B・ケプカ、全米オープン連覇までの道程【舩越園子コラム】

B・ケプカ、全米オープン連覇までの道程【舩越園子コラム】

ブルックス・ケプカ(左端)が連覇を達成 ここに至るのには親友のD・ジョンソン(中央)の存在も大きい(撮影:GettyImages)

<全米オープン 最終日◇17日◇シネコック・ヒルズゴルフクラブ(7,440ヤード・パー70)>

史上7人目の「全米オープン」連覇を成し遂げたブルックス・ケプカ(米国)。昨年の勝利があったからこその偉業であることに違いはないが、昨年の勝利への経緯があったからこそ、彼は今年も勝利することができたのだと思う。


2012年の全米オープンにアマチュアとして出場後、プロ転向したケプカは、その後、欧州ツアー参戦を経て、母国・アメリカに戻る。そして14年から米ツアー参戦を開始した。

15年には松山英樹に競り勝ち、「フェニックス・オープン」で初優勝を挙げた。しかし、その後はどんなに必死に練習しても、優勝争いに絡んでも、どうしても勝てず、米ツアーの勝利数は1勝のまま時が過ぎていった。16年の「全米プロ」でも優勝のチャンスに迫ったが、その際は足首を痛め、勝利が遠のいていった。

「僕はもっと勝っていいはず。いつもそう思っていた。たった1勝しか挙げられていないという事実に僕は耐えられない気持ちだった」

そんなケプカにとって転機になったのが、昨年の全米オープンだった。初日を4位で発進し、2日目は首位タイへ浮上。3日目に2位タイへ後退したケプカは、同じコーチに師事する兄弟弟子であり親友でもあるダスティン・ジョンソン(米国)から「とにかく我慢だぞ。耐えろ」とだけ言われたそうだ。

そして、ケプカは気付いた。勝てそうで勝てなかった2年超の日々。「僕は勝とう勝とうとして前のめりになりすぎていた」。勝とうとせず、耐えよう――その姿勢がケプカを昨年大会の勝利へ導いた。

今年は1月に左手首を激しく痛め、以後、15週間の戦線離脱を余儀なくされた。その間、一番辛かったのは、ジムに行っても「何もできることがなく、家ではソファに座っているしかなく、ただただ体重が増えていったこと」。全米オープン優勝というキャリアの頂点から地獄の底へ突き落されたような感覚を覚え、「本当に辛かった」とケプカは言う。

だが、そんな辛酸を舐め、人生もゴルフも何が起こるかわからないことを肌身で感じたからこそ、今年の全米オープンでも前のめりにならず、「耐えることができた」という。

最終日を首位タイでスタートしたケプカは、前半で2つスコアを伸ばし、単独首位で後半へ。そこから先はスコアを伸ばそうとせず、「落ちなければいい」「落とさなければいい」と心の中で唱えながら戦い続けた。

だからこそ、11番のボギーセーブが「大きかった。最悪の中でベストを尽くしたボギーだった」と思うことができた。12番、13番、14番、15番はしっかりパーを拾い続けた。そして16番で到来したチャンスをモノにして、先にホールアウトしていたトミー・フリートウッド(イングランド)との差を2打へ広げた。

落とさなければいい――難コースのシネコック・ヒルズだからこそ、全米オープンだからこそ、消極的な守りの姿勢を積極的に取るケプカのストラテジーは、「落とさなければ勝てる」という状況を72ホール目のケプカにもたらし、最後はボギーでも1打差をつけて勝利することができた。

「ドライバーショットは決してグレートではなかった。でも、それでもパターが冴えれば、補うことはできる。そして勝つことができる。それが今週4日間、僕がやってきたことだと思う」

かくしてケプカは、全米オープンを勝とうとせずに連覇した。昨年の学びが無かったら、決して成し遂げられなかった偉業だった。

文・舩越園子(在米ゴルフジャーナリスト)

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