松山英樹「東北への秘めた思い」恩師・東北福祉大ゴルフ部の阿部靖彦監督語る

松山英樹「東北への秘めた思い」恩師・東北福祉大ゴルフ部の阿部靖彦監督語る

2013年、「つるやオープン」でプロ転向初勝利を挙げた当時大学4年の松山を祝福する阿部監督(C)日刊ゲンダイ

【マスターズ制覇 松山英樹「現在・過去・未来」】#6

 2011年の東日本大震災直後、大学2年生だった松山英樹(29)は、アマチュアとしてマスターズに出場。27位に入り、日本人として初めてローアマを獲得した。

 松山を指導した東北福祉大学ゴルフ部の阿部靖彦監督(58)は当時から、「僕が生きている間にマスターズの表彰台に上がれるのは松山英樹だけだろう」と周囲に漏らしていたという。

 あれから10年。予言が現実となった阿部監督は、改めてこう語る。

「全国のいろいろな方から電話、メール、SNSで祝福のお言葉をいただきました。『あれ? こんなに友達がいたっけ?』と思ったほどです(笑い)。本当に皆に支えられていたんだなと、深く実感しました。英樹が目標としていた世界の頂点の達成が、多くの方からも喜んでもらえたことが、非常にうれしいです」

■プロか大学進学か

 松山が東北福祉大を進学先に選んだ理由は、阿部監督の熱烈なラブコールがあったからだ。高知・明徳義塾高2年からナショナルチームに選ばれ、多くの国内大会でタイトルを獲得していたが、本人はプロになるか、それとも進学するかで悩んでいた。そこで阿部監督が愛媛県松山市の実家まで赴き、松山の両親を含めた面談を開いてこう言った。

「英樹は高卒でプロに行っても(国内では)活躍できる。しかし、世界で戦える松山英樹になってほしい。そのための4年間として、ウチに来てほしい」

 説得を受け、この一度限りの面談で松山の進路が決まったのだ。

「お母さまも『英樹、あんた、大学へ行き』と後押ししてくださいました。当時の身長は今の182センチとあまり変わりませんでしたが、体重は20キロも少ない70キロほど。だから、まずは体づくりということで、『人の倍ではダメだ。3倍、5倍食べなさい』と。もちろん、トレーニングも他人の何倍もするように言いました。松山は全てに勝ってきたわけではないし、学校別の大会では補欠に回ったこともある。その都度、改善点を探し、黙々と自分が納得するまで突き詰めて練習していた。今でも、大会期間中だって『ゴルフ場に最後まで残って練習しているのは松山だ』と言われているでしょう」

 大学時代はゴルフ漬けというわけではない。阿部監督は常々、部員に対し「ゴルフだけのやつになるな」と言い聞かせ、サッカーやボウリング、テニスなどあらゆるスポーツを経験させた。その中でも特に「英樹は野球が大好きで、アメリカにグローブを2つ持っていって、いつでもキャッチボールできるようにしている」(阿部監督)そうだ。

 アメリカではボストン滞在中に当時レッドソックスの上原浩治(46)とキャッチボールをしたこともある。その腕前は、上原が自身のツイッターに「ゴルフも野球も上手いって……ずるいわ」(原文まま)と書き込んだほど。

■今も住民票は宮城県

 大学4年時にプロ転向し、卒業後は活動拠点をアメリカに。しかし今でも住民票は大学時代を過ごした宮城県にあり、地域に多額の税金を納めている。東北豪雨(15年)や、熊本地震(16年)などが起きた際は、チャリティーサイン会を開いたり、義援金を送った。

「優勝後の会見で、『東北の皆さんに後押しされたから10年前のマスターズに出られた。その気持ちを今でも持っている』と言っていたでしょう。あれは偽りのない本心です。多くは語らない子だけど、ずっと秘めた思いを持ち続けてきた。それはこれからも変わりませんよ。応援してくれる方のためにも、自身の目標のためにも、マスターズで優勝したからといって、満足して歩みを止めることはない。『1週間は余韻に浸りたい』なんて言ってましたが、本人の目線はすでに先へ向いているはず。どんな時でも一歩一歩、前へ前へ、それが松山です。アメリカへ渡った時、『10年は帰ってくるな』と言いましたが、『もうあと10年だな』と伝えておきました(笑い)」(阿部監督)

 今後の10年も楽しみだ。

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