ケヴィン・キーガン ニューカッスルに魔法をかけた男【雑誌SKアーカイブ】

ケヴィン・キーガン ニューカッスルに魔法をかけた男【雑誌SKアーカイブ】

1980年、現役時代のキーガン。78年から2年連続バロンドールを受賞し、英国サッカー界のアイコンとして君臨していた[写真]=Getty Images

[サッカーキング No.003(2019年6月号)掲載]

憤りと怒りで声は震えていた。テレビカメラの前で冷静さを失い、激高する──。
そんなケヴィン・キーガンの姿を覚えている人もいるかもしれない。
彼の率いるニューカッスルが魅せた刺激的なフットボールは大きなインパクトを与えた。
確かに彼らはプレミアリーグのタイトルを逃した。しかし、ファンの心だけはつかんで離さなかった。

インタビュー・文=サム・ピルガー
翻訳=田島 大
写真=ゲッティ イメージズ

 95−96シーズンの最終節、プレミアリーグのトロフィーは我々の本拠地セント・ジェームズ・パークに置かれていた。マンチェスター・ユナイテッドがミドルスブラに敗れ、我々がトッテナムに勝って逆転優勝──そんな万が一に備えて、プレミアリーグは“レプリカ”を用意していたんだ。結局、我々はスパーズと引き分け、ボロに勝利したユナイテッドがリヴァーサイド・スタジアムで本物のトロフィーを掲げた。我々はレプリカに近づくことさえ許されなかった。

 我々は魅力的なフットボールで首位を独走していた。一時はユナイテッドに12ポイント差をつけた。当時を振り返ると、今でも誇らしい気持ちになるよ。でもたまに夢でうなされるんだ。あんな形で優勝を逃せば誰だってそうなる……。

 少し話を戻そう。1992年、ニューカッスルはどん底にいた。30試合でたった6勝しかできずに2部リーグの最下位にいた。街中が噂をしていたよ。クラブがなくなるんじゃないかってね。

 当時、私はイングランドに帰国したばかりだった。1984年に現役を引退してからはスペインのマルベーリャに移り住み、ゴルフに夢中になっていた。二人の娘は、自分の父親をゴルファーだと思っていたんじゃないかな(笑)。フットボール界に戻るつもりはこれっぽっちもなかった。そこに突然、ニューカッスルのサー・ジョン・ホール会長から電話がかかってきたんだ。

 会長は私にニューカッスルの監督職を打診してきた。「今のニューカッスルを救えるものはこの世に二つしかいない。君の情熱と、私のお金だ」ってね。私は電話を切ったあと、妻のジェーンに相談した。すると彼女は「どうせ引き受けるんでしょう?」と言ったんだ。

 彼女は正しかった。これが他のクラブからの誘いなら断っていたかもしれない。でも私の父はジョーディー(ニューカッスルファン)だったし、私にとってニューカッスルは現役最後のクラブだった。

 私はニューカッスルが秘めている可能性にワクワクしたよ。それを引き出す自分の姿を想像して興奮した。セント・ジェームズ・パークに詰めかけるあの熱狂的なサポーターを私が喜ばせるんだ、なんてね。

 でもそんなロマンチックな感情は、クラブに足を踏み入れた瞬間に消え去った。練習場は見るに堪えない状態だった。私がアシスタントコーチに招いたテリー・マクダーモットが「肥溜め」と言ったほどだ。私はまず練習場の整備から手をつけた。6000ポンド(当時のレートで約135万円)も自腹を切ってね。

 監督に就任したとき、ミッキー・クイン、レイ・ランソン以外の選手のことはほとんど知らなかった。2部の他のクラブに至っては一人も知らなかったよ。練習初日、私はマクダーモットに言った。「これはマズイな」って。有能な選手もいたが、大半は実力不足だった。引退して7年も経つ私やマクダーモットのほうがうまかったんだからね!

