張本が3000本安打を達成した球団は? バッキー、宇野勝…あまり知られていない有名選手の意外な在籍球団

張本が3000本安打を達成した球団は? バッキー、宇野勝…あまり知られていない有名選手の意外な在籍球団

張本が3000本安打を記録したのはロッテ。阪急の守護神・山口高志からの一発での達成だった。写真:産経新聞社

一つクイズを出そう。

「張本勲が通算3000本安打を達成した時に所属していた球団はどこか?」

 17年間在籍した東映でも、王貞治とOH砲を形成した巨人でもなく、答えはロッテである。1979年オフ、張本は金銭トレードで巨人からロッテに移籍。この時点で通算2961安打を記録しており、80年に史上初の通算3000本安打に到達した。だが、この時すでに40歳。衰えは隠せず、在籍2年間で計124安打に終わり、81年限りで引退している。

 張本に限らず、プロ野球の歴史を紐解くと、「この選手がこの球団にいたんだ……」と驚かされることがある。今回は「名選手の意外な在籍球団」を紹介しよう。

▼スタンカ(1966/南海→大洋)&バッキー(1969/阪神→近鉄)
 ともに60年代、在阪球団でエースとして活躍し、通算100勝を挙げた外国人投手。南海で活躍したスタンカは64年に26勝でシーズンMVPを受賞。一方、阪神のエースだったバッキーもこの年、リーグ最多の29勝を挙げて外国人では史上初の沢村賞に輝き、それぞれ優勝に貢献した。

 だが65年オフ、スタンカは最愛の長男を事故で亡くし、そのショックで南海を退団。夫人の薦めで大洋に入団するも、6勝13敗と大きく負け越して1年で解雇された。一方のバッキーは68年、巨人戦での乱闘で利き手である右手の親指を骨折し、この年のオフに金銭トレードで近鉄へ移籍。だが、1勝も挙げられないまま引退した。
 ▼榎本喜八(1972/ロッテ→西鉄)
 坂本勇人(巨人)が彼の持つ最年少2000本安打の記録に迫っていたことから、最近になって再び脚光を浴びた史上屈指の安打製造機。早稲田実業からロッテに入団した55年に新人王を受賞。首位打者2回、最多安打を4回獲得し、山内一弘らと“大毎ミサイル打線”を牽引したが、不振に終わった71年オフに西鉄へトレードで放出された。洗練された打撃技術を若手に伝えるのを期待されてのことだったが、試合前に座禅を組むなど独特すぎる練習法を理解できる者はおらず、在籍1年でユニフォームを脱いだ。

▼高橋慶彦(1990/広島→ロッテ、1991/ロッテ→阪神)
 80年代の赤ヘル黄金時代を支えた不動の1番打者。盗塁王を3度獲得し、通算477盗塁は歴代5位。79年には日本記録となる33試合連続安打も記録している。イケメンのプレイボーイでもあり、広島では随一の人気選手だった。ただ、頑固な性格が災いしてしばしば周囲と衝突し、89年オフにトレードでロッテへ移籍。だが、打率.207に終わって1年で阪神へ放出され、92年限りで現役を引退した。ロッテ移籍時点では通算2000本安打まで残り259安打に迫っていたが、その後3年間でわずか85安打しか打てず、名球会入りは果たせなかった。
 ▼宇野勝(1993/中日→ロッテ)
 81年の“ヘディング事件”の印象が強い宇野だが、通算338本塁打も記録したプロ野球史上屈指の攻撃型遊撃手である。85年の41本塁打は現在でも遊撃手歴代最多。また、守備も決して下手ではなく、強肩を生かしたダイナミックなプレーには定評があった。だが、92年は不振に苦しみ、その年のオフにロッテへトレード。当時、千葉に移転したばかりロッテにとっては、銚子商出身の宇野獲得で観客動員増につなげたい思惑もあった。だが、新天地でも復活はならず、94年オフに戦力外通告。現役続行を希望するも、獲得球団が現れず引退した。

▼高木豊(1994/横浜→日本ハム)
加藤博一、屋舗要とともに”スーパーカートリオ”を結成して80年代に一世を風靡した巧打の内野手。打率3割を8度も記録し、二塁と遊撃の双方でベストナインに選出されるなどチーム一の人気者だったが、92年のオフに年俸交渉がもつれ、当時としては珍しかった年俸調停を申請。給料アップを勝ち取ったもののの球団に疎まれてしまい、翌年オフには巨人からFA宣言した駒田徳広獲得の資金捻出のため、屋舗らとともに自由契約にされてしまった。94年は日本ハムに拾われたものの65試合の出場に終わり、同年限りで現役引退を選んだ。
 ▼ロバート・ローズ(2003年/ロッテ)
 90年代後半の横浜“マシンガン打線”の中軸を担ったクラッチヒッター。来日1年目から安定した活躍を続け、98年には38年ぶりの日本一に貢献。99年は前半戦だけで100打点に到達して最終的には歴代2位の153打点で打点王、さらに当時の右打者最高打率の.369で首位打者も獲得した。翌00年も好成績を残しながら突如、引退。03年、「野球をやりたい気持ちが強くなった」と突如ロッテに復帰したが、ブランクのせいかキャンプ紅白戦でヒットが出ない状態が続くと、入団から1ヵ月足らずで「野球に対する情熱がなくなった」と再び引退。結局、ロッテでは1試合も公式戦に出場せずに終わった。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)

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