スヴェン・ゴラン・エリクソン 名将をつくる10のルール【雑誌SKアーカイブ】

スヴェン・ゴラン・エリクソン 名将をつくる10のルール【雑誌SKアーカイブ】

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[サッカーキング No.009(2020年1月号)掲載]

キャリア40年超。獲得したタイトルは19。
スヴェン・ゴラン・エリクソンが自らに課すルールを知れば、
「監督」という看板を「名将」に変える秘訣が見えてくる。

文=クリス・フラナガン
翻訳=清水 悠
写真=ゲッティ イメージズ

 1977年、スヴェン・ゴラン・エリクソンはスウェーデン3部のデゲルフォーシュで監督としてのキャリアを歩み始めた。

 選手として活躍した期間は短く、そのほとんどがスウェーデンの下部リーグでのプレーに終わった。しかし、ベンチでの仕事ぶりは違った。デゲルフォーシュでいきなり成功を収めると、IFKヨーテボリでも手腕を発揮。その後はポルトガルでベンフィカを、イタリアではローマとフィオレンティーナを指揮し、再びベンフィカに戻ると、またもイタリアに渡りサンプドリアとラツィオを率いた。

 2001年から2006年まではイングランド代表監督の重責を担った。その後、マンチェスター・シティ、レスターで指揮を執り、メキシコ代表とコートジボワール代表のベンチにも座った。活躍の場はアジアにも広がり、広州富力、上海上港、深?市足球倶楽部といった中国スーパーリーグのクラブを経て、2017年から2019年1月まではフィリピン代表を率いた。

 計8カ国、17チーム──。エリクソンの偉大なキャリアを超えられる人物はそういない。そしてこの数字は、さらに増えていく可能性すらある。現在、母国のスウェーデンで暮らす知将は、「興味を引く話があれば、チャレンジする可能性は十分にある」と話す。

 しかし、今は未来の話をする前に、過去の偉業を振り返ろう。一流が一流たる所以を知るために。

RULE 1
TAKING OVER A NEW TEAM
仕事を完璧に引き継ぐ

 新しい仕事を始めるときには、リサーチが欠かせない。私は選手全員の名前を覚えておくし、できる限り試合のビデオもチェックする。イングランド代表であれば、情報収集は容易だ。しかし、歴史の浅い新興クラブでの仕事となると、一気に難易度が増す。2013年に広州富力の監督に就任したときは、全員の名前を覚えておくことなど不可能だった。合流初日は全選手に会って、自己紹介をする。私がピッチ内外でこれから何をしていきたいのか、説明しなければならないからだ。どういうサッカーを目指すのか、選手たちが一人残らず理解できるように、分かりやすく説明する必要がある。選手がそれを受け入れてくれるかどうかは、監督の手腕次第だ。理解させ、受け入れさせ、実際に行動に移させる。そもそも監督自身が何をしたいのかがはっきりしていなければ、すべてのプロジェクトは失敗に終わる。

 イングランド代表の選手たちに初めて会ったときは、まず、オフ・ザ・ピッチでのルール、そしてピッチ内でどんなフットボールを志しているかを話した。フォーメーションは4−4−2なのか、4−3−3なのか、高い位置からプレスをかけるのか、待つのか。理想とする攻撃、守備、セットプレーについて、かなり詳しく説明する。

 オフ・ザ・ピッチでは、団結力を生むために常に協力し合うことを求めた。彼らは問題なくこなしてくれたと思う。ある意味で社会人としての常識レベルのものだが、ルールを浸透させるためには、はっきりと宣言する必要がある。

 チームがいい状態のときに仕事を引き受けたこともあれば、最悪の状況で就任が決まったこともある。それぞれシチュエーションは異なるし、一度として同じことはなかった。ただ一つ、どの職場においても決して語らないようにしていたことがある。過去のことだ。前監督が何を言ったとか、これまでクラブが何を成し遂げてきたとか、そんなことは話さない。考えるべきは今日のこと、そして明日のことだ。昨日のことは考えなくていい。

RULE 2
GIVING YOUNG PLAYERS A CHANCE
若者にチャンスを与える

 代表監督の座についたときは、「特別だ」と感じた選手はできるだけ早く招集すべきだ。「将来この国を背負って立つ選手になるかもしれない」と感じたら、すぐに呼ぶ。そしてフィジカル的にも戦術的にもメンタル的にも、準備が整ったと感じたら試合に出場させる。

