日本と中国がR・マキロイの忘れがたき思い出の地になった【舩越園子コラム】

日本と中国がR・マキロイの忘れがたき思い出の地になった【舩越園子コラム】

勝っても謙虚だったマキロイ(撮影:GettyImages)

先週のZOZOチャンピオンシップは米ツアーの豪華メンバーが多数来日し、タイガー・ウッズの歴史的勝利で幕を閉じたが、今週のHSBCチャンピオンズは「世界選手権シリーズであるにも関わらず、一転して淋しいフィールド」と欧米メディアは記していた。


そんな中、注目と期待を一身に浴びていたのはメジャー4勝のローリー・マキロイ。そしてマキロイは、上海のファンの熱視線に見事に応え、ザンダー・シャウフェレとのプレーオフを制して、通算18勝目を挙げた。

昨季の米ツアーで生涯2度目の年間王者に輝き、プレーヤー・オブ・ザ・イヤーにも選出されたマキロイは現在、世界ランキング2位であり、世界ナンバー1のブルックス・ケプカとのライバル関係が取り沙汰されている。

強気な物言いをするケプカは「僕が米ツアーに来てからのこの5年間、ローリーはメジャーで勝っていない。だからローリーをライバルとは思っていない」と言い切っていた。

だが、2007年にプロ転向し、2009年に米ツアーにデビューして以来、10年以上に渡って世界のトップレベルを維持し続け、勝ち続け、年間王者に2度も輝いたことは素晴らしく、メジャー優勝だけが優劣の基準になるわけではない。マキロイの偉業とケプカの偉業、どちらも甲乙つけがたい。そして、マキロイの歩みを振り返れば、彼が経験した山谷が彼を変え、成長させてきたのだと、つくづく思う。

父親ゲリーに連れられて米ツアーに初めてやってきたころのマキロイは子どもっぽさが残る素朴な少年だった。だが、成績と人気が急上昇にするにつれて少々横柄になり、翌年、初優勝を挙げると鼻高々になった。

しかし、2011年マスターズ最終日のバック9で独走態勢から大崩れしたあの惨敗は「初めての屈辱と落胆だった」。

そのどん底から立ち直ることができたのは、傷心のマキロイが国連大使としてハイチへ赴き、貧困と悪環境の中で生きる子どもたちを間近に眺め、「ペットボトルの水を当たり前のように飲める幸せを心底実感した。試合で敗けたことなんて何でもないと思えた」。

その直後、マキロイは全米オープンを制し、メジャー初優勝を遂げた。

ケプカが指摘した通り、マキロイは2014年を最後にメジャー優勝から遠ざかっている。だが、ちょうどそのころから彼は自身の財団の活動を活発化し、傷病で苦しむ子どもたちのための社会貢献に精を出し、2015年からは彼の財団が欧州ツアーのアイリッシュ・オープンの大会ホストになった。すると、その翌年、マキロイは米ツアーで初の年間王者に輝いた。

社会に尽くす気持ちを持つたびに、謙虚で優しい姿勢になるたびに、彼が自ずとグレードアップしていることは決して偶然ではない。

今、マキロイの心の糧になっているのは東京五輪への想いだ。政治的、宗教的、民族的問題が複雑に絡み合う、いわゆる「北アイルランド問題」の下、マキロイは前回のリオ五輪出場を辞退した。

だが、東京五輪には「アイルランド代表として臨みたい。他の人々が直面することのない問題を僕は常に考えなければならないが、それは僕の五輪出場を阻むものではない。五輪に出て自分をオリンピアンと呼ぶことにワクワクしている」。

その固い決意をマキロイはZOZOチャンピオンシップの際に「熱狂的なゴルフファンがたくさんいるこの日本で語りたかった」と言った。そして最後に猛追し、3位になった。その意味で、日本は彼にとって忘れがたき思い出の地になった。そしてその翌週、上海で勝利を挙げ、中国も忘れがたき思い出の地になった。

それでもなお「まだ僕はブルックス・ケプカを追いかけている身だ。追い抜こうとトライしているけどね」と、勝っても謙虚なマキロイの姿が印象的だった。

そうやって選手と米ツアー大会、開催地の人々が、ともに歩み、互いに励まし合い、ともに成長していく。そんな姿が、とても嬉しく感じられた2週間だった。

文・舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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