【2010年代通信簿:中日】球団史上最高の黄金期の後に訪れた球団史上最悪の低迷期

【2010年代通信簿:中日】球団史上最高の黄金期の後に訪れた球団史上最悪の低迷期

指揮を執った8年間すべてAクラス、リーグ優勝4回と監督としてはプロ野球史上に残る実績を残した落合氏だが……。写真:朝日新聞社

2020年、新たな年代が幕を開ける。ここで改めて、各チームの過去10年間の戦績を通信簿形式で評価してみたい(通信簿は「よくできました」「まずまずです」「可もなし不可もなし」「がんばりましょう」の4段階)。今回は振れ幅の激しい10年間を送った中日の軌跡を振り返る。

■2010年代通算成績
670勝713敗52分(勝率.484)/セ・リーグ4位(12球団7位)
日本一:0回 リーグ優勝:2回 CS進出:3回

通信簿:がんばりましょう

 ドラゴンズの10年代は、いい意味でも悪い意味でも落合博満の影響を色濃く反映するものとなった。04年から監督に就任した落合は、07年に53年ぶりの日本一を達成するなど球団史上最高の黄金期をもたらし、10年代も最初の2年間にリーグ連覇を果たしたものの、11年限りで退任。高木守道監督が就任した12年は前政権の遺産で日本シリーズまで1勝と迫ったが、翌年以降、チームはそれまでの栄光の日々が嘘のような低迷期を迎える。
  13年オフ、12年ぶりのBクラス転落を受けて高木監督が辞任すると、落合が今度はGMとしてチームに復帰。選手兼監督となった谷繁元信をサポートするという名目で強大な権限を与えられた。だが、「GM・落合」は「監督・落合」とは対照的に成功を収めることはできなかった。

 就任早々、落合GMは球団上層部の意向を受けて大幅なコストカットに着手。一気に8億円近くも総年俸を削減した。だが、井端弘和、荒木雅博、岩瀬仁紀、森野将彦、和田一浩、谷繁ら黄金期を支えたベテランが衰えを見せる中での予算削減は、そのまま戦力低下に直結した。

 おそらく落合GMはコストカット分の戦力をドラフトで埋めようと考えたのだろう、13〜14年のドラフトでは計15人を指名(育成を除く)し、そのうち高校生は1人だけという徹底した「即戦力ドラフト」を展開したが、これが結果的には大失敗だった。14年1位指名の野村亮介はわずか3年で戦力外となり、他の選手も大半は期待通りには成長しなかった。
  さらに、高校生の指名を怠ったことで戦力の空洞化が生じてしまった。ただでさえ新旧交代が遅れていた状況下での即戦力ドラフト敢行と失敗は、その後もチームに長期的な悪影響を及ぼすこととなった。11年ドラフトで3球団競合の末に獲得した高橋周平の育成方針も行き当たりばったりで、主力に成長するまでに時間を要した。投手有利のナゴヤドームへの対応を意識するあまり強打者タイプを獲得しなかったことも、選手の小粒化につながった。

 投手コーチ、監督、シニアディレクターとしてチームを支え続けた森繁和は独自に開発した中南米ルートでルナやビシエド、アルモンテなど優良助っ人を次々に獲得したが、それでもチーム成績向上につながらなかったのは、肝心の日本人選手から主力が育たなかったからだ。就任会見で「この船は一度沈没しちゃったんだ」と語った落合GMだったが、自らの力で再浮上させることはできず、16年終了後に退任。その後も低迷は続き、7年連続Bクラスと球団ワースト記録を更新しながら現在に至る。
  落合GM退任以降、球団はドラフトでの方針を一大転換した。Bクラスが続く現状を見れば即戦力補強に動きたい思いもあるはずだが、そんな中でもポテンシャルの高い素材型選手を数多く指名。根尾昂、石川昂弥と甲子園で活躍したスターも加わり、数年前とは打って変わって若手有望株の宝庫となりつつある。

 与田剛監督が就任した昨季は、結果は5位だったもののシーズン終盤までCS争いを展開。20年代を迎え、チームを取り巻く雰囲気は確実に明るくなっている。球団史上最高の黄金期の後に訪れた球団史上最悪の低迷期。長い長いトンネルの出口がようやく見えてきた。

文●久保田市郎(SLUGGER編集長)

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