【追悼ホワイティ・フォード】「銀行頭取のよう」と言われたヤンキースの名左腕にも、実は裏の顔があった?

【追悼ホワイティ・フォード】「銀行頭取のよう」と言われたヤンキースの名左腕にも、実は裏の顔があった?

フォードは頭脳的なピッチングで淡々と打者を打ち取るスタイルで知られたが、実は不正投球にも手を染めていたとか…。(C)Getty Images

1950〜60年代のヤンキースを、打のミッキー・マントルとともに牽引した投のヒーロー、ホワイティ・フォードが、10月8日に亡くなった。91歳だった。通算236勝は同球団の投手として史上最多。ビッグアップルの名門球団ひと筋の現役生活で、ワールドシリーズには11回出場(うちシリーズの開幕投手は10回を数える)して、6度の世界一に輝くなど、そのキャリアは常に陽の当たるところにあった。74年に野球殿堂入りするとともに、背番号16はヤンキースの投手として初の永久欠番に指定された。

 当時のヤンキースを、ピュリッツァー賞受賞のコラムニストであるジム・マレーは、ゼネラル・モータース(GM)になぞらえた。自動車離れが叫ばれる現代の日本の若者にはピンと来ないかもしれないが、52年にGM会長のチャールズ・ウィルソンが「GMにとって良いことは、アメリカにとって良いことだ」と自信満々に語ったほど、同社はアメリカの基幹産業の雄として、経済的繁栄を象徴する存在だった。そして、フォードは球界のGMたるヤンキースの“Chairman of the board(取締役会議長)”と呼ばれていた。
  これは、マウンド上での彼の姿にイメージを重ねたニックネームだ。キリっと口元を締め、無表情で淡々と、かつ完壁に自らの仕事を遂行する様子は、さながらエリートビジネスマン。ベースボールライターの最高の栄誉であるJG・テイラー・スピンク賞を受賞した名コラムニスト、ロジャー・エンジェルは、「五番街の銀行頭取のよう」とも評している。

 しかし、すべてのビジネスには表と裏が存在するように、フォードも正統派の名左腕というだけではなかった。彼はボールに傷を付ける不正投球、エメリー・ボールの使い手でもあったのだ。野球史家のロブ・ネイヤーとビル・ジェームズによる共著『ガイド・トゥ・ピッチャーズ』のフォードの球種レパートリーには、速球、カーブ、チェンジアップ、シンカー、スライダーに加えて「1960年代は数多くの不正投球」と記されている。
  彼は、指輪の表面の一部をキザギザに加工してボールを引っ掻いたり、ベルトのバックルで傷を付けたりした。その行為が怪しまれると、今度は捕手のエルストン・ハワードが返球前にスパイクの泥を落とすふりをして、金具で傷をつけた。これにより表面の空気抵抗が増したボールは予測できない変化をする。このことは、元ヤンキースの投手ジム・バウトンが70年に出版した暴露本『ボール・フォア』でも紹介されている。ハワードは「フォードの速球はグンと伸び上がり、また沈み込む。スライダーは大きく反対方向へ変化する」と語っているが、このような鋭い変化は不正投球によるものだったのかもしれない。だが、フォードは現役時代に一度も摘発されたことはなかった。審判を欺く抜け目のなさは、確かにエリートビジネスマンらしいと言えるかもしれない。
  フォード自身も87年に、『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューで、「(高給を手に入れることが可能な)現代の選手が、ボールに細工しても無理からぬことだ」と答えている。フォードは腕の故障が深刻化したため67年に38歳で現役を引退したが、「もし自分のサラリーが80万ドルだったら、もっと現役に固執した」とも述べている。彼の最高到達年俸は7万6000ドルだった。
 
 また、前述の『ボール・フォア』には、こんなエピソードも紹介されている。フォードと当時のMLBを代表するスターのマントルが遠征先で、ある若手選手を高級レストランでのディナーに誘った。スター2人に招待された若手はすっかり舞い上がって、指定された場所へ正装してタクシーで向かった。ところが、到着してみると、そこにあるのは崩れた壁と割れた窓ガラスの廃屋だけで、高級レストランなんて影も形もなかったという。銀行マンのようだと言われたフォードにも、まるでいたずらっ子のような面があったのだ。この多彩な顔こそが、彼をスターたらしめた魅力なのかもしれない。

文●豊浦彰太郎

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