 私がイングランド代表監督だった頃、当時17歳のウェイン・ルーニーを招集したことがあった。まだまだ若造だったが、ユーロ2004予選のトルコ戦で先発出場させた。試合に出られる準備が整ったと感じたし、彼自身も「準備万端だ」と語っていたからね。

 ウェインは当時からフィジカルはもちろん、メンタルも非常に成熟していた。自分が優れた選手だという自覚が備わっていたし、大舞台でもパフォーマンスを発揮できる自信があったんだろう。トルコ戦の前日に「お前を出そうと思う」と伝えると、ウェインはまるで予想していたかのように、「分かりました」とだけ答えた。

 代表経験のない若い選手が活躍してくれることは、監督である私はもちろん、チーム全体にとってもいいニュースとなる。ウェインが代表で活躍したときは、チームメートだけでなく、イングランドサッカー協会、そしてスタッフ全員が大いに喜んだよ。ベテラン選手たちも喜んでいた。

 クラブチームの監督を務めているときも、できるだけ若手にチャンスを与えたいと思っている。若手の発掘は、クラブにとっても間違いなくプラスになるから。どのクラブにも必ず有望な若手はいるものだ。ベンフィカでは元ポルトガル代表のパウロ・ソウザが目立っていた。ラツィオでは当時21歳だったアレッサンドロ・ネスタにキャプテンを任命したこともあった。準備が整っていると感じたら、迷わずチャンスを与えるべきだ。

RULE 3
MAN MANAGEMENT
選手をよくマネジメントする

 監督という仕事は、変化してきている。「20分間トレーニングをさせて、その後の練習メニューを説明をするだけ」というシンプルなものではない。選手たちのマネジメントが必要不可欠だ。

 選手たちがメディアから受けるプレッシャーは、20、30年前と比べて非常に大きくなった。新聞やテレビ、ラジオだけでなく、あらゆるメディアが普及しているからだ。低調なパフォーマンスを見せた選手はすぐに批判の的となる。だから選手たちのケアは重要な意味を持つ。

 意識すべきは、すべての選手にリスペクトの気持ちを持つということ。有名か無名かはもちろん、出場機会が多い、少ないも関係ない。リスペクトの気持ちを持って接すれば、相手もその気持ちを返してくれる。マネジメントにおいて、「リスペクト」は重要なキーワードだ。

 そしてスター選手を特別扱いしてはいけない。選手と監督をつなぐキャプテンとは頻繁にコミュニケーションを取っていたが、スター選手だからという理由で積極的に話をしたことは一度もない。

 これまで数多くの偉大な選手たちを指導してきたが、彼らには共通項がある。フットボールを愛し、練習が好きで、楽しんで働くことに喜びを感じているということだ。皆、とてもクレバーだった。すでに成功を手にしていても、練習をしなくてもいいなどとは考えない。今、努力をしなければ、この先のフットボール人生が短くなることを知っている。だから、ハードワークをいとわない。それこそが、彼らがスター選手でいられる理由だろう。

 私はどの選手にも同じように接する。99パーセントはうまくいったが、何度か苦戦したこともあった。選手と言い争うのはレアケースだったが、スター選手がほかの選手と違う対応を求めた場合は厳しく指摘した。公正でない、と。

RULE 4
COMING UP WITH A GAME PLAN
常にゲームプランを練っておく

 試合当日の私の話は短い。その日までの1週間で準備ができていなければ、当日にすべてをやることなど不可能だからだ。そして試合の翌朝には、次の試合に目を向けなければならない。

 2002年のワールドカップの予選で、イングランドが5−1でドイツを下した試合は、そのときのベストなメンバーを選ぶことができた時点で、勝負が決まっていたと言える。2001年の就任時に「3バックでいこう」と決断していたら、状況は難しくなっていたかもしれない。当時のイングランドでは3バックが主流ではなかったし、どの選手もプレーした経験がなかった。必要なのは細かい部分を確認することだった。ボールを奪われたときにはプレスをかけて取り返すか、あるいは自陣に戻って守りを固めるか、とね。