 それでも私は彼らの力を引き出せる自信があったし、残留できると確信していた。そのとおり、我々は最終節に敵地でのレスター戦に勝利して残留を決めた。翌シーズンは残留争いなど眼中になかった。私は開幕前夜に「プレミアリーグに昇格してみせる」と断言した。そして、その約束を守った。

 新しい戦力も加わって、開幕から11連勝した。その勢いのまま2位に8ポイント差をつけて優勝した。チームは自信を深めていった。

ユナイテッドは勝ち方を知っていた
 プレミアリーグ1年目となった93−94シーズンは、ビッグクラブにも真っ向勝負を挑むと決めた。特に王者ユナイテッドとアレックス・ファーガソン監督には負けたくなかった。だからマッチデープログラムにこう書いてやったんだ。「アレックス、気をつけろよ。俺たちがタイトルを奪ってやるからな!」

 結果は3位だった。アンディ・コールとピーター・ビアズリーの最強コンビがリーグ戦で55ゴールをたたき出した。翌シーズンは少しもたついて6位に終わった。

 そして95−96シーズンだ。我々は開幕から10試合で9勝して、首位に躍り出た。それから8カ月間もその座を守った。

 我々は攻撃的なフットボールで多くの人々を魅了した。私はベンチにどっしりと腰を掛け、それを眺めているのが好きだった。あのチームは言ってみれば私の身勝手から生まれたチームだ。私が見たいと思うチームを作ったわけだからね。0−0で1ポイントを稼ぐようなチームに興味はない。そんなのフットボールじゃないだろう?

 選手たちも楽しんでいた。どんな相手でも倒せるという自信に満ちあふれ、チームの雰囲気も良かった。だから試合前に出す指示もシンプルだった。よく「戦術面に乏しい」とバッシングを受けたけど、一度たりとも反論しなかった。だってそのとおりだったからね(笑)。あのチームには素晴らしい才能がそろっていた。私は彼らに自由を与え、思いのままにプレーする許可を出した。そしてこう言うんだ。

「我々の能力は尋常じゃない。もし負けるのなら、それはフットボールのほうがおかしいんだ!」

 私はリヴァプールでの現役時代に、名将ビル・シャンクリーから大きな影響を受けた。彼はよくこう言っていたよ。「ピッチに出て、そこら中に手榴弾を投げてこい」ってね(笑)。私はいつも攻撃のことばかり考えていた。やりすぎだと思われても仕方がない。事実、チーム内にも疑問を抱く選手がいた。「監督、お願いだからDFを補強してくれませんか?」とセンターバックのダレン・ピーコックに泣きつかれたことだってある。

 1月中旬になると、我々は2位のユナイテッドに12ポイント差をつけていた。選手たちも優勝できると本気で信じるようになったし、誰もが我々の優勝を望んでいた。そして3月4日、ホームにユナイテッドを迎えた。彼らとの勝ち点差は4ポイントまで縮んでいた。勝てば7ポイント差、負ければ1ポイント差という大一番だ。

 前半は我々が圧倒した。でもどうしてもピーター・シュマイケルの牙城だけは崩せなかった。我々はその半年後に5−0でユナイテッドを倒しているけど、その試合よりも一方的に攻めていたと思う。ゴールだけが遠かったんだ。そうこうしているうちにエリック・カントナに決勝点を奪われ、0−1で負けてしまった。あれは痛恨だった。

 ユナイテッドは重圧のかかるなかでの勝ち方を知っていた。勝ち切る力は、実際に何かを勝ち取るまで身につかないものだ。ユナイテッドは修羅場を何度もくぐり抜けてきたから、決してパニックに陥らなかった。我々にはその力がなかったんだ。ウチには何かを勝ち取った実績のある選手がいなかった。

 次のウェストハム戦には勝利したが、続く敵地でのアーセナル戦は敗れた。そして今でも語り継がれるリヴァプールとの壮絶な打ち合いも3−4で落としてしまった。土壇場のところでスタン・コリモアに決勝ゴールを許したんだ。あのニアポストへのシュートはGKパヴェル・スルニチェクが止めるべきだった。今でもそう思うよ。もっと優秀なGKが必要だと分かっていたけど、どうしても獲得できなかった。別にパヴェルを否定するわけじゃない。真の意味で偉大なGKが欲しかったんだ。もしシュマイケルがウチにいれば優勝できたと断言できる。出番は多かっただろうけどね(笑)。
我々は真の意味で“エンターテイナー”だった
 今さら強がっても意味がない。シーズン終盤はとてつもない緊張と重圧の中にいた。普段なら確実に決めるようなチャンスも焦って外すことが増えた。

 やり直せるなら、何を変えるかって? 何も変えないよ。もっと守備を固めるべきだったと言うヤツらもいたけど、違う戦い方ができる戦力なんかなかった。我々は攻撃に特化したチームで、3年間そうやってきたんだから。

