グレアム・ポッター エンジェル・オブ・ザ・サウス【雑誌SKアーカイブ】

グレアム・ポッター エンジェル・オブ・ザ・サウス【雑誌SKアーカイブ】

この2年で評価を急上昇させているブライトンのポッター監督[写真]=ウィル・コーネリアス

[サッカーキング No.009(2020年1月号)掲載]

グレアム・ポッターの足跡は、他の指導者と一線を画す。
大学生の指導に始まり、スウェーデンの大自然の中で腕を磨き、
イングランドに戻ってからはスウォンジーを経てこの夏、
ブライトンの監督に就任した。だが、妻の賢明な助言がなければ、
欧州フットボール界のシンデレラストーリーは序章で終わっていたかもしれない。

文=クリス・エヴァンズ
翻訳=田島 大
写真=ウィル・コーネリアス、ゲッティ イメージズ

 グレアム・ポッターは指導するのが嫌いだという。少なくとも、昔はそうだった。プレミアリーグで手腕を振るう新進気鋭の言葉とは到底思えない。だが、本人がそう語るのだから仕方ない。ポッターはクラブハウスで行われたインタビューで、初めてのトレーニングの苦い思い出を打ち明けた。

「Cライセンス(イングランドフットボール協会の指導ライセンス)のコースを受けているときから気乗りしなかった。全く楽しめなかったんだ」。ポッターは茶目っ気ある笑みを見せながら話し始めた。「同じ受講生たちの前に立って、『止まれ』なんて指示を出すのが嫌でしょうがなかった。自分には向いていないとさえ思ったよ」

 マクルズフィールド・タウンでプレーしながらUEFAのBライセンスを取得したポッターは、クラブのアカデミーで研修を受けていたという。

「初めてチーム練習を担当したあと、妻に相談した。『全然ダメだった。最悪だ。私には向いてない』とね。だけど妻は『そりゃそうよ。やったことがないんだから当たり前じゃない』と言ってくれた。慣れるまでやるほかなかった」

 あれから15年半が過ぎたが、ポッターの不安は完全な杞憂に終わった。監督業に乗り出すと、わずか7年でスウェーデンの4部リーグからプレミアリーグへと駆け上がってみせた。

凍てつく辺鄙な土地でプロの監督に
 プレミアリーグでは昨シーズンまで、サム・アラダイスやアラン・パーデュー、マーク・ヒューズといった一昔前のメンツが“監督メリーゴーラウンド”の椅子を独占していたから、ファンはポッターを英国の新星として迎え入れた。だが、本人にその意識はない。

「比べられるのは気が引けるよ」とウェスト・ミッドランズなまりで説明する。「フットボール界で長くキャリアを積み上げてきた人に失礼だ。彼らは新しいアイデアや、他の人とは違う手法を取り入れながら指導してきたからこそ今がある。監督というのは、一人ひとり全く違うものなんだ」

 同じ国で指導する監督でも、指導法には明らかな差異があるとポッターは主張する。「例えば私とマルコ・シウヴァ(エヴァートン)は、パスポートを除けば何も変わらない。どちらも人間であり、どちらも監督だ。なぜパスポートを見比べる必要があるんだ? 国籍なんて関係ない。私は一人の人間に他ならないし、英国を代表する監督でもない。私は私だ。実績やキャリアの長さに関係なく、すべての監督に敬意を払いながら自分の持てる力を最大限に発揮する。それだけのことだ。歩んできた道のりはそれぞれ違うし、尊重すべきだと思う」

 彼の足跡をたどれば、その主張も頷ける。今でこそ世界最高峰のリーグにいるが、彼は2年前まで無名だった。選手時代の最盛期は、サウサンプトンでのプレミアリーグ出場8試合と、U−21イングランド代表の1キャップ。選手時代に気乗りしない研修を受けながら、通信制の大学で社会学の学位とリーダーシップ、感情指数の修士号を取得し、DFとしての選手キャリアに別れを告げた。しかし、キャリアのほとんどをヨーク・シティやマクルズフィールドといった下部リーグで過ごした彼に、魅力的な監督オファーが届くことはなかった。

