プロレス解体新書 ROUND55 〈大巨人が初のギブアップ〉 快挙の裏に隠された猪木の思惑

 さすがのアントニオ猪木も1986年頃になると、ファンから“前田日明との対戦から逃げている”などの声が上がり、その衰えを指摘され始めた。そんな中で成し遂げたアンドレ・ザ・ジャイアントからのギブアップ勝利は、世界初にして唯一の快挙となった。

 「故郷の田舎町に新日本プロレスの巡業が来た翌日、通っていた中学校での話題はアンドレ・ザ・ジャイアント一色でした。皆が口々に『パンフレットには身長223センチとなってるけど3メートルはあった』『近くで見たら校舎の2階ぐらいの高さだった』と、生で見る大巨人はそれほどインパクト絶大でした。このときはMSGシリーズで、ほかにも豪華外国人がそろっていたはずなんですけどね」(プロレスライター)
 テレビ放送では日本人選手をクローズアップしなければならず、その存在感を伝え切れない部分もあっただろう。しかし、生身のアンドレはやはり格別の存在であり、'74年のギネスブックに“年俸世界一のプロレスラー”と記載されたのはダテではない。
 なお、このときの年俸は40万ドル(当時は1ドル=300円換算で約1億2000万円)とされ、同時期、メジャーリーガーの平均年俸が4万ドル程度だから、その10倍も稼いでいたことになる。

 世界中のどこに行ってもアンドレ見たさに人が集まるのだから、ファイトマネーの高騰も当然のこと。基本的にベビーフェース(善玉)側のゲストとして各地をサーキットしており、新日参戦時のヒール(悪玉)役はむしろ例外だった。
 しかし、「ベビー、ヒールに関係なく、ただただ大巨人の勇姿を見たい」というのが、ファンの本音であったろう。

 そんなアンドレとの対戦にあたって、格闘技的意味での勝負を求めたのが、誰あろうアントニオ猪木だった。
 今にしてみればこれを無粋と感じるファンもいるだろうが、当時“キング・オブ・スポーツ”を掲げてストロングスタイルを標榜した新日においては、いくら世界的人気者のアンドレが相手でもそこは譲れない一線であった。
 「これはファンに対して、エンターテインメントではない“勝負”を見せたかったということであって、単なる勝敗とは別の話。星取りでいえば両者はまったくの五分で、最初の対戦では猪木がフォール負け(マネージャーが場外から足を引っ張ったところにジャイアント・プレス)を喫しています」(プロレス記者)

 そんな中で、猪木が勝ちにこだわった試合もあった。一つは'76年に行われた格闘技世界一決定戦である。
 「その3カ月前、モハメド・アリとの闘いを世間から凡戦と酷評されたことで、猪木としては負けられない一戦となりました。この試合で猪木は、アンドレを一本背負いやリバース・スープレックスで投げ飛ばした上に、大流血に追い込んでTKO勝ちしています」
 “格闘技世界一を名乗るなら俺を倒してみろ”というアンドレの挑発に応えて、プロレス界のナンバーワンを決めるという意味付けの試合でもあった。

 そしてもう一つが'86年6月17日、愛知県立体育館で行われたIWGPチャンピオンシリーズの公式戦だ。
 「この大会の直前、猪木は写真誌に不倫現場を撮られて懺悔の丸坊主にしていました。そのため、このアンドレ戦における勝利を“スキャンダルの汚名返上のため”と見る向きもあるようですが、事実は少し異なります」(新日関係者)

 新日は前年10月にWWF(現WWE)との業務提携解消を発表しており、WWF主要キャストであるアンドレの新日参戦も、これがラストとされていた。
 「そのため猪木としては、最後のアンドレ戦で完全勝利を果たしたかったわけです」(同)

 とはいえ相手は、'73年に前名のモンスター・ロシモフからアンドレにリングネームを変更し、それから10年以上にわたって一度たりともフォール、ギブアップでの負けを喫していない世界的スーパースター。
 勝敗はプライドの問題であり、ファイトマネーを積めば何とかなるという話ではない。
 「そもそもアンドレ側がクリーンな負けに納得するだけの金額は、低迷期にあった当時の新日には用意できなかったでしょう」(同)
 それでも交渉の結果、アンドレの合意を得て猪木は腕固めでギブアップ勝ちを収める。その後、WWFでヒールに転じてからは、ハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーにフォール負けを喫したものの、ギブアップを奪ったのは猪木が世界初にして唯一となった。

 では、なぜアンドレは猪木の要求を飲んだのだろうか。
 「アンドレは猪木がアリと闘った同日、異種格闘技戦でボクサーのチャック・ウェップナーと対戦(ヘッドバットから場外に投げ落としてリングアウト勝ち)しています。それで、同じくボクサー相手に闘った猪木に、何かしら尊敬の念のようなものがあったのでは? もうアンドレは亡くなっているので、あくまでも想像に過ぎませんが…」(同)

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