 幸運なことに、あの試合は理想的な形で進んだ。本大会ではアルゼンチンを下したが、あれも戦術どおりにうまくいった試合だった。いつもと同じ準備をして臨んだだけだが、フットボールは試合をしてみないと分からないことが多い。同じ準備をしていても、うまくいくこともあれば、いかないこともある。たとえば2005年に北アイルランドに0−1で敗れた試合がそうだ。そうした苦い記憶もしっかりと刻んでおく必要がある。

RULE 5
RECRUTING PLAYERS
選手を発掘し続ける

 代表監督にとって、選手の選出は簡単な仕事だ。十分なレベルに達していない選手やチームにフィットしていない選手を呼ばなければいいだけの話だから。

 しかし、クラブチームの監督となると話は変わる。印象の良くない選手がチームにいた場合、彼らを説得し、プレーや行動を改めさせなければならない。それが難しい場合は、他のクラブに移籍させることも一つの手だろう。

 新しい選手を獲得するときは、契約前の下調べが重要になる。大金をはたくことになるわけだから、慎重さが求められる。いいプレーをするかどうかはもちろん、ピッチ外での振る舞いに問題がないかも重要だ。どれだけチームの雰囲気作りに力を注いでも、新しい選手がそれになじめなければ、一瞬ですべてが崩れてしまう。

 私が2007年にマンチェスター・シティの指揮官に就任したときには、7、8人の新加入選手がいた。私が選んだ選手ではなくアシスタントコーチやスカウト陣の補強プランによるものだったが、皆いい選手だった。プライベートでの振る舞いも問題なかった。元ブルガリア代表のマルティン・ペトロフ、スペイン人のハビエル・ガリード、イタリア人のロランド・ビアンキ、元ブラジル代表のエラーノなど、いい選手がそろい、全員がチームになじんで結果を出してくれた。

 選手補強がうまくいかなかった例もある。2010年の当時2部にいたレスターだ。オーナーは私によくしてくれた。だからこそ多額の補強費を出してくれたわけだが、私の使い方がヘタだった。獲得した選手たちが結果を残せず、最終的に私は解任された。オーナーとして当然の判断だと思う。私の目論見が外れたのだから。

RULE 6
DEAL WITH THE CLUB HIERARCHY
上司とうまくやる

 クラブチームの監督として成功を収めたければ、周囲から好印象を持たれる必要がある。一人で殻に閉じこもるのではなく、様々なスタッフと話をして、今自分が何をしているのか、自信を持って堂々と伝えることが大切だ。

 オーナーとの関係がうまくいっていなければ、仕事をするのは難しくなる。もちろん選手との関係も大事だ。だからこそ、日頃からいろいろな人と積極的にコミュニケーションを取らなければならない。

 一般的に新しい職場が決まった際には、そのクラブのオーナーや会長との面会の場が設けられる。ランチやディナーを楽しみながら、フットボールや人生について話をするんだ。私にとってはもちろん、オーナーにとっても重要な時間になる。これから仕事を依頼する男がどんなことをやってくれるのか理解する必要があるからね。オーナーとの会談後にしっくりこなかったから、依頼を断ったこともある。

 ラツィオではセルジョ・クラニョッティ会長と仕事をしたが、あの頃は最高だったね。ミーティングはもちろんだが、家族ぐるみで食事にもよく出かけたものだ。なぜ最高なのか。私のことを心から信頼してくれていたからだ。私が何をしたいか、どんな選手がほしいかを話すと、いつも最初は「そりゃあ、高すぎる!」と言うが、「でもこの選手は必ず多くのゴールを挙げる」と伝えると、「オーケー。やってみよう」と言ってチャンスをくれた。

 そういう太っ腹なオーナーは消えつつあるように思う。マンチェスター・シティであれば好きなだけ補強できるかもしれないが、当時のイタリアではそんなことができるのは真のビッグクラブだけだった。だが、クラニョッティ会長はそれをやってのけたし、実際に結果を残したんだ。セリエA制覇という結果をね。

 マンチェスター・シティを率いていたときは、タクシン・チナワット会長が上司だった。彼の財力で7、8選手を買うことができたが、結果は皆さんも知ってのとおりだ。レスターのヴィチャイ・スリヴァッダナプラバ会長はすごく好きだった。私は彼と彼の息子によって解任されたわけだが、私が彼の立場でもそうしていたと思う。ヴィチャイがくれた予算で数選手を獲得したが、彼らは期待したほどの活躍をしてくれなかったから。でも、ヴィチャイは実にいい男だった。解任された事実は間違いないが、彼に対して敵意は全くないよ。

