江川の8連続三振、近藤のデビュー戦ノーヒッター、巨人ナインが新幹線から見下ろした試合――昭和史に残るナゴヤ球場の名場面の数々【豊浦彰太郎のベースボール一刀両断!】

江川の8連続三振、近藤のデビュー戦ノーヒッター、巨人ナインが新幹線から見下ろした試合――昭和史に残るナゴヤ球場の名場面の数々【豊浦彰太郎のベースボール一刀両断!】

近藤が史上唯一の初登板ノーヒットノーランを達成したのをはじめ、ナゴヤ球場では昭和のプロ野球史に欠くべからざる名場面がいくつも生まれた。写真:産経新聞社

3月10日午前10時37分、ぼくは品川発の新幹線に飛び乗った。四半世紀前まで中日ドラゴンズの本拠地だったナゴヤ球場で行われる、中日対西武のオープン戦を見届けるためだ。

 50余年の人生を中部地方以外で過ごしたぼくにとって、ナゴヤ球場を訪れる機会は決して多くなかった。むしろその記憶は、昭和の時代のテレビ中継やプロ野球ニュースを通じてのものがより鮮明だ。そのいくつかを紹介したい。

▼1973年10月20日 中日対阪神
 公式戦を2試合残していた阪神は、この試合に勝つか引き分けで優勝が決まるはずだった。だが、2位の巨人との差はわずかに1ゲーム差。もし敗れれば、優勝の行方は、2日後に甲子園で行われる巨人戦に持ち越される大一番だった。この試合のさなか、直接対決に望みを託す巨人ナインが、レフトスタンドのすぐ裏を通る東海道新幹線で通過した話は有名だ。阪神は、24勝の絶対的エース・江夏豊を先発に立てながらも敗れた。

 ナゴヤ球場での試合ではないが、最終戦の顛末も語っておこう。22日の最終戦で、阪神は巨人に0対9と完敗して優勝を逃した。巨人はこれで前人未到の偉業、V9を達成。最後の打者、くわえた楊枝がトレードマークのウィリー・カークランドが三振に切って取られた時、テレビで見ていた小学生の僕は「やっぱり巨人なのね」と感じたのだが、試合後に憤懣やるかたない一部の阪神ファンがフィールドに乱入したシーンにショックを受けた。

 社会人になった後、ぼくは数え切れないほど東海道新幹線に乗ったが、今でも名古屋駅に近づくと、車窓からナゴヤ球場をじっと見つめている。
 ▼1974年10月12日 中日対大洋
 この日、中日は大洋に6対1で勝利。2位の巨人をゲーム差なしでギリギリかわして、20年ぶりのリーグ優勝を決めた。最後の打者・山下大輔の放ったサードライナーを島谷金ニが捕球。胴上げ投手は星野仙一だった。

 個人的には中日の優勝よりも、巨人の連続優勝が途切れたことの方が驚きだった。物心ついた頃にはすでに巨人V9の真っ只中で、巨人が優勝しないシーズンは未体験だったのだ。「何事にも必ず終わりは訪れる」という道理を初めて認識したのがこの日だった。

 そして、この思い出も翌々日の出来事とセットだ。

 この日、V10の夢破れた巨人では、“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の引退試合ダブルヘッダーがあった。学校が終わると、自宅が最も近い友人の家に駆け込んでテレビをつけた。最後の打席や試合終了後の場内一周、そして有名な「我が巨人軍は永久に不滅です」 の演説を見届ける間、ぼくはずっと正座していた。ただ、涙しかなかった。
 ▼1977年5月14日 中日対巨人 
 中日が3対2で1点リードしていた7回裏二死満塁の場面で、来日時点でメジャー通算182本塁打&397盗塁を誇った元メジャーのスーパースター、ウィリー・デービスが、ダイヤモンドをまさに疾風のように駆け抜けた。そう、本当に本塁まで一気に「駆け抜けた」のだ。満塁ランニングホームラン。“黒豹”の異名を取ったデービスは、「スピードに乗ると塁間8歩」とまことしやかに報じられていた。一歩で約3メートルも移動する計算になる。自分でやってみたら全然ダメだったことを覚えている。

▼1984年7月24日 オールスター第3戦
 今まで見てきた日本プロ野球の投手の中で、相手打線を圧倒するという点では、全盛期の江川卓に勝る者はいなかった。この時期にはすでに下り坂に差しかかっていたが、全セの2番手として登板した江川は、速球とカーブの2球種だけで、この年外国人初の三冠王になったブーマー(当時阪急)や、落合博満(当時ロッテ)らを含む、並み居るパ・リーグの強打者8人を連続三振に切って取った。
 ▼1987年8月7日 中日対巨人
 前年のドラフトで5球団が競合した末、中日入りしたゴールデンルーキー、近藤真一のデビュー戦となったこの試合を、ぼくはテレビ中継ではなく、カーラジオで追いかけていた。

 この頃はヒマな大学生だったぼくはこの日、友人とともに、彼のオヤジさんのスバル・レオーネで当てもなく都内を徘徊していたのだが、試合が進むにつれてクルマを降りることができなくなった。近藤は結局、巨人打線からただの1本も安打を打たれることなく、史上唯一のデビュー戦ノーヒッターをン成し遂げた。最後にファミレスの駐車場にクルマを停めたぼくらは、快挙達成を聴き遂げてから店に入り、深夜までしゃべり倒した。

 僕より若い世代のファンにとっては、ナゴヤ球場といえば平成の「10.8決戦」が最大の名場面かも知れないが、ここではあえて書かない。ぼくの心に残っているのは、ここに挙げた昭和の名シーンの数々だからだ。

文●豊浦彰太郎

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