【THIS IS MY CLUB】結果を残して恩返しをしたい|富澤雅也(長崎)

【THIS IS MY CLUB】結果を残して恩返しをしたい|富澤雅也(長崎)

「結果を残して恩返しがしたい」と熱い思いを胸に秘めるGK富澤雅也 [写真提供]=V・ファーレン長崎

 DAZNと18のスポーツメディアで取り組む「DAZN Jリーグ推進委員会」が、その活動の一環としてメディア連動企画を実施。Jリーグ再開に向けて、「THIS IS MY CLUB -FOR RESTART WITH LOVE- Supported by DAZN Jリーグ推進委員会」を立ち上げた。サッカーキングでは、V・ファーレン長崎で在籍最年長となる富澤雅也選手に“クラブ愛”について語ってもらった。

インタビュー・文=出口夏奈子
写真提供=V・ファーレン長崎

――在籍7年で昨年まで在籍年数トップだった高杉亮太選手が栃木SCへ完全移籍したことで、富澤雅也選手がV・ファーレン長崎での在籍年数でトップになりました。2016年に加入して今年で5年目を迎えますが、ご自身の在籍年数が最長だということはご存知でしたか?

富澤 実はこの取材をいただく前から知っていました。ただ、僕も新卒で入ってまだ5年目なので、チームを引っ張るとか、そういった意識が芽生えているかというと、あまりそうではないんですよね。だから正直、僕が「“クラブ愛”を語る」という今回の取材を受けてもいいのかなっていう不安のほうが大きいです(笑)。

――そこは安心してください。しっかりと“クラブ愛”を引き出していきたいと思います(笑)。富澤選手がクラブに加入してからのこの4年というのは、クラブにさまざまな変化が訪れた、まさに激動の期間だったと思います。改めて振り返ってどんな日々でしたか?

富澤 本当に激動という言葉が当てはまると思います。僕が長崎に加入した当初のクラブは、ここまで大きな規模のクラブではありませんでした。特に2017年に起きた経営問題の時にはクラブの存続危機で、それを乗り越えて、今の安定したクラブ経営があります。そのおかげで、僕たち選手もサッカーに専念できていると思うので、まさにクラブ史に残る激動の日々を過ごさせてもらっていると感じています。

――この4年の間には、J1への昇格、そして1年でのJ2降格という、喜怒哀楽も経験することになりました。富澤選手自身は、まだ加入間もなかったこともあって、なかなか試合に絡めない時期ではありましたが、チームの一員として味わったJ1昇格、そしてJ2降格はどんなものでしたか?

富澤 J1に上がった時は本当にうれしかったです。それに、長崎のクラブとしての歴史が他のクラブと比べてまだ15年と浅い上に、J1に昇格するまでの成長スピードを考