RULE 7
CHOOSING YOUR CAPTAIN
適したキャプテンを選ぶ

 キャプテンは、誰からもリスペクトされている選手がいい。一日中しゃべり続けたり、指示を出し続ける必要はない。しかし、ひと度口を開けばほかの選手がしっかり耳を傾ける。そんな選手が理想だ。

 チームの様子をよく観察していれば、誰がキャプテンにふさわしいかは自然と分かるだろう。チームメートにリスペクトされ、ロッカールームで「しっかりしろよ、ディフェンスが機能していないぞ!」と、そのとき起きている問題に対して声を上げられる選手だ。

 イングランド代表のキャプテンにデイヴィッド・ベッカムを選んだときは、ほとんど悩まなかった。ほかにもリオ・ファーディナンドやジョン・テリー、フランク・ランパード、スティーヴン・ジェラードといった適任者はいたが、デイヴィットはチームメートだけでなく、世間からもリスペクトされていたからだ。2001年10月のギリシャ代表との対戦は、彼がキャプテンにふさわしいことを証明した試合だったと思う。最高のFKも飛び出したしね。彼の持つ様々な特徴が存分に発揮された試合だった。

 デイヴィッドは決して口数の多いタイプではなかったが、彼が話すと皆が注意深く耳を傾けた。チーム全体に対して話すこともあれば、個別に話をする姿もよく見かけたよ。ウェインをはじめ、何人かの若手選手が初めてイングランド代表に合流したとき、デイヴィッドや数人のベテラン選手がケアしてくれた。緊張していた若手選手たちにとっては、心強かったに違いない。

 私もデイヴィッドとはよく話をした。フットボールのことも、チーム全体のことも、W杯に向けた準備のこともね。どこの都市に何日間宿泊して、どういう方法で移動をして……ということだ。気になることがあればすぐに伝えたし、デイヴィッドも「スヴェン、僕もそう思うよ」と聞いてくれた。「何日か時間をくれるかな、ほかのベテラン選手たちとも話をしてみる」と返してきたこともある。それこそが、コミュニケーションというものだ。

RULE 8
PRE-MATCH TEAM TALKS
試合前はリマインドに徹する

 ミーティングは短く、分かりやすくあるべきだ。思っていることを一から十まで話すべきではない。絶対に、だ。 守備、攻撃、セットプレー、そしてメンタル。今最も重要なことは何か。アウェーでドイツと戦う場合、選手たちを無理に活気づけ、鼓舞させる必要はない。選手たちも難しい一戦になることは分かっているから、黙っていてもハードワークしてくれるだろう。ホームで格下のチームと戦う場合は? そのときはしっかりと「戦え!」と気合いを入れるべきだ。

 実際、ドイツ戦の前にはいつもと同じような指示しかしなかった。ボールを奪われたときに重要になるのは何なのか。対戦相手によって武器はそれぞれ違う。カウンターが得意なチームが相手であれば、セットプレーの際にその後のカウンターを警戒した陣形を整える必要がある。高さがあるチームに対しては、「この位置でセットプレーを取られたら危険だから、十分に警戒すること」と伝える必要がある。

 試合の日までにしっかりと準備をして、練習場で細かい部分まで確認し、ミーティングルームで映像をチェックしてきたんだ。試合直前のミーティングは「リマインダー」でしかない。もちろんそれがうまく作用するときもあれば、しないときもある。なぜかって? 相手も同じように万全の準備をして臨んでくるからだ。

 ハーフタイムについても同じことが言える。伝える言葉は短くていい。どんなプレーがうまくいっているのかを示し、後半も続けるよう伝える。逆であれば、アプローチを変えさせる。15分間、細かいプレーについてしゃべり続けるようなことはしない。選手たちを疲れさせ、イラつかせるだけだ。ポイントはこうだ。短く、具体的に、分かりやすく。

 試合中はできるだけ冷静でいられるよう心がけていた。だが、そのせいで批判を受けたこともある。散々なプレーを見せて負けたときもクールすぎると言われていた。しかし監督というものは常に頭をクリアにして、偏らず、ブレずにいるべきだ。Fワードを叫んで、わめいて、冷静さを失うなんて建設的じゃない。内心はそうではないときも、穏やかに、落ち着いて、今何が重要で、何が重要ではないかを整理する。心だけでなく、頭を使うことだ。

