ロシア移籍のMF橋本拳人 FCロストフを欧州の舞台に導けるか【六川亨のフットボール縦横無尽】

ロシア移籍のMF橋本拳人 FCロストフを欧州の舞台に導けるか【六川亨のフットボール縦横無尽】

浦和戦で奮闘するMF橋本(C)Norio ROKUKAWA/office La Strada

【六川亨のフットボール縦横無尽】

 Jリーグは7月26日のJ1広島vs名古屋を新型コロナウイルスの影響によって急きょ中止した。

 PCR検査の結果、名古屋の2選手とスタッフ1人に陽性反応が出たことに加え、濃厚接触者の特定に時間がかかり、広島戦はエントリー可能となる〈ベンチ入りはGK1人を含む最低14人〉という規約を満たせない可能性があったからだ。

 感染者のひとり、DF宮原は22日のアウェー大分戦の帰路、新幹線の車中で隣に座っていた選手が弁当を食べたことが「(宮原との)濃厚接触の疑いがある」と行政サイドから判定された。水分の補給ならマスクをずらすだけで済むが、食事となるとマスクを汚さないためにも外すケースが多い。

 今後は、密集地での飲食はもちろん、スタジアム内でも飲食も制限されるかもしれない。

 さて――。

 26日の札幌戦を最後に横浜MのMF遠藤渓太(22)が、ドイツ1部ウニオン・ベルリンに期限付き移籍した。

 その1週間前の18日の浦和戦では、FC東京のMF橋本拳人(26)が、ロシア1部のロストフへ移籍するために試合後、ホームのファンに別れを告げた。

 2人とも将来を嘱望されるボランチだが、横浜MやFC東京のファンやサポーター以外、彼らの名前を知っている人は、果たしてどのくらいいるのだろうか?

 遠藤には日本代表の肩書はあるが、初選出は2019年12月に韓国で開催されたE-1サッカー選手権(旧東アジア選手権)だった。同大会は代表の主力である海外組を招集できず、国内組が中心になって招集された。その上、翌2020年1月にタイでU-23(23歳以下)アジア選手権が開催されることになっていることから、経験値を高めるために五輪候補から11人がA代表に抜擢されたという経緯があった。

 昨シーズンは横浜Mで左サイドのアタッカーを務め、優勝を決めた第34節・FC東京戦を含めて7ゴールを挙げるなどチームに貢献したが、やはり遠藤と言えばG大阪の〈保仁〉であり、ドイツ2部シュトゥットガルトの1部昇格の原動力のひとりとなった〈航〉をイメージする人が多いのではないだろうか。

 同様に橋本も日本代表に定着しつつあるとはいえ、その知名度が全国区になる前にロシアに新天地を求めたと言える。

 その橋本は2019年3月、日本代表に初招集されると、3月26日のボリビア戦で代表デビューを飾り、その後も森保ジャパンにコンスタントに起用された。9月から始まったW杯アジア2次予選でもアウェーのミャンマー戦(2ー0)、タジキスタン戦(3ー0)に先発フル出場を果たして勝利に貢献。

 この年トータル7試合に出場してスペインの柴崎岳(ラ・コルーニャ)とのボランチコンビは、森保ジャパンの新ユニットとして定着していった。

 新型コロナウイルスの影響で3月と6月のW杯予選が延期されていなければ、橋本の活躍が予想されただけに更なる知名度のアップにつながっていたことだろう。

 彼は〈苦労人〉という一面を持っている。

 出身は東京都の板橋区だが、小学校年代では自宅から地下鉄一本で通える板橋区内の高島平SC、お隣の豊島区内の三菱養和SCといった名門ではなく、埼玉県との境にあるフナトアミーゴSC(現アミーゴフットボールクラブ)という少年団でプレーした。

 同少年団からJリーガーになったのは橋本が初めだし、板橋区出身の日本代表選手も橋本が初めて。板橋区に生まれ育った筆者は、彼の成功をひそかに期待した甲斐があったというもの――。

 小学校を卒業した橋本は、中学年代からFC東京の下部組織で順調に成長し、トップチームや期限付き移籍した熊本などを経て2015年にFC東京へ復帰した。

 橋本自身はボランチでのプレーを希望していたが、恵まれた身体能力とポテンシャルの高さからCB、右SB、右サイドMFなど複数のポジションでプレーできるユーティリティープレヤーとして存在感を示した。

 ところが2016年はプレーオフからケガ人が続出。リオ五輪の代表候補に選出された橋本に対して、FC東京の城福監督はケガ人による選手層の薄さから、橋本が五輪候補のキャンプに呼ばれることに難色を示した。

 そして代表メンバー発表前の最後のテストの場であるトゥーロン国際大会(フランス)を〈ACL出場を優先する〉ことを理由に辞退することになり、橋本はリオ五輪のメンバーから外れた。FC東京のチームメイトであるSB室屋成、MF中島翔哉の活躍をテレビで見守るしかなかったが、その頃から日本代表への思い入れは人一倍強かった。

 転機となったのは2019年3月である。

 キリン杯に臨むメンバーが発表された後、川崎FのMF守田が負傷によって招集を辞退。代わりに橋本が追加招集され、キャンプ2日目の19日にチームに合流した。

 初招集に緊張した面持ちで記者の質問に答えていたが、ミックスゾーンでひと通り取材が終わり、顔見知りの記者に囲まれるとホッとしたのか、言葉より先に笑みがこぼれた。

「まだ実感がわかないというか、ここから頑張っていきたいという思いが強いです。五輪が終わった後。もうA代表しかないと思っていました。できるだけJでアピールして入るかっていうところを目指していたので初めて選ばれ、本当にうれしい気持ちでいっぱいです」

 念願の代表に初めて選ばれ、まさに偽らざる心境だろう。

 当時のライバルには遠藤航、小林祐希(ワースラント=ベフェレン)、山口蛍(神戸)らがいたが、試合を重ねるごとに出場の機会を増やしていった。

 そんな橋本を元日本代表の背番号10・ラモス瑠偉氏は「プレーを見ていてハートを感じる選手は橋本だけ」と断言した。これ以上にない、褒め言葉だろう。

 今現在、橋本の名前よりも、移籍先のロストフの方が知名度は高いかもしれない。というのも2年前のロシアW杯ラウンド16で日本がベルギーに劇的な逆転負けを喫した因縁の地でもあるからだ。

 橋本自身もオンラインでの会見で「僕が“ロストフの奇跡”を起こせるように頑張りたい」と雪辱を誓っていた。

 ロストフはネロ湖のそばに栄えたロシア最古級の都市だ。ホームスタジアムのロストフ・アレナはドン川の畔にある。ノーベル文学賞作家ショーロホの小説「静かなるドン」には、このドン川がしばしば登場する。

 まずは新天地ロストフでポジションを獲得し、自身の活躍でチームをヨーロッパの舞台に導くことができるかどうか。

 年齢的にもピークを迎えているだけにロシアの新シーズン開幕(8月9日)が楽しみでならない。

(六川亨/サッカージャーナリスト)

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