【2010年代通信簿:阪神】ベテランと助っ人が存在感を発揮した一方で若手が思うように伸びず

【2010年代通信簿:阪神】ベテランと助っ人が存在感を発揮した一方で若手が思うように伸びず

藤川をはじめベテランの奮闘が目立った10年代の阪神だが、若手の成長という点では課題が残った。写真:朝日新聞社

2020年、新たな年代が幕を開ける。ここで改めて、各チームの過去10年間の戦績を通信簿形式で評価してみたい(通信簿は「よくできました」「まずまずです」「可もなし不可もなし」「がんばりましょう」の4段階)。今回は常に熱狂的なファンの支えられる阪神の10年代を振り返る。

■2010年代通算成績
692勝698敗45分(勝率.498)/セ・リーグ3位(12球団6位)
日本一:0回 リーグ優勝:0回 CS進出6回

通信簿:可もなし不可もなし

 10年間で2位が4度、クライマックスシリーズ進出6度はセ・リーグでは巨人に次ぐ多さで、14年には日本シリーズに出場した。だが、10年間の通算では勝率5割を下回るなど、物足りなさも残った。

 10年代を振り返ると、常にチームの中心にいたのが、実力と経験を備えたベテランと助っ人たちだ。ベテランは生え抜きの鳥谷敬や能見篤史、メジャー移籍を挟んで戻ってきた藤川球児に加え、補強で獲得した選手も多かった。00年代から在籍する金本知憲や新井貴浩に、城島健司や福留孝介、西岡剛らメジャー復帰組、17年から加入した糸井嘉男もチームをけん引した。

 助っ人外国人では、10年間にわたって在籍し、通算98勝を挙げたメッセンジャーを筆頭に、マートンやドリス、呉昇桓、ゴメスが投打でタイトルを獲得する活躍を見せた。


 一方、ベテランと外国人への依存が、次代を担うべき若手にとっての障壁にもなった。彼らと並び立つような選手が台頭しなかったことが、一度もリーグ優勝に届かなかった最大の要因と言っても過言ではない。金本や鳥谷が衰えても連続出場記録を伸ばし続けた陰で、20代のうちに不動のレギュラーと呼べる存在になったのは梅野隆太郎だけだった。

 特に苦心したのが打線の中軸を担う強打者の育成。16年に新人王を獲得した高山俊、17年に10年代唯一の生え抜き20本塁打をクリアした中谷将大は活躍が続かず、16年ドラフト1位の大山悠輔もまだ本格開花に至っていない。 中軸打者の育成にはただでさえ時間がかかる上、ホームランが出にくい甲子園を本拠地にしているだけに、より一層の忍耐が必要とされる。だが、熱狂的なファンやOB、マスコミを含めて周囲からの重圧もあり、なかなか我慢強い起用ができていないのも事実だ。

 藤浪晋太郎にも同じことが言える。12年のドラフトで4球団競合の末に引き当て、高卒1年目から3年連続2ケタ勝利を挙げた豪腕は、ここ3年間は制球難に苦しみ続けている。彼の場合も、一挙手一投足が大きく注目される中で浮上のきっかけをつかみづらい状況に置かれている。

「超変革」を掲げて16年から指揮を執った金本監督も、我慢強く若手を起用しながらも勝利との両立を迫られ、18年に17年ぶりの最下位に転落すると責任を取って2年の契約を残して辞任した。 後任として現在チームを率いる矢野燿大監督は二軍監督からの昇格で、球団が若手育成の重要性を理解していることは伺える。昨年のドラフトでは1位から5位まで全員高校生を指名した。

 だが、人気チームの宿命で、周囲からは常に勝利を期待される。どちらも中途半端になれば、金本監督時代の3年間と同じ轍を踏むことになる。近視眼的に結果だけを追い求めるのではなく、戦力がピークに達する時期をにらみながら辛抱して若手を育てることが必要になってくるだろう。

文●藤原彬

著者プロフィール
ふじわら・あきら/1984年生まれ。『スラッガー』編集部に2014年から3年在籍し、現在はユーティリティとして編集・執筆・校正に携わる。

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