 現役を引退したあとは教育現場でのコーチ業が原点となり、2005年にハル大学のチームを指導し始めた。リーズ・メトロポリタン大学でも監督を務め、イングランド大学選抜ではアシスタントコーチを任された。ポッターはフットボールと学業を両立させる若い生徒を指導しながら、徐々に自信を深めていったという。

「私はどれだけひいき目で見ても平凡な選手だったし、5年間も大学のフットボール界で働いていたから、イングランドのプロの世界でチャンスをもらえるわけがなかった」。ポッターは振り返る。「そんなときにエステルスンドからチャンスをもらった。私がこれまで見ていた世界とは全く別のものだったから、とても魅力的に思えた。すべてを投げ出すには覚悟が必要だったけどね。家族で移住できたし、何よりファーストチームで指導できるチャンスだった。これをきっかけに、いつかイングランドに戻ってこようと思った」

 エステルスンドはスウェーデンの北部に位置する。冬には気温が氷点下25度まで下がり、近くのストールション湖は車が通れるほど凍りつく。プロ監督業の最初の職場としては辺鄙な土地だった。

 友人のグレイム・ジョーンズ(現ルートン・タウン監督)の紹介で、エステルスンドのダニエル・キンドベリ会長と会うことになった。これがすべての始まりとなる。

「エステルスンドはそれまでの6、7年間、毎年のように監督をクビにしている不安定なクラブだった。それでも会長の言葉を信じたし、私も成功できると思った。最悪の結果を想像したこともあったよ。クビを切られて家族で帰国し、妻は仕事を再開。私もおそらく大学サッカーの仕事にありつく。そんな感じでね」
「英国人は国内のことしか気にしない」
 2010年、ポッターはクリスマスの2日前に監督に就任すると、エステルスンドはわずか5年間で3度の昇格を果たし、スウェーデン北部のクラブとして初めてアルスヴェンスカン(スウェーデン1部)に在籍する偉業を成し遂げた。2017年には国内カップを制し、ヨーロッパリーグ予備予選の出場権まで獲得。イングランドで英国人監督の評判がいつになく低迷していたなか、トルコの名門ガラタサライとギリシャ王者PAOKを制して本戦出場を決めた。しかし、その快挙に注目が集まることはなかった。

「別に注目されるためにやっていたわけじゃない」と彼は言う。「英国人は国内のことしか気にしないから、スウェーデンで昇格を勝ち取るイングランド人のことなんて眼中になかったんだ。でも、私は誇りに思っている。エステルスンドには7年半もいたし、あそこは自分のホームと呼べる場所だ。正直、今後あれ以上の成績は成し遂げられないと思う」

 17−18シーズン、チームがELを勝ち進むと、ようやくスカンジナビアの無名監督にスポットライトが当たり始める。グループステージではアスレティック・ビルバオ、ヘルタ・ベルリン、ウクライナのゾリャ・ルハーンシクを相手に3勝3分けで決勝トーナメント進出を決めると、次に待っていたのはアーセナルだった。

 底冷えする2月のエミレーツ・スタジアムで、ポッターはイングランド国民に衝撃的な“自己紹介”をした。スウェーデンから駆けつけた5000人のファンが監督の顔を描いた大きな旗を振るなか、エステルスンドは前半のうちに2点のリードを奪ってみせた。1stレグを0−3で落としていたチームが、大逆転劇を予感させた。

 後半開始早々にセアド・コラシナツに1点を返されて逆転の芽は潰えたが、それでも彼らはビッグクラブの本拠地で2−1の大金星を挙げた。アーセン・ヴェンゲルが「危機感を覚えた」と認めた試合について、ポッターはこう振り返る。

