村田理沙の「ゴルフ人生はこれからが本番!」【第1回】このまま続けていくことへの焦燥感

村田理沙の「ゴルフ人生はこれからが本番!」【第1回】このまま続けていくことへの焦燥感

(撮影:佐々木啓)

こんにちは、プロゴルファーの村田理沙です。今回、短期連載の場をいただいたのですが、縁となったのは私が米国の下部ツアー「シメトラツアー」でプレーしていたこと。日本ではあまり知られていないシメトラツアーの実態を、私自身の目標も加えてお話ししていきたと思います。


いきなりですが皆さんは仕事や勉強に行き詰まったとき、どんな解消方法を選びますか? リフレッシュする、友人や親に相談するなど、人それぞれのパターンをお持ちかと思います。

私がシメトラツアーに挑戦することになった理由も、「このまま続けていくことへの焦燥感」がありました。ただし、用意周到に臨んだわけではなく、きっかけはフイに訪れたというか(笑)。少し順を追ってお話しさせていただきますね。

ゴルフを始めたのは8歳で、そのころはクラシックバレエや水泳、テニス、習字と同様に習い事の一つでしたが、試合には早くから出ていましたし面白かったですね。気づいたらゴルフ中心の生活になっていたときに、杉並学院中学校からお誘いを受けました。高校も含めて計6年間通ったのですが(2008年4月〜2014年3月)、杉並学院といえば石川遼さん(2007年4月〜2010年3月に高校在学)で一世を風靡(ふうび)した学校。でも、女子もわりと強かったんですよ(そういえば中学校は生徒減少で廃校になるとか。寂しいです……)。

卒業後、いったんは山梨学院大学に進学したのですが、同時にプロテストも受けていました。初挑戦の2014年は最終で失敗(34位タイ)。TPD(トーナメント・プレイヤーズ・ディビジョン)単年登録の制度を利用して2015年はレギュラーツアーやステップ・アップ・ツアーに出場させていただきましたが、同年のプロテストも再び最終で失敗してしまったのです(45位タイ)。

この間に思うこともあり、ゴルフに専念しようと大学を中退。まずは2016年のプロテスト合格を目指してきましたが、3度目の正直というか18位タイとギリギリでしたが何とかツアープロへの第一歩を踏み出しました。会場となった周南カントリー倶楽部がある山口県は祖父の故郷であり、初めて国体に出場したのも山口。祖母にも応援にきていただき、「人生で一番うれしかった」ことを今でも鮮明に思い出します。

でも、一方で私の心の中には何かモヤモヤが大きくなり始めていた。プロテストに合格する前の2015年から試合に出ていたとはいえ、そこには今一つ成長を感じていない自分がいたのです。QTでふるわなかったために(2016年、2017年ともにサードQTで敗退)、年々、「焦燥感」が大きくなっていった。

「私はどうすればいいのだろう?」

どんどん試合の場が失われていく2018年、冒頭で述べたようにきっかけはフイに訪れました。私の紹介が長くなってしまったので、そのきっかけは次回とさせていただきます!

※同連載は週1回の更新で、全8回を予定しています。

■村田理沙(むらや・りさ)
1995年6月22日、東京都三鷹市出身。身長161センチ、体重52キロ。祖父母の影響で8歳からゴルフを始めた。杉並学院高校(東京都)から山梨学院大学(山梨県)に進学したが中退し、まずは日本のプロテストに専念。3回目の2016年7月29日に合格し、晴れて正式な女子プロゴルファーとなった(88期生)。2019年には米国下部「シメトラツアー」でプレー。帰国後に日本のQTを受け99位の成績だったことから、今年はステップ・アップ・ツアーを主戦場としている。アメリカ人の父と日本人の母を持つ美人プロとしても有名。ゼビオホールディングス所属。