平成という時代を生きた30歳に独占直撃!【第2回】亀田大毅「“喧嘩スタイル”じゃないとウケへんからやってただけ」

平成という時代を生きた30歳に独占直撃!【第2回】亀田大毅「“喧嘩スタイル”じゃないとウケへんからやってただけ」

引退から2年がたっても、なお鋭い眼光の元2階級王者・亀田大毅

昭和から年号が変わった年に誕生し、平成という時代を生きた子どもたちが30歳を迎える。その顔ぶれを見渡すとスポーツ、エンタメなど各界の第一線で活躍する“黄金世代”だった! 

社会は阪神淡路大震災やオウム真理教事件など世間が震撼した災害や事件が続き、ゆとり世代として教育改革の狭間に置かれ、ある意味で暗い時代を生き抜いたーーそんな彼らの人生を紐解くインタビューシリーズの第2回。

「黄金世代って呼ばれとるの? それは知らんけど、同世代のスポーツ選手とかは気になるよ。俺も頑張らなあかんなって思うしね」 −−インタビューのため案内された会議室で、”浪速の弁慶”は競馬新聞を広げて待っていた。元ボクシング世界王者・亀田大毅は無類の馬好きである。

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世界2階級を制覇した元王者、亀田大毅。ボクシング一家・亀田3兄弟の次男であり、荒々しいファイトスタル、ド派手なパフォーマンスにビッグマウスで世間の話題をさらった。武蔵坊弁慶のコスチュームでHOUND DOGを熱唱する、我々のイメージする“浪速の弁慶”は2000年代、まだ10代の彼の姿である。

10代っていうか、物心からついた時から格闘技してましたよ。家でも、TVでは延々ボクシングのビデオ流れとったしね

そう振り返る大毅だが、当時の「亀田家」といえば日本人なら誰もが知っている。試合に限らずバラエティ、ニュース番組に至るまで、亀田3兄弟が連日TVを賑(にぎ)わせていた時代。ボクサーがあれほどまで注目されることは後にも先にもないだろう。

「生まれてから17歳まで、修業して遊んで修業して…の繰り返し」−−トレーニングのことを彼は修業、と呼んだ。ボクシング以外の道に引かれたことはないのか?と尋ねると、「競馬の騎手」と返ってきた。

小学生の時はジョッキーなりたかったね。小さい時から競馬好きやってん、ゲームもめっちゃしたで。『ダビスタ』やろ、『G1ジョッキー』、それに『ウイニングポスト』やろ…

淀みなく往年の名ソフトが出てくるあたり、幼少期から筋金入りの馬好きらしい。「全部のG1制覇したわ」と笑う視線が、卓上に開かれた競馬新聞に注がれる。15時からのレースがよほど気になるようだ。

でも親父にはジョッキーなりたいとか言うたことないよ。怒られるやん

グローブ付きの銛(もり)やピンポン球を使用したトレーニングなど、独創的な訓練で3兄弟を育て上げた父・亀田史郎氏。彼もまたその強烈なキャラクターで視聴者の記憶に残っている。しかしそれはメディアに切り取られたほんの一面らしい。

いやいや、親父はめっちゃ優しいで。修業は修業できっちりして、終わったらいっぱい遊ぶ。そら修業は手抜いたらあかんよ、ボクシングは命に関わるスポーツやから









命に関わる」と口にした時、おそらく無意識に大毅は左のこめかみを撫でた。2015年、26歳という若さで現役を退いた男の、引退の原因は左目の網膜剥離だった。

小、中学生と「修業」の日々を送った亀田大毅は、2006年に17歳でプロデビュー。デビュー戦秒殺KOのインパクトもあり、彼を知る大多数は荒々しいハードパンチャーと記憶していることだろう。しかしそれは彼のキャリアのほんの初期、10代後半の頃のわずかな期間の話だ。本来のスタイルは、相手のパンチを華麗にさばき、一瞬の好機に狙いすました左フックを突き刺す、非常に洗練された“ボクサーファイター”である。その変遷にはどういう経緯があったのか…。

