【プロ野球?悲運の天才”ランキング:10位〜6位】?史上最速”と謳われた2人の豪腕、特大本塁打を連発した?怪童”

【プロ野球?悲運の天才”ランキング:10位〜6位】?史上最速”と謳われた2人の豪腕、特大本塁打を連発した?怪童”

与田(右)がクローザーとして活躍したのは、高木守道監督(左)時代の92年が最後。以降は右ヒジの故障に泣いた。写真:産経新聞社

プロ野球の歴史の中には、豊富な才能を持ちながらも、故障によってそれを十全に発揮することができなかった選手たちがいる。ここでは、そんな怪我がなければもっと大成したであろう”悲運の天才”たちを、故障する前の成績や、周囲の期待度などを基にランキング形式で紹介。今回は10位から6位までをお送りする。

▼10位 石本貴昭(元近鉄ほか)
 今でこそリリーフは1イニング限定が主流だが、1980年代ごろまではイニングまたぎでフル回転するリリーバーも珍しくなかった。85年に頭角を現した石本もその一人で、この年は70試合に登板し、すべてリリーフで131.1回を投げて規定投球回に到達。さらにリーグ2位の19勝(!)を挙げている。86年もリーグ最多の64試合に登板し、32セーブでタイトルも獲得。2年連続で100イニングをクリアした。

 だが、この2年の酷使がたたって翌年以降は速球のスピードが落ち、成績も低迷。結局最後まで球威は取り戻せず、92年限りで引退した。
 ▼9位 中里篤史(元中日ほか)
 今春のキャンプで佐々木朗希(ロッテ)の投球を見て、中日の山井大介は「中里の投球を思い出した」と語った。2000年にドラフト1位で中日に入団した中里は、150キロの浮き上がるようなストレートを武器に、1年目からウエスタン・リーグ3位タイの7勝と活躍。9月の一軍デビュー戦では、松井秀喜や高橋由伸らが並ぶ巨人打線を相手に5回1失点と好投した。

 だが、2年目のキャンプ中に宿舎の階段で転倒しかけ、とっさに手すりをつかんだことで右肩を故障。その後2年はリハビリのため全休し、結局ブレイクできないまま11年に引退。通算11年で34登板にとどまった。

▼8位 山口高志(元阪急)
 75年のルーキーイヤーから先発にリリーフにフル回転し、リーグ優勝に貢献して新人王を受賞。全身を使うダイナミックなフォームから史上最速とも言われる剛速球を投げ込み、日本シリーズで対戦した広島の打者からは「速すぎて球が見えない」とすら言われた。

 自ら「自分は80%じゃ投げられない」と語るほど常に全力投球だったが、その反動か77年終盤に腰を痛めてしまう。さらにはアキレス腱痛や突き指などにも悩まされ、剛速球はすっかり影を潜めてしまった。現役生活わずか8年で引退、第一線で活躍したのは4シーズンとまさに「太く短く」を地でいくキャリアだった。
 ▼7位 与田剛(元中日ほか)
 90年の開幕戦、プロ初登板でいきなり152キロを叩き出し、その豪腕ぶりを強烈に印象付けると、6月13日の広島戦では、当時の史上最速となる157キロを計時した。この年は現在もルーキー記録となる31セーブを挙げてタイトルを獲得し、新人王も受賞。一躍スターダムにのし上がった。

 だが、剛速球の代償として、慢性的な右ヒジ痛に悩まされるようになる。23セーブを挙げた3年目の92年を最後に登板数が急激に減少。それでも現役続行にこだわり続け、ロッテ、日本ハム、阪神と渡り歩いたが、デビュー当時の輝きは取り戻せなかった。
 ▼6位 中西太(元西鉄)
 昨年、ヤクルトの村上宗隆が36本塁打を放って高卒2年目以内での最多記録に並んだが、それまでこの記録を持っていたのが中西だった。記録を樹立した53年にはホームラン王のタイトルも獲得。推定飛距離162メートルといわれる超特大本塁打を放つなど、"怪童"の名を欲しいままにした。余談ながら、この年は史上3人目の"トリプルスリー"も達成している。

 58年までに5度の本塁打王を獲得したが、常人離れしたスウィングには代償も大きく、60年ごろから慢性的な手首の腱鞘炎に悩まされるようになった。通算244本塁打のうち実に190本が26歳までに稼いだもの。もし怪我さえなければ、500本も夢ではなかったはずだ。

文●筒居一孝(スラッガー編集部)

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