ニューヨーク最大級のスターだった“ダークナイト”マット・ハービーの栄光と凋落

ニューヨーク最大級のスターだった“ダークナイト”マット・ハービーの栄光と凋落

13年、メジャー2年目でオールスター先発投手を務めたハービーだったが、全盛期は長く続かなかった。(C)Getty Images

7月29日、マット・ハービーがロイヤルズとマイナー契約を交わした。昨季、エンジェルスで3勝、防御率7.09の成績で途中解雇されたハービーには一時、日本や韓国球界入りの噂も伝えられていたが、再度メジャー復帰を目指すことになった。

 ただ、噂レベルとはいえ日本や韓国行きの報道が出ること自体、隔世の感がある。つい4、5年前まで、ハービーはニューヨークのスポーツ界でトップクラスのスターだったからだ。

「一つの時代の終わりだ。チームの要として活躍してくれた選手に対し、非常に残念で難しい決断だった」

 2018年5月5日、ハービーを40人ロースターから外し、事実上の戦力外通告を行ったメッツのサンディ・アルダーソンGMが苦渋の表情でそう述べたのを、今も鮮明に覚えている。

 メッツでは通算34勝、2ケタ勝利を挙げたシーズンも1回だけの投手に“一時代”という言葉を使うのは大袈裟に思えるかもしれない。だが、12年のメジャーデビューからの数年間でハービーが残したインパクトはそれほどまでに強烈だった。
  10年のドラフト全体7位でメッツ入りしたハービーは、13年の開幕からメジャーに定着。この年の快進撃は爆発的だった。4月は4勝0敗、40.2イニングで46奪三振、5月のホワイトソックス戦では7回2死までパーフェクトに抑えるなどその後も支配的な投球を継続し、ついには地元シティ・フィールドで行われたオールスター・ゲームの先発投手に抜擢されるまでになった。

 ほぼ同時期に『スポーツ・イラストレイテッド』誌のトム・バードゥッチ記者から“ダークナイト”というニックネームを授与されたハービーは、瞬く間に球界を代表する本格派右腕として台頭した。

 この頃、ニューヨークではハービーのすべての先発日がビッグイベントだった。4シーム、スライダーを中心とする豪快なピッチングにファンは酔った。「Matt Harvey goes today(今日はハービーの登板日だ)」というワンセンテンス以上にメッツファンをエキサイトさせる言葉は存在しなかったと言っても過言ではない。

 14年はトミー・ジョン手術を受けて全休したハービーだったが、15年は13勝、防御率2.71と見事に復活を遂げ、チームの15年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。
  この年、プレーオフ出場が確実になった時期に、代理人のスコット・ボラスが「手術明けのハービーにイニング制限を課すべき」と提言し、ニューヨークが大騒ぎになったこともある。ロイヤルズとのワールドシリーズ第5戦では、9回途中まで1失点と好投したハービーをテリー・コリンズ監督が交代させ、直後に同点に追いつかれて結果的に試合に敗れたことが論議を呼んだ。一挙一動が話題になるという意味で、ハービーはアレックス・ロドリゲスと並ぶ風雲児だった。

 しかし16年以降、ハービーは急速にその輝きを失っていく。この年は4勝10敗、防御率4.86と低迷。7月には右肩を手術してシーズン終了となった。17年は5勝7敗、防御率6.70とさらに調子を落とし、同時にこの頃にはハービーのプレー姿勢にも批判が集まるようになった。

 メジャーデビューからすぐニューヨークのスターとなったハービーは、きらびやかな大都市の誘惑に絡めて取られていった。有名モデルと浮名を流し、ナイトクラブで豪遊する日々。謙虚さを失い、プレーへのモチベーションも薄れていったのかもしれない。
  17年5月には、病気を理由に練習をサボってゴルフに行ったことが判明して球団から3試合出場停止の処分を受けた。この時は「自分の行動が恥ずかしい」と反省の色を見せたハービーだったが、その約1年後には登板日の朝までナイトクラブで飲み明かしていたことが発覚。直後にメッツを戦力外となり、レッズへトレードされた。

 ヤンキースとそのファンに支配されていた街で、ハービーはメッツファンが手にした自前のスーパースターだった。それだけに、ヒーローの凋落に一抹の寂しさを感じたファンは多かったに違いない。

 追われるようにニューヨークを去った後、ハービーはレッズ、エンジェルス、アスレティックス、そして今回のロイヤルズと数多くのチームを渡り歩いている。そんな元エースの現状を見て、メッツファンはまたため息をつく。“ダークナイト”はクイーンズのファンにとって、いつまでも“What If(もしも運命が違っていたら……)”と思い続ける存在なのかもしれない。

文●杉浦大介

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