アントニオ猪木を操る「女帝」の独裁行状(2)猪木を虜にするH女史とは?

アントニオ猪木を操る「女帝」の独裁行状(2)猪木を虜にするH女史とは?

アントニオ猪木を操る「女帝」の独裁行状(2)猪木を虜にするH女史とは?

 ところで、騒動渦中の人物となった現猪木夫人とはどういう人物なのか──。

 H女史は日大芸術学部写真学科を卒業後、民放テレビ局の関連会社に就職。スチールカメラマンを務めていた。サイモン氏が語る。

「90年代後半の猪木さんが引退する頃に、カメラマンとして同行していたのを覚えています。猪木さんの写真集『人生のHomeless』もHさんが撮っていて、当時から仲がよかった印象があります」

 これまで猪木氏は三度の結婚と離婚を繰り返してきた。まず米国武者修行中に現地女性と結婚。71年に倍賞と再婚するが、87年に離婚。さらに89年には一般女性と結婚したが、12年に離婚している。H女史と仕事のつきあいを超えて、「愛人疑惑」が週刊誌等で騒がれだしたのは06年頃だった。興行関係者がこう振り返る。

「日本全国の興行先だけではなく、北朝鮮やパラオなど海外出張にまで同行していた。15歳くらい年下で、Hさんの名前をもじったあだ名で呼んでいましたね。話している最中にふと甘い声を出すのですが、あれに参っちゃう男は多かった。小柄な女性で服の上からでもハッキリとわかる爆乳。猪木さんは巨乳好きで知られ、彼女と親しくなって以降、米国からバイアグラを取り寄せるほどハマっていたのを覚えています」

 H女史は六本木に、あだ名と同じ名前のバーを開店していた。興行関係者が続ける。

「猪木さんは米国で三番目の奥さんと暮らしていましたが、日本に帰ってくると週3回くらいバーに通って、朝方まで歌を歌っていた。プロレス関係者も連れてきて、猪木さんが決まって飲むのは高級ワインのロマネ・コンティ。『ボトルを入れろ』と言われれば関係者は従ってしまう。猪木さんなんて、お金がない時は紙に絵を描いただけの“1万円札”を支払いで出して、よその店ではよくトラブルになっていたのに、人には払わせるんですよ」

 猪木氏は13年に日本維新の会から参院選に出馬。当選して国政復帰を果たしている。

「Hさんは議員会館にも出入りして、スケジュール管理をするようになっていた。16年に猪木さんを代表とする版権管理会社を設立。Hさんは役員を務めています。ついに今年、猪木さんの誕生日である2月20日に籍を入れたそうですが、結婚前から版権ビジネスを手がけており、それだけ大切な存在なのでしょう」(格闘技ライター)

 サイモン氏も猪木氏について、「参議院議員になってから、会える機会が減った」という。

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