 DFを2枚ほど増やして、クソみたいな内容で何試合か勝ち切れば、優勝できたのかもしれない。でも我々はあのフットボールでリーグ制覇に迫ったわけだし、そこにこだわりたかった。我々は真の意味で“エンターテイナー”だった。“エンターテイナーすぎた”のかもしれないが。

 3月末には我々がユナイテッドを追いかける展開になった。ユナイテッドは4月中旬のリーズ戦も1−0で勝利して、首位の座をキープした。その試合でファーガソン監督はリーズが手強かったことに腹を立てた。

 私が聞いた話では、ファギーはリーズのハワード・ウィルキンソン監督に詰め寄り、マスコミの前で自分たちの恥を認めろと迫ったそうだ。

 なぜそんなことをしたのか? 理由は一つだよ。リーズが我々との試合を残していたからだ。ファギーは、リーズが我々との試合で手を抜くことを恐れて挑発したんだ。私はそれが許せなかった。他人が全力を尽くさないと責めるなんて、まるでフットボールを侮辱しているようじゃないか。ユナイテッド戦でしか頑張らないチームがいると主張するなんてバカげている。私はどうしても納得できなかった。対戦相手にかかわらず、どのチームだってベストを尽くすに決まっている。

 私は頭にきていた。だからリーズ戦で勝利を収めたあとに『Sky Sports』のインタビューで怒りをぶちまけた。我を失いそうになるほどにね。それが、あの怒号の真相だ。私はこう言ってやった。「ここまでは俺も黙ってきたが、あんなことを言うなんて失望したよ。いいか、よく聞け。これを見ているヤツはアイツに伝えろ! 俺たちは優勝を諦めていない。だからお前らはミドルスブラに乗り込んで結果を出さないといけないんだ。言わせてもらうが、これで俺たちが優勝したらマジでサイコーだ。マジでサイコーだよ!」

 後悔はしていない。感情を素直に言葉にしただけだ。ただ、あれは中継先でのインタビューだったから私はヘッドフォンをつけていた。あれをつけると声が大きくなるし、自分の声のボリュームに気づかないんだ。だからバスに乗って映像を見たときは驚いたよ。あんなに大声で叫んでいたなんてね(笑)。

 さらに頭にくるのは、あのインタビューのせいで我々が優勝を逃したと言われていることだ。あのせいで選手たちがナーバスになったなんて、勘違いもいいところだよ。ユナイテッドは残り1試合で我々に3ポイント差をつけていた。我々は2試合を残していたけど、得失点差を考えると事実上は4ポイント差だった。

 それに彼らの最終戦の相手は、ユナイテッドの英雄ブライアン・ロブソンが率いるボロだった。一方で我々はノッティンガム・フォレストとスパーズの両方に勝つ必要があった。ユナイテッドの優勝は決まったも同然だったんだ。

 あのとき、サー・アレックスは私の中で越えてはならない一線を越えた。私とは根本的に考え方が違った。彼はそうやって13回もプレミアリーグを制したけど、私は一度も優勝できなかった。別に恨みはないよ。彼とは一緒に食事するような仲じゃなかったし、親しかったこともない。でも互いをリスペクトしていたとは思う。だから余計に腹が立ったんだ。

 みんな我々が手中のトロフィーを落としたと言うけど、そうじゃない。ユナイテッドが勝ち取ったんだ。クリスマス以降の彼らの成績を見るといい。彼らはずっと勝ち続けていた。

 諦めムードの最終節は変な感じだった。試合終了後はファンへの感謝を示すためにピッチを一周することになっていた。でも私は、どうしてもそんな気分になれなかった。素晴らしいシーズンだったのは間違いない。けれど、何も手にできなかった。当時は2位に入ってもチャンピオンズリーグに出場できなかったしね。

「準優勝チームを覚えている人はいない」という言葉がある。でも、あのシーズンの我々のことは誰もが覚えているはずだ。みんなそれぞれに一推しのチームがある。ニューカッスルはみんなが“2番目に好きなチーム”だった。今後も我々のプレーが忘れられることはないだろう。ニューカッスルというエンターテイナーのフットボールをね。

※この記事はサッカーキング No.003(2019年6月号)に掲載された記事を再編集したものです。

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