイスしたことに驚いた人は少なくないだろう。のちに阪神に入団した若竹竜士(育英)、中日、日本ハムなどに在籍した木下達生(東邦)の投げ合い。結果は1−0で木下が勝利した。

 この試合は、組み合わせが決まった時点から「高校屈指の本格派投手同士の対戦」と注目が集まっていた。だが、大会序盤での好投手同士の対決というのは、予想に反する展開になることが珍しくない。12年の第84回大会では、大阪桐蔭の藤浪晋太郎(現阪神)と花巻東の大谷翔平(現ロサンゼルス・エンジェルス)の投げ合いが話題になったが、この時は大谷の調子が散々だった

 ところが、この試合は2人の投手が互いに前評判に違わぬ投球を見せた。
  立ち上がりが良かったのは若竹の方だった。140キロ代中盤のストレートでぐいぐい押しながら、大会出場校中、打率トップの東邦打線を寄せ付けなかった。一方の木下は変化球を駆使した慎重な立ち上がりだった。5回まで0−0で推移すると、2人の投げ合いは熾烈さを増した。

 両者ともにピンチは招くものの、そこから崩れない。まさに「エース対決」だった。

 試合の決着は10回裏、2死から四球で出た走者を一塁において、水野祐希(元ヤクルト)が右中間へ適時三塁打を放ち、試合は決した。若竹、木下ともプロでは目立った活躍を見せることがなかったため、この投げ合いがクローズアップされることは少ない。

 それでも、高校野球の中では貴重な「珠玉の投手戦」と呼べる、いつまでも見ていたいと思えた名勝負だった。
 ●第80回記念大会(2008年)2回戦 北大津(滋賀)6―2横浜(神奈川)

 普通の意味での「名勝負」とは少し毛色の違う試合だ。

 滋賀の無名の公立校が甲子園常連校で2年前の覇者でもある横浜に立ち向かった試合だ。両校のメンバーを並べてみても、その後の違いに愕然とする。それほどの開きがあった

 北大津は4番・石川駿(現中日)がその後も活躍したが、横浜はエースの土屋健二(元日本ハム)をはじめ、倉本寿彦(現DeNA)、筒香嘉智(現タンパベイ・レイズ)がいた。
  3−0となってからは、北大津の良さばかりが目立った。

 エースの河合は3種類のスライダーを駆使して横浜打線から凡打の山を築く。失投もあるのだが、スライダーの種類が多彩なため、打者が的を絞れない。今になって思えば、「スラッター」の使い手だったのかもしれない。

 打線も、6回に4番の石川が左翼スタンドにソロ本塁打。8回に1点を返されるも、龍田旬一郎のソロ本塁打で差を広げ、6ー2で勝利した。
  北大津の宮崎裕也監督(当時)は思い切った采配でも知られる。この試合も、左バッターの多い横浜打線に対して、当初、エースの河合ではなく公式戦登板のない左腕・龍田を先発する奇策も考えたほどだ。カウント3ボールになれば、自動的にエンドランという決め事を設けるなど、積極性を後押しする姿勢も目立った。

 王者・横浜に最後まで果敢に攻めての勝利。公立校でも強豪私学を倒せるお手本のような試合だった。
【後編へ続く】

取材・文●氏原英明(ベースボールジャーナリスト)

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。
 

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