記念すべきJリーグ開幕戦は印刷所のテレビで見ていた【六川亨のフットボール縦横無尽】

記念すべきJリーグ開幕戦は印刷所のテレビで見ていた【六川亨のフットボール縦横無尽】

マリノスのディアス(C)Norio ROKUKAWA office La Strada

【六川亨のフットボール縦横無尽】

 サッカーの天皇杯は今年で100回目を迎える。記念すべき節目の年であるが、新型コロナウイルスの影響で規模を縮小して50チームで争われる。しかもJリーグ勢はリーグ戦の消化を優先するために2チームしか出場しない予定だ。

 そのJリーグだが、村井満チェアマンは最短で6月中旬の再開、開幕を目指している。しかしながら、それも厳しい情勢になっている。

 今年で28回目を迎えるJリーグは、1965年にスタートした前身のJSL(日本サッカーリーグ)の26回を抜いて歴史を積み重ねているが、果たして今シーズンを無事に再開できるのか。こちらは出口の見えない新型コロナウイルスとの戦いに委ねるしかないだろう。

 さて5月といえばーー。やはり1993年の5月15日土曜日を思い出さずにはいられない。そう! Jリーグが開幕した日だ。

■1993年5月15日

 開幕戦のカードはJSL時代の80年代に覇を競った横浜マリノス(日産)ーヴェルディ川崎(読売クラブ。現東京ヴェルディ)戦。両チームには日本代表が多く在籍し、当然といえば当然のマッチメイクだった。

 ちなみに観戦希望者は郵送で申し込み、当選者に名前が印刷された特製のチケットが送られるというプレミア性の高いものだった。

 当時はサッカーマガジン、ストライカー、そして編集長を務めていたサッカーダイジェストの専門3誌は、1試合につき最大4名の記者が取材できた。

 しかし、筆者は開幕セレモニーや川淵三郎チェアマンの「開会宣言」を国立競技場ではなく、テレビで見ていた。というのも当時のサッカーダイジェストは月2回の発行だったが、土曜日にJリーグ以外のページの最終チェックを行い、下版(印刷に移行することを確認・承認・依頼)しておく必要があった。業界用語でいう出張校正というやつだ。

 筆者と副編集長だった金子達仁氏の2人で東京・市ヶ谷にある大日本印刷に出向き、テレビを横目にゲラのチェックをしていた。そして下版するやいなや、国立競技場に駆け付けて後半から記者席で取材することができたのである。

 翌16日日曜日は、全国各地で開始時間をずらしながら開幕戦以外の4試合が行われた。

 午後1時5分、神奈川・三ツ沢公園球技場で行われた横浜フリューゲルスー清水エスパルス戦は横浜フが3-2で逃げ切った。横浜フの2点目を決めたモネールが、得点後にチームメイトとお尻をぶつけ合うパフォーマンスを披露。その後は「モネールダンス」として定着した。

 午後1時59分にキックオフされたサンフレッチェ広島ージェフユナイテッド市原(広島スタジアム)戦は開始1分、広島の風間八宏が右足ボレーシュートで先制点を決めた。これがJリーグにおける日本人選手の第1号ゴールだった。

 衝撃的だったのが、午後4時開始のカシマスタジアムで行われた鹿島アントラーズー名古屋グランパスエイト戦である。世界的スーパースターの鹿島ジーコ、名古屋リネカーの直接対決としても注目度の高い一戦だった。試合はジーコがJリーグ第1号のハットトリックを決めれば、後半に鹿島アルシンドが2ゴールのゴールラッシュ。名古屋を5-0と一蹴した。

 唯一のナイターとなったガンバ大阪ー浦和レッドダイヤモンズは、万博記念競技場で午後7時4分にキックオフされた。試合は、その後の両チームの低迷を予感させるに十分だった。単調なプレーに終始。ハーフタイムにはイベントのために暗くした照明の復旧に手間取り、後半の開始時間が遅れるというハプニングもあった。

 この試合はテレビ東京系列が中継してアナウンサーに金子勝彦氏、解説に岡野俊一郎氏(元JFA名誉会長。故人)という老舗サッカー番組「ダイヤモンドサッカー」の名コンビが復活したが、視聴者からの評判は、あまり芳しくなかったと聞いた。岡野氏の蘊蓄に富んだ話よりも、若い世代は試合によりフォーカスした解説を望んでいたようだ。

 各試合とも担当記者2名が現場で取材したが、筆者は編集部内のテレビで各試合をチェックし、どの試合のどのシーンを表紙にするか、そして掲載する試合の順番・大小を決めるのがメインの仕事だった。

■迷ったあげくディアスのガッツポーズを表紙に

 表紙は大いに迷った。順当なら開幕戦で決勝点を決めた横浜マのディアスだろう。しかし、ナイターのために写真は光量の問題があって暗く、書店に並んでもインパクトに欠ける可能性があった。

 対抗候補はデーゲームでハットトリックを達成したジーコ。いずれにしても、この2人しか考えられなかった。

 そして最終的にディアスのガッツポーズを表紙に選んだ。ライバル誌のサッカーマガジンが、ジーコを表紙にしたので「これはこれで差別化ができて良かった」と思った。

 当時の出版界には、データ入力などという便利なものはなかった。カメラはデジタルではなく、フィルムだったので現像するにも時間が掛かった。原稿は写植(写真植字)を台紙に貼るスタイル。アナログの時代だったので今とは労力も時間も比べものにならないほど要した。

 慌ただしくJリーグ開幕の仕事をこなし、一息付いたと思ったら第2節の19日水曜日が迫っていた。

  思い返しても週2試合開催の連続は、とてつもなくハードな日程だった。あの頃の選手がいかにタフだったか、今更ながら感心せずにはいられない。

(六川亨/サッカージャーナリスト)

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