5年ぶりの復活優勝、神様からの贈り物【舩越園子コラム】

5年ぶりの復活優勝、神様からの贈り物【舩越園子コラム】

勝ちきれずにいた5年間がようやく報われた(撮影:GettyImages)

メキシコで開催されたワールドワイド・テクノロジー選手権は、33歳の米国人選手、ラッセル・ヘンリーの5年ぶりの復活優勝で幕を閉じた。


3日間54ホールをノーボギーで回り、2位に6打差で最終日を迎えたヘンリーだが、そのとき彼の脳裏をよぎったのは、首位で臨んだサンデー・アフタヌーンを失意で終えた過去の数々の苦い経験だった。

ジョージア大を卒業後、2011年にプロ転向。13年にPGAツアーに参戦したヘンリーは、ルーキーイヤーにソニー・オープンで初優勝を飾ると、14年ホンダ・クラシックで2勝目、17年ヒューストン・オープンで3勝目を達成。しかし、それ以降は勝利から遠ざかり、勝てそうで勝てない日々の繰り返しとなった。

21年は全米オープン最終日を首位で迎えたが、最終日に「76」と崩れ、13位タイに甘んじた。ウインダム選手権でも優勝ににじり寄りながら最終日は振るわず7位タイに終わった。

極めつけは、今年1月のソニー・オープン。2位に2打差の単独首位で最終日の1番ティに立ったヘンリーは、一時は5打も差が開いていた松山英樹の猛追を受けると、72ホール目のバーディパットをわずかに外してサドンデス・プレーオフへ突入。1ホール目で見事なイーグルを決めた松山に勝利を奪われ、がっくり肩を落とした。

「あの負け方には、正直、僕の心は傷ついた。自分はもう2度と勝てないのではないか。そんな気持ちになった」

同じようなことが再び起こるかもしれないという不安は「今日もあった」とヘンリーは明かした。5番で今週初めてボギーを喫したときは「とんでもなくナーバスだった」。しかし、6番からの3連続バーディで巻き返したプレーぶりには、神がかり的な勢いが感じられた。不思議な力で導かれているかのように、ショットが冴え、パットを沈めたヘンリーを眺めながら、思い出されたのは3年前の今大会での出来事だった。

19年のマヤコバでヘンリーは初日「66」と好発進。2日目も「69」でホールアウトし、上位で決勝ラウンドに進もうとしていた。だが、彼はスコアリングテントで妙なことに気が付いた。その日のラウンドで使用した9つのボールの中で「1つだけ、タイトリスト・プロV1のロゴマークの横に小さなドット(丸印)が付いていた」。

そのドットはプロトタイプであることを示す印だった。つまりヘンリーは1つだけ他とは異なるボールを使用し、「1ラウンドで使用するボールは1ブランド」という「1ボール・ルール」に違反したことに気付いたのだ。そのまま黙っていれば、きっと誰にも気づかれることはない小さな事実だった。しかし、ルールに反した事実を隠すことはできず、ヘンリーは自らルール委員に申告した。

とはいえ、1つだけ異なるボールを実際にどこで何ホール使用したのかを確認する術はなく、規定に従って「4ホール使用」という扱いになった。「1ホールにつき2罰打×4ホール=8罰打」を彼は自ら科し、スコアを「69」から「77」に訂正。予選落ちとなってコースを去った。

それからも、ヘンリーは勝てそうで勝てない日々を繰り返してきたが、今年のマヤコバで5年ぶりの復活優勝を遂げたことは、彼の努力と忍耐の賜物だった。「やっと勝てた。大変な1日だった。タイガー・ウッズは、これを80何回(注:82回)もやってきたなんて信じられない。でも、だから楽しい。プレッシャーの下で自分が試されるこの瞬間のために、僕らは戦っている。ゴルフができることがうれしい。PGAツアーで戦えることがうれしい」。

もう一度勝ちたいと願い、しかし勝ちそこなうことの連続。「もう2度と勝てないかも」と思いながらも、優勝のチャンスよりゴルフルール順守を優先し、正直に真摯に、そして必死に戦い続けてきたヘンリーの生きざまに、きっとゴルフの神様も心を動かされたのではないだろうか。5年ぶりの復活優勝は、ゴルフの神様が授けたご褒美だったように感じられてならない。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

<ゴルフ情報ALBA.Net>

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