杉浦4連投4連勝に“ONミレニアム対決”……数多くの名場面を生んだ巨人vsホークスの日本シリーズ

杉浦4連投4連勝に“ONミレニアム対決”……数多くの名場面を生んだ巨人vsホークスの日本シリーズ

20世紀最後の日本シリーズで、長嶋(右)と王(左)が巨人とホークスの監督として対決した。写真:産経新聞社

今年の日本シリーズは、昨年に続いて巨人対ソフトバンクの顔合わせとなった。ソフトバンクの前身となる南海・ダイエー時代も含め、ジャイアンツとホークスの対決は実に12回目。これは史上最多の回数で、両者の対決はこれまでさまざまなドラマを生んできた。今日はその中から厳選した4つの名勝負を紹介しよう。

▼1959年 南海(4勝)−巨人(0勝)
 南海はこの年までに4度日本シリーズへ進出しながら、すべて巨人に敗れて日本一を逃していた。苦杯をなめ続けた南海・鶴岡一人監督の「打倒巨人」へ懸ける思いは並々ならぬものがあった。

 第1戦、南海はレギュラーシーズンで38勝を挙げた杉浦忠が先発し、8回3失点と好投して1勝。翌日の第2戦も5回からマウンドに上がって勝利投手になった杉浦は、さらに第3戦でも延長10回を一人で投げ抜き、チームは3連勝で王手をかけた。

 そして第4戦。何としても日本一を果たしたい鶴岡監督は、またも杉浦の先発を決断。連投の影響で右手のマメが潰れ、白球を血に染めながらも杉浦は力投し、何と巨人打線を完封する。4連投4連勝の離れ業でチームを初の日本一へと導いた杉浦は、鶴岡監督とともに胴上げされた。シリーズ終了後に大阪市内で行われた優勝パレードでは、鶴岡監督が2年前に亡くなった妻の位牌を抱きながら、集まった20万人のファンに涙ながらに手を振り、“涙の御堂筋パレード”として今も語り継がれている。
 ▼1961年 巨人(4勝)−南海(2勝)
“涙の御堂筋”から2年後。血行障害でシーズン途中に離脱した杉浦に代わり、エースとしてチームを支えたのが、前年からチームに加わった助っ人外国人のジョー・スタンカだった。最終的にこのシリーズ6戦中5戦に登板するスタンカは、第1戦で完封劇を演じたがが、第4戦で事件が起こった。

 試合は9回表まで南海が3対2とリード。9回裏、無死一塁の場面で登板したスタンカは順調に2アウトを取ったが、続く2人の打者がエラーで出塁して満塁になってしまった。それでも、次打者の宮本敏雄を1−2と追い込み、4球目を低めのきわどいコースにズバッと決めたスタンカは、三振でゲームセットと確信してマウンドを降りかけた……ところが、円城寺満球審の判定は「ボール」。

 これにはスタンカと野村克也のバッテリーも激昂して円城寺球審に詰め寄ったが、判定は覆らなかった。その後、カッカしたままスタンカが投じた直球を、宮本のバットが一閃。これがライト線への2点タイムリーとなり、南海はサヨナラ負けで王手をかけられた。スタンカは続く第5戦で怒りの完投勝利を収めるが、第6戦ではリリーフで登板して敗戦投手となり、巨人に目の前で胴上げを許す結果に。「円城寺 あれがボールか 秋の空」。シリーズ後に流行した作者不詳のこの一句が、南海ファンの心情を表わしていた。
 ▼1973年 巨人(4勝)−南海(1勝)
 前年まで8年連続日本一を成し遂げていた巨人に、選手兼任監督として初の日本シリーズとなる野村率いる南海が挑む構図。だが、巨人は“ON砲”の片割れ、長嶋茂雄が左手薬指を骨折して欠場を余儀なくされていた。

 第1戦、巨人は先発の高橋一三が7四球と制球を乱し、8回に藤原満に3点タイムリーを打たれて逆転負けを喫する。続く第2戦も7回に追いつかれ、延長11回の死闘の末に辛うじて勝利をもぎ取ったが、長嶋を欠いたクリーンナップ3人(高田繁、王貞治、末次民夫)は2試合でともにブレーキ。この時点で勢いは完全に南海のものだった。

 だが、チームの窮状を救ったのは、エースの堀内恒夫だった。第2戦の7回からリリーフした堀内は、続く第3戦にも先発。9回を2失点に抑えて完投勝利を挙げる一方、バットでも2本塁打3打点の一人舞台でシリーズの流れを引き戻した。主導権を奪われた南海は、第5戦の初回と2回に計4失策で4失点と拙守で自滅。巨人の3勝1敗で迎えた第5戦でも、堀内は7回途中からマウンドに上がって胴上げ投手となり、チームに史上唯一のV9の偉業をもたらした。
 ▼2000年 巨人(4勝)−ダイエー(2勝)
 73年以降はホークスが長い低迷期に入ったため、しばらく対戦がなかった両チームだが、この年は長嶋監督率いる巨人と王監督率いるダイエーの“ON対決”がついに実現。20世紀最後の年の黄金カードに、世間の注目度は最高潮に達した。

 巨人の第1戦先発は、前年までダイエーのエースとして活躍した工藤公康。勝手知ったるダイエー打線を6回まで1点に抑えた工藤だったが、7回、松中信彦に同点2ランを浴びてしまう。結局、この試合はすべて本塁打で5点を挙げたダイエーが勝利。続く第2戦も5回に6得点と打線が爆発して連勝した。

 流れを変えるべく、大幅に打順を入れ替えて第3戦に臨んだ巨人は2回に3点を先制したが、その裏、ダイエーも城島健司の本塁打などですぐさま同点。さらに、2死二塁で村松有人がライト前へ抜けるかという一打を放つも、深めに守っていたセカンドの仁志敏久がこれを好捕し、バックホームで走者を刺して逆転を阻止した。この好プレーで流れをつかんだ巨人は14安打9得点の猛攻で完勝し、続く第4戦はベテラン斎藤雅樹が好投、第5戦では高橋尚成が新人史上初の日本シリーズ初登板完封勝利の大活躍で、ついに王手をかけた。

 もはや負けられないダイエーは第6戦に渡辺正和、吉田修司、篠原貴行ら自慢の“勝利の方程式”を次々とマウンドに送るも、もはや巨人の勢いは止まらなかった。3回に4点、5回に5点と2度のビッグイニングでダイエー投手陣を粉砕した巨人は、20世紀最後の日本一を手にした。

文●筒居一孝(SLUGGER編集部)
 

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