【2010年代通信簿:日本ハム】大谷の二刀流育成プロジェクトを成功させ、16年に日本一を達成

【2010年代通信簿:日本ハム】大谷の二刀流育成プロジェクトを成功させ、16年に日本一を達成

16年リーグ優勝の瞬間。当初は反対意見が多かった大谷の二刀流だが、日本ハムは見事に成功させた。(写真)朝日新聞社

2020年、新たな年代が幕を開ける。ここで改めて、各チームの過去10年間の戦績を通信簿形式で評価してみたい。今回は球界を代表する超大物選手を続々と輩出する日本ハムを取り上げる。

■2010年代通算成績
722勝674敗39分(勝率.517)/パ・リーグ3位(12球団4位)
日本一:1回 リーグ優勝:2回 CS進出:6回

通信簿:よくできました

 10年代は1位から6位まですべての順位を経験。さらに日本一にまでなっているのは、12球団唯一である。

 ドラフトを抜きにして、ファイターズを語ることはできない。10年は4球団の抽選に勝って早稲田大の人気者・斎藤佑樹を獲得。11年は巨人志望の菅野智之(東海大)にアタックしたがあえなく入団拒否となった。翌12年は、強硬にメジャー志望を打ち出していた大谷翔平(花巻東高)を敢然と単独指名。投打二刀流という、奇想天外な育成プランを提示して入団にこぎつけた。さらに17年も、高校生では史上最多タイとなる7球団による抽選で清宮幸太郎(早稲田実業)を手に入れた。ミーハードラフトとの声もあるが、その年に最高と評価した選手を、競合を恐れず指名しているからこその結果である。
 こうした方針に手応えを得たのは、05年に単独指名したダルビッシュ有が球団史上最高の投手に成長したから。抽選に外れる(もしくは拒否される)リスクより、当たった時のリターンの方が大きいと確信できたのだ。11年まで5年連続防御率1点台と大活躍したダルビッシュは、12年にメジャーへ移籍。この年から就任した栗山英樹監督には指導者経験もないとあって苦戦が予想されたが、吉川光夫が14勝、リーグ1位の防御率1.71と急成長してMVPに輝くなど、3年ぶりのリーグ優勝を果たした。

 そして同年のドラフトで前述の通り大谷を指名。糸井嘉男と田中賢介が抜けた13年は一気に最下位へ転落、パ・リーグ史上初の珍事で「大谷の起用法が混乱を招いたせい」とも指摘された。しかし14年、大谷は投手として11勝、打者では10本塁打で史上初の「10勝&10本塁打」を達成し、二刀流が間違いでなかったことを早くも証明。15年は打撃不振だったが、投手としては15勝、防御率2.24の2部門でタイトルを獲得した。 そして16年は投手として10勝、防御率1.86、打者として打率.322、22本塁打。投手と指名打者の2ポジションで同一年にベストナインを受賞し、MVPに選出された。「1番・投手で先頭打者本塁打」「優勝決定試合で15奪三振1安打完封」といった伝説的パフォーマンスの総仕上げは、日本シリーズ進出を決めたCS第5戦での「日本史上最速の165キロ」だった。

 大谷の成功は彼自身の努力に加え、栗山監督がぶれることなく初志貫徹したからこそ成し遂げられた。15年に入団したレアードは、当初不振だったのを辛抱して使い続けた結果、16年はリーグ最多の39本塁打。16年の前半戦に抑えで失敗を繰り返した増井浩俊を、シーズン途中から先発へ回したのも的中するなど、この時期の栗山采配は冴えまくっていた。 日本シリーズでも第3戦で大谷がサヨナラヒット、第5戦は西川遥輝がサヨナラ満塁本塁打、そして第6戦は投手のブランドン・バースのタイムリーヒットにレアードのダメ押し満塁弾と、劇的なシーンの連続で10年ぶりの日本一。17年を最後に大谷はメジャーへ活躍の場を移したが、これ以上ないほど濃厚な5年間だった。

 大谷をはじめ、西川に近藤健介、中島卓也、上沢直之といった高卒選手たちを着実に戦力としていたのが日本ハムの強みだった。ここ数年はその育成力に陰りも見られるが、二刀流だけでなくアマチュア球界の人材を積極的に招き入れたり、19年はショートスターターなどの新機軸を取り入れたりと、常識に挑戦し続ける姿勢は変わらない。23年完成予定の新球場へ移転する前に、札幌ドームでもう一度胴上げが見られるだろうか。

文●出野哲也

【著者プロフィール】
いでの・てつや。1970年生まれ。『スラッガー』で「ダークサイドMLB――“裏歴史の主人公たち”」を連載中。NBA専門誌『ダンクシュート』にも寄稿。著書に『プロ野球 埋もれたMVPを発掘する本』『メジャー・リーグ球団史』(いずれも言視舎)。

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