森保監督“首の皮一枚”の2勝目もW杯自動出場は依然ピンチ…現体制をつくったJFA田嶋会長の罪

森保監督“首の皮一枚”の2勝目もW杯自動出場は依然ピンチ…現体制をつくったJFA田嶋会長の罪

声を張り上げる回数も多かった森保監督(C)JMPA

 引き分け以下なら森保監督解任と言われたW杯最終予選4戦目のオーストラリア戦(12日)。

 前半8分、MF南野の左からのクロスを受けた右サイドのMF田中が右足を振り抜き、ゴール左サイドネットに叩き込んだ。W杯最終予選初招集にして、1試合目で初ゴールの大殊勲である。

 最終予選1勝2敗スタートと大きく出遅れた森保一監督(53)が、オーストラリア戦で珍しくアクティブに動いた。

 ボランチを定番の2人から3人に増やして中央にMF遠藤、左にMF守田、右にMF田中を配置して4―2―3―1から4―3―3に陣形を変更した。

 後半25分に同点に追い付かれてスタジアムに不穏な空気も漂ったが、同41分にFW浅野の左足シュートがオウンゴールを誘発して勝ち越した。元サッカーダイジェスト編集長の六川亨氏が言う。

「ピッチ中央に<逆三角形>に置かれた遠藤、守田、田中の3人が流動的に動くことにより、ボールが小気味よく回るようになって試合をコントロールできた。東京五輪で好連係を見せた遠藤、田中がようやくA代表で一緒にプレー。1トップが大迫から古橋に、左SBが長友から中山に代わった。遅きに失した感はありますが、ようやく森保監督も若返りに踏み切ったということです」

■チャンスに決めきれない

 もっとも「まだまだ楽観視はできません」と前出の六川氏がこう言う。

「勝つには勝ったが、追加点を奪えないまま同点弾を食らうなど、チャンスに決め切れずに、すんなり勝てないところが不安材料です。W杯自動出場が厳しい状況にあることに変わりはありません」

 剣が峰に立たされながら、首の皮一枚残った森保監督は、そもそも「代表監督に興味はない」と話していたものである。

 2017年10月に東京五輪代表の指揮官に就任。

 翌18年4月に当時の日本代表を率いていたハリルホジッチ監督が「選手とのコミュニケーションと信頼関係が薄れた。オールジャパンで良い方向に持っていきたい」(田嶋幸三JFA会長)と電撃解任。JFA技術委員会の西野朗委員長が後任指名され、その際に森保五輪監督が補佐役としてA代表コーチに就いた経緯がある。

 そして同年のロシアW杯後、西野監督の勇退に伴ってA代表の監督を兼務することになった。

 J広島の監督として12年から「4シーズンで3回のJ優勝」という実績を誇る森保監督。日ごろから「(自分は)選手と毎日一緒に練習し、チームを一歩一歩レベルアップさせていくクラブの指導者が向いている。代表監督は絶対にやらない。東京五輪じゃなかったら引き受けなかった」と話していた。

会長自身のステータスを上げるための方策

 自説を曲げて五輪代表監督に就任した理由は2つ。まずは50年に1度の母国開催五輪で代表チームを率いるという仕事に対して「これほどの名誉はない」と感じたこと。

 もう1つは「長崎県に生まれて広島県でサッカーを続け、Jリーグ広島で監督をやらせてもらった。被爆地と縁のある人間として平和の大切さをアピールしたい」(森保監督)という痛切な思いがあった。ともあれ想定外のA代表の監督まで兼任することになったのは、日本サッカー界にとっても森保監督自身にとっても不幸だった。

「森保兼任監督体制をつくった田嶋JFA会長にも<任命責任>がある」とはサッカー関係者。

「16年3月に現職に就いたJFA田嶋会長は、自身の功績作りとして<ジャパンズウェイ>という言葉を持ち出し、日本代表の監督、コーチ、スタッフをオール日本人にしてW杯に臨むことを思いつき、再任された直後の18年4月に<西野代表監督体制>をつくり、本番でも16強入りとそれなりの成果をあげた。さらにW杯後も同じコンセプトの道筋を立てるために森保五輪監督にA代表監督を兼務させることにした。森保監督にA代表を率いる資質が備わっているかどうか、ではなくて<会長自身のステータスを上げる>ための方策だった」(前出の関係者)

 20年1月、森保五輪監督が指揮を執った東京五輪代表は、タイで開催されたU―23(23歳以下)アジア選手権の1次リーグで敗退した。予選免除だった東京五輪は決勝トーナメント以降、主軸に頼り切るサッカーでチームを疲弊させ、メダルなしの4位に終わった。

 W杯最終予選では序盤1勝2敗と崖っぷちに立たされ、この日のオーストラリア戦の勝利でひと息ついたとはいえ、W杯自動出場圏外であることに変わりはない。

 これからも森保監督体制で本当に大丈夫なのか? 不安は尽きないし、現体制をつくったサッカー協会であり田嶋会長の責任は大きい――。

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