「イングランドの人たちは口をそろえてアーセナル戦の話をするけど、私からすれば重要なゲームのトップ3にも入っていない。最終的にアーセナルに敗れたが、特別な思いはなかった。別に気高い敗者を演じているわけじゃない。それまでにもビッグゲームがいくつもあったというだけだ。我々はガラタサライやPAOKを倒した。アーセナルと戦えたのは、ヘルタ・ベルリンやゾリャ・ルハーンシクを抑えて勝ち上がったからだ。私にとってはそっちのほうが特別だ」

 クラブがトップリーグに昇格したことで、他の欧州1部リーグがそうであるように、ポッターも監督のプロライセンスが必要になった。しかし、FA(イングランドフットボール協会)にはエステルスンドでの実績を認めてもらえず、国内で指導する監督が優先された。ポッターは2度もプロライセンスの申請を拒否されたという。

「当時のFAは国内選手に海外移籍を勧めていたくせにね。イングランド代表を率いていたロイ・ホジンソンだってそれを支持していたはずだ。3度目にしてようやく申請が通ったけど、その頃すでにアルスヴェンスカンで指揮を執り始めていたから、1年間は特別措置になった。プロライセンスを所持していないことをスウェーデンのメディアに指摘されながらも我慢したよ。他の英語圏の協会も探ったし、スウェーデンサッカー協会での受講も考えたが、顔を売るためにもイングランドでライセンスを取りたかった。だからこそいら立ちを覚えた。まあ、FAからしたら申請なんて山ほどあるから、苦渋の決断だったんだろう」
自慢のスタイルはイングランドでも健在
 現在、ブライトンの練習施設で紺色のジャージに身を包んでいる彼は、立派なプレミアリーグの監督だ。2018年の夏、イングランドに戻ってきたポッターは、スウォンジーで最終ラインから素早くショートパスを回す独自のスタイルや柔軟なシステム、若手の積極的な起用でさらに評価を高めた。

 イングランドを代表する新世代の指揮官として期待されるようになったその手腕は、すぐに同業者から一目を置かれるようになった。わずか1年でトップリーグのブライトンに引き抜かれたことがすべてを物語っている。彼には、短期間で自身の哲学を選手に浸透させる才覚が備わっている。

 しかし、スウォンジーの監督職には大きなリスクもあったという。プレミアリーグから降格したばかりのチームは、財政面で問題を抱えていた。

「おそらく人生で一番難しい選択だったと思う」とポッターは認める。「家族はエステルスンドになじんでいたし、自分にとっても心地いい場所だった。リーグ優勝してチャンピオンズリーグに出場するという新たな目標も立てていたしね。その環境から、降格したばかりのチームとともに不安定な世界へと飛び込むなんてね。過去に同じようなクラブを見てきたし、監督の職も危うかった」

 新参者にとっては“失敗パターン”にさえ思えた。失敗すれば「やっぱりね」と言われるくらい、スウォンジーでの挑戦にはリスクがあった。だが、ポッターにとってスウォンジーで指導することを決断するのは、エステルスンドに渡るときと状況が少し似ていた。

「冷静に考えてみると、スウォンジーは自分に合っている気がした。当時のチームはアイデンティティを失い、それを取り戻そうと模索していた。私は会長のヒュー・ジェンキンスとじっくり話し合い、アメリカ人のオーナーとも信頼関係を築いた。とはいえ、実際に就任するまでは、どれほど深刻な財政状態なのか分からなかった」

 1億ポンド(約140億円)とも言われる負債を抱えたスウォンジーは、降格により16人もの選手を手放すことになった。ポッターに託された任務は、スウォンジーが誇るパスワークの再生とピッチ上で結果を出すこと、そのうえで沈みかけの船を安定させるというものだった。

