「積み重ね」で世界一に輝いたB・ケプカの歩み【舩越園子コラム】

「積み重ね」で世界一に輝いたB・ケプカの歩み【舩越園子コラム】

日々の努力と信念がブルックス・ケプカを世界一の座へと押し上げた(撮影:岩本芳弘)

韓国で開催された米ツアーの開幕第3戦「ザ・CJカップ at ナイン・ブリッジス」を制したのはブルックス・ケプカ(米国)だった。


単独首位で最終日に臨んだケプカは、前半はやや不安定なゴルフでゲーリー・ウッドランド(米国)に並ばれたが、「こらえて巻き返した」という後半は5バーディを奪って快走したすえ、72ホール目を見事なイーグルで締め括り、2位に4打差で圧勝。米ツアー通算5勝目を挙げ、世界ランキング1位に輝いた。

「世界ナンバー1になるのは子供のころからの夢だった」

昨年、「全米オープン」でメジャー初優勝を飾り、今年は全米オープン連覇を達成後、さらに「全米プロゴルフ選手権」でも勝利し、瞬く間にメジャー3勝を挙げた。昨季終了後には、ポイントに基づいて選出されるPGAオブ・アメリカのプレーヤー・オブ・ザ・イヤーと選手投票で選出される米ツアーのプレーヤー・オブ・ザ・イヤーの両方に輝いた。

だが、「何がアナタを世界一へ押し上げたと思うか?」と問われたケプカは、そうした輝かしい成績や高い評価には触れず、「これまでの積み重ねです。これからも何も変えない。これまでやってきたことを、これからもやっていくのみ」と、淡々と語った。

なるほど。ケプカの歩みを振り返れば、彼が言った「積み重ね」という言葉に頷かされる。いいことであれ悪いことであれ、目の前の状況を焚き木にして自分の暖炉にくべ、自身を燃え上がらせる。彼はいつもそうやって前進してきた。

数週間前の「ライダーカップ」では、ケプカが打った球がギャラリー女性の顔面を直撃し、女性が右目を失明するという不幸な事故が起こった。ケプカ自身、大きなショックを受けたばかりだが、そういうときでさえ、「自分にできることは、いいプレーを披露して人々に喜んでもらうことだ」と、それまで以上に強い気持ちで前を向き、アジアの地へ足を運んだ。

6年前の2012年。アマチュア資格で全米オープンに出場したケプカは惨憺(さんたん)たる成績で予選落ちし、その悔しさをバネにして、直後にプロ転向を決意した。戦う場を求め、すぐさま欧州に渡ってチャレンジツアーに挑戦。1試合目でいきなり優勝を飾り、「やれた」という自信が彼を成長させたそうだ。

14年に欧州ツアーの「トルコ航空オープン」で初優勝。15年は「ウェイスト・マネージメント・フェニックス・オープン」で松山英樹との激闘を制し、米ツアーでも初優勝を飾ったが、以後は「僕はもっと勝てるはずなのに、なぜたった1勝なんだ?」と思うようになり、もっと勝つために、ひたすら練習と努力を積んだ。

技術力は飛躍的に向上したが、何度も惜敗を繰り返した。そんなとき親友ダスティン・ジョンソン(米国)から「勝とうとするな。ひたすら耐えろ」とアドバイスされ、友の言葉を唱えながら勝利したのが17年の全米オープンだった。

今年は1月に左手首を痛め、以後、4カ月以上も戦線離脱。「マスターズ」にも出られなかった。いろいろな治療を受けたが顕著な回復は得られず、引退の二文字が頭をよぎったことさえあった。だが、そんなときでさえ、ケプカは自力でアクションを起こした。

驚くなかれ、馬専門のカイロプラクターを訪ね、「左手を30分ぐらい触ってもらい、フィックスされたっていうか、痛みが消えてゴルフができるようになった」。

その後、ケプカの奇跡のような戦線復帰と奇跡のような全米オープン連覇と全米プロ制覇は、前へ進むためなら何だってやってやるという彼の強い気持ちと高いプロ意識と行動力がもたらしたもの。奇跡のようで、奇跡ではない。

そうやって、いいことも悪いことも活力に変えながら、一歩一歩、地道に前進してきたことを、ケプカは実感し、誇りに思っているに違いない。だからこそ彼は、世界一になれたのは「積み重ね」であり、「これからも何も変えない」と答えた。

文 舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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