経緯も何も“喧嘩スタイル”じゃないとウケへんからやってただけ。ボクシングのチケットって高いでしょ? 俺はプロやから、お客さんに満足して帰ってもらわなあかん。リングで歌ったりしたのもそういう理由

事もなげに大毅は言った。しかし繰り返すが、“喧嘩スタイル”は17、18歳の非常に限定された時期のものである。まだ未成年の若者がプロとしてのパフォーマンスを意識しつつ世界の強豪と戦っていたのだ。「鮮烈やったね。あの勝ちは嬉しかったね」という、17歳で迎えたデビュー戦はサマート・シッサイトン相手に23秒KO勝ち。まさにプロの“魅せる”試合だった。しかし、それが限界を迎える時が来る。

そら、喧嘩スタイルじゃ世界獲れんよ。それは自分でもわかってた。わかってたけど、気性が荒かったからつい喧嘩してもうてたし、そういうスタイルを続けるうちに型にハマってもうてた。だから負けたんや、内藤さんにね

第1次安倍政権が終わり、初音ミクが生まれた2007年。大毅はWBC世界フライ級王者をかけ、内藤大助との一戦に挑む。試合前の挑発行為、繰り返された反則、そしてデビュー以来初めての敗北。一夜にして、18歳はメディアのバッシングに晒(さら)されることになる。同世代のアスリートがプロへの道を開く時、彼は暗闇の中にいた。

今までで唯一、気持ちが落ちたかな、あの時は…

明るかった声が、初めてワントーン下がった気がした。が、「でもね」とすぐに目元に力が入る。

「『落ちた』言うたけど、よく考えると18歳ですからね、この時。18歳で世界戦のリングに上がった。これはすごいことやし、誇りに思ってますよ

続けて、「もちろん、内藤さんと戦った時はやったらあかんことやりましたけど…」とゆっくりと言い、何かを確かめるように頷(うなづ)いた。競馬新聞はいつの間にか閉じられていた。

内藤戦は11年前のできごとだが、我々視聴者の記憶にもそれは深く刻まれている。あの日を境に亀田大毅はTVから消えた。それ以降の大毅の戦績を語れる日本人はそう多くない。プロデビューからわずか1年。しかし、ボクサー・亀田大毅が開花するのはここからである。

あれだけのバッシングを受けつつ復帰は早かった。2008年、先の騒動によるライセンス停止処分から復帰した19歳の亀田はアンヘル・レサゴをKOで下す。21歳でWBAフライ級王座を奪取し、2013年には24歳でIBF世界スーパーフライ級王座に輝く2階級制覇。長男・興毅、三男・和毅(ともき)と共に“世界初の3兄弟世界王者”に加え、“世界初の3兄弟同時世界王者”という偉業を成し遂げたが、マスコミの報道は“亀田フィーバー”時と比べれば大きなものではなかった。

まあ、それはしゃあない。内藤さんと戦う前は、俺も言いたい放題やったし、それでマスコミが持ち上げてくれたんもある。そりゃ負けた時、叩かれるのも、それから取り上げてくれなくなるのも当然

そう言って亀田はなんてことない、というふうに笑った。「ギャンブルみたいなもんやね」、と。

●後編⇒平成という時代を生きた30歳に独占直撃!【第2回】亀田大毅「2階級制覇した後、俺は最強になった」









(取材・文/結城紫雄 撮影/鈴木大喜)

亀田大毅かめだ・だいき




1989年1月6日生まれ、大阪府出身。2010年にボクシングWBA世界フライ級王者、13年、IBF世界スーパーフライ級タイトルマッチを制し二階級制覇を達成。兄の興毅、弟の和毅とともに史上初の3兄弟世界王者、3兄弟同時世界王者に輝く。15年、左目網膜剥離のため26歳で引退。

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