 3つの任務を達成するためにポッターが取った策は、若手の抜擢だった。ダニエル・ジェイムズ(現マンチェスター・ユナイテッド)やオリヴァー・マクバーニー(現シェフィールド・ユナイテッド)らを起用し、運動量とスピードが光る躍動的なチームを作った。最終的に10位に終わったが、開幕前には期待すらされなかったプレーオフ圏争いにも参戦した。FAカップでは準々決勝に進出し、ジョゼップ・グアルディオラ率いるマンチェスター・シティを相手に2点のリードを奪う健闘ぶりを披露した。

 その手腕はブライトンのトニー・ブルーム会長にも認められた。クリス・ヒュートン政権の昨シーズンのブライトンは、残留が精一杯だった。ブルームは勝ち点を拾ってなんとかプレミアリーグにしがみつくクラブを見て、アイデンティティのあるクラブへの変身を図りポッターに声をかけた。

 就任からわずか数カ月で、ポッターの魔法はすでに効力を発揮し始めている。昨シーズンまでに比べてポゼッション率やパス本数、ゴール期待値が増加し、10月には今シーズンにリーグデビューしたばかりの19歳のアーロン・コノリーの2ゴールなどでトッテナムを3−0で撃破。その後もエヴァートンとノリッジを退けてホーム2連勝を飾り、一時は8位にまで浮上した。ポッター自慢のスタイルは、イングランド南岸でも健在だ。

「このクラブには堅固な基盤があった。17−18シーズンからプレミアリーグで戦い、残留を続けるクラブには、チームの中心になれる優秀な人材がそろっていた。でも、ときには変革が必要だ。いい悪いは別にして、次の一歩を踏み出すためにね。選手たちは新しい手法と挑戦をすぐに受け入れてくれた。ミスをすることもあるけど、彼らには成長のために学ぼうという意思が見える。私にはそれが何よりもうれしいんだ。だが、ここはプレミアリーグだ。結果を出さなければ意味がないし、指示どおりに努力すれば勝てることを選手たちに納得させなければならない。ありがたいことに、うちの選手たちは頭が柔らかく、問題なく変化に対応してくれているよ。それに、彼らももちろん試合に勝ちたいと思っているからね」

 ポッターは、大学で指導していた頃から綿密に独自のスタイルを築いてきた。彼はエステルスンド時代、パフォーマンス能力を高めるために歌や演劇、ダンスといったユニークなトレーニング方法を用いてチームを構築した。選手は観客の前でバレエの『白鳥の湖』までも演じ切った。

 スウェーデンでの“文化活動”をプレミアリーグに取り入れることは好ましくないかもしれないが、ポッター独自のやり方はブライトンでも見られるだろう。明確なビジョンと、それを達成するプロセスを示すこと。彼はそれこそがクラブの将来につながると考えている。

「選手によって戦術を変えることはあるが、明確な指針は絶対だ。チームの目指すものやアイデンティティが見えれば、ファンも我慢強く見守ってくれると思う。ブライトンのようなクラブがプレミアで勝つのは容易じゃない。ここは容赦のないリーグだし、過酷な挑戦かもしれない。だが、チームが何かに向かって前進し、見る人がそれを理解してくれればさらに上へ行ける。そうすれば、自然と結果がついてくるはずだ」

 今のところ新政権の船出は順調だ。思い返せば、スウェーデンのクラブからイングランドのクラブへ渡ったポッターの経歴は、ホジソンのそれと類似する。72歳となったクリスタル・パレスの指揮官も、駆け出しの頃はハルムスタード、エーレブルー、マルメを率いたのち、インテルやイングランド代表、プレミアリーグでは5つのクラブで指揮権を任された。ポッターもいつかは、イングランド代表を指導したいのだろうか?

「その話題に触れるだけで変な汗が出るよ」と笑い飛ばす。「ほど遠い。そんなことを考える前に、やらなければいけないことが山積みなんだ」

 だが、ポッター自身も分かっているはずだ。向いていないと思った監督業で、プレミアリーグの指揮官にまで登り詰めてみせたのだから。

※この記事はサッカーキング No.009(2020年1月号)に掲載された記事を再編集したものです。

関連記事(外部サイト)