RULE 9
ADAPTING TO A NEW COUNTRY
郷に入っては郷に従う

 中国人をスウェーデン流に変えようなんて考えは捨てたほうがいい。いつまで経っても、そんなことは実現しない。IFKヨーテボリを離れてベンフィカの監督になった頃、こんなことがあった。就任後初めてのアウェー戦に向かうべく12時半から13時頃のフライトを押さえていた。するとキャプテンを務めていた選手から「ランチタイムに飛行機に乗るのはちょっと……」と言われたのだ。

 そのときはこう思った。「スウェーデンでは誰もそんなことを言わない。着陸後にランチをすればいいだけじゃないか」と。だが、ポルトガルではお昼時が聖なる時間とされていて、ランチが重要視されているのだという。何を食べるかだけでなく、チーム全体で集まることに重きを置いているのだ。少し経ってからこの文化を知り、彼が言っていたことの意味が分かった。間違っていたのは私だったのだ。

 中国での生活に適応するのは難しかったが、最も大変だったのはフィリピンかもしれない。代表監督として数カ月間フィリピンで生活したが、あの国ではまだフットボールが重要視されていないと感じた。

 2018年に私が就任してから、フィリピン代表はアジアカップ初出場を成し遂げた。しかし、2016年にスズキカップを母国開催した頃は、観客の入りはせいぜい4000〜5000人程度だった。私の目的はフットボールがどんなものかを、フィリピンの人々に広く知らしめることだったが、志半ばに終わってしまった。協会とのやり取りなども実に難しかった。確かに決して楽しい思い出ではなかったが、いい経験だったと思っているよ。

 最も適応しやすかったのはイングランドだ。スウェーデンではイングランドのフットボールをお手本にして育ったからね。フットボールに魅了されたスウェーデンの人たちは皆、土曜日の午後にテレビにかじりついて、イングランドのトップクラブの試合を見ていたんだ。

RULE 10
DEALING WITH THE MEDIA
メディアとうまくつき合う

 私がまだ監督としてのキャリアをスタートさせたばかりの頃は、様々なメディアの取材クルーたちがチームと同じ飛行機やバスに乗って移動していたし、ホテルまで同じことすらあった。試合後にはバーに行って、取材クルーと一緒に酒を飲む。今日では、そんなことは不可能だ。そんな習慣は消えてしまった。個人的にはすごく残念に思う。当時は酒の席で馬鹿げた事件が起きても、決してその話は表に出ない“オフレコ”だった。互いにリスペクトの気持ちを持っていたからだ。

 しかし今日では全く状況が違う。でもフットボールはメディアを必要としているし、メディアもまたフットボールを必要としている。だからこそ互いにオープンな関係でなければならない。監督はロッカールームでのことを洗いざらい話すわけにはいかないが、私は可能な範囲で多くの情報を提供してあげたいと思っていた。もちろん、記者が書く内容に納得がいかないこともあるが、メディアにケンカを仕掛けても無駄だ。彼らは表現する場を持っている。いつだって最後の一撃を放ち、我々にとどめを刺せるのはメディアなのだ。

 イタリアにいた頃は、メディア対応に苦戦した。彼らは「忍耐」という言葉からほど遠い存在だからだ。結果が出なければすぐにたたかれる。ビッグクラブであればなおさらそうだ。でもある意味で、そうしたメディアの姿勢をリスペクトしていた部分もある。実際につるし上げられ批判されるだけの理由が、自分たちのチームにあったということだからね。

 イタリアのメディアは監督や選手の私生活については一切報じなかったが、イングランドは違った。私のプライベートにやたらと注目が集まってしまったのだ。W杯やユーロのような大きな大会のメンバーを発表する会見でさえも、私生活に関する質問が飛んできた。「イングランドが勝つために何をすべきかということよりも、私が昨夜何をしていたかに興味があるなんて」と呆れたものだ。だが、まあ、過ぎたことは忘れよう。今日も私は元気に生きている。それで十分だ。

※この記事はサッカーキング No.009(2020年1月号)に掲載された記事を再編集したものです。