「サイン盗み」は対岸の火事ではない! 高校野球で見え隠れする“勝利至上主義”の害悪

「サイン盗み」は対岸の火事ではない! 高校野球で見え隠れする“勝利至上主義”の害悪

昨年のセンバツ、星稜対習志野戦でも「サイン盗み」が話題になるなど、メジャーだけの問題に話はとどまらない。提供:朝日新聞社

海の向こうで、「サイン伝達」がまた騒ぎ始めている。

 先日、MLB機構は2018年の世界一チーム、ボストン・レッドソックスのサイン盗みについて処分を発表。彼らが行っていたとされるのは、特定の選手が二塁到達時に相手バッテリーのサインを打者に伝えていたというものだった。しかし、その前に処罰が下されたヒューストン・アストロズに比べて量刑は“緩く”、その刑の重さに対しての意見が分かれているのだ。

 どこまでが許されて、どこまでが許されないのか。

 セカンドランナーがキャッチャーのサインを見ることは避けられない。しかし、それを伝えるという行為がスポーツマンシップとして正しいかどうかは論じるべきでろう。

 件のニュースを眺めていると昨年、日本の高校野球でも話題になった「サイン伝達騒動」を思い出した。昨春のセンバツ、星稜高(石川県)と習志野高(千葉県)の試合後のインタビューで、星稜の林和成監督が習志野のサイン盗みを指摘。その後、相手校の控え室に怒鳴り込んで抗議したという騒動があった。

 結局、事実の裏付けはなくこの問題は沈静化したが、長く高校野球を取材していると、サイン伝達の疑いがあるチームはたくさんある。
  例えば、京都外大西高の監督を務めていた三原新二郎氏がある大会の試合後、延長戦の末0−1となった善戦の理由を尋ねられると、こう語ったものだった。「相手校はどこで誰が見ているか分からないから、1回から最後までバッテリーには異なるサインを出すように指示した。一回も同じサインは出させていないはず」。

 また、2013年の夏を制した前橋育英高は、遊撃手をセカンドランナーの前に立たせることで「サイン盗み封じ」を敢行。橋光成(現西武)の好投をアシストして頂点に立っている。荒井直樹監督は、この時のことをこう振り返っている。

「サイン伝達に関しては、自分たちはやりませんが、盗まれる方が悪いと考えています。だから、“試合で勝つためにはやらなければいけないこと”として対策を考えました。試合を進めていくと、審判から『走塁妨害だ』とも言われたのですが、そこでも引き下がらずに意見を言いました」

 高校野球でも、やはりサイン伝達が行われている可能性は高い。ただ、この問題が難しいのは、サイン伝達の証拠は、同じチーム内から告発でもない限り、発覚することはない。疑惑はあっても、それを事実と特定することが難しいのである。
  問題点ははっきりしている。お節介ついでに言わせてもらうと、なぜサイン伝達をしようと考えるのか、である。答えは簡単だ。「勝つための方法論」だからである。
 
 しかし、こと高校野球の舞台でそれを黙認できないのは、彼らが「育成年代」であるということである。

 サイン伝達により球種を知っていても、必ず打てるとは限らない。しかし、有意な立場に立てることは間違いない。

 高校球児は技術習得をしている発展途上の時期にある。短期的な“アドバンテージ”を得ても、将来的にはプラスとならいはずだ。結局のところ、サイン盗み・伝達を「勝つための戦術」と語るのは指導者のエゴであって、選手のことを考えたものではないのである。

 また、指導者が意図していなくても、選手たちにそうしむける環境を作っているケースも存在している。

 例えば、ある練習試合で「この試合に勝たなければ、帰って練習だ」などとノルマを設定する場合だ。指揮官は選手にハッパをかけるつもりで出した指示だが、そのプレッシャーを背追い込んだ選手たちは、「負けてはいけない」「負けると罰が待っている」などと“悪い”発想が派生していくことがある。
 「負けられない戦い」と謳うことがかえって選手を追い詰め、「勝つために何をしてもいい」という思考にまでつながってしまう。そこにはびこるのはやはり、「勝利至上主義」だ。

 スポーツは何のためにやるのか。

 そもそも、スポーツは、元々の語源からして「気晴らし」、「楽しいからやる」という意味合いが根本にあったはずだ。しかし、それがいつしか間違った方向へと舵を切り始めた。こうしてサイン盗みが話題になった今だからこそ、スポーツの素晴らしさをもう一度、再考すべき時ではないだろうか。

 スポーツの素晴らしさ――それは人類の挑戦だと思う。

 なぜ、大谷翔平の二刀流に、日米両国のファンが狂喜乱舞するのか。それは、誰もできないと思われたことを実現してしまうからだ。

 イチローの精神性やレーザービームに、なぜ感動するのか。「そんなことができるのか」と、その肉体を持って人類の可能性を引き上げてくれるからに他ならないだろう。

 サインが分かっていても、有意な立場で結果を残すことに醜さが垣間見えても、人類の限界を超えた可能性は見えてこない。

 どちらがすごいのか、どちらがスポーツの真の素晴らしさを伝えてくれるのか。

 答えは簡単ではないだろうか。

取材・文●氏原英明

【著者プロフィール】
うじはら・ひであき/1977年生まれ。日本のプロ・アマを取材するベースボールジャーナリスト。『スラッガー』をはじめ、数々のウェブ媒体などでも活躍を続ける。近著に『甲子園という病』(新潮社)、『メジャーをかなえた雄星ノート』(文藝春秋社)では監修を務めた。YouTube『氏原セニョールチャンネル』にて球界へのさまざまな提言も行っている。

関連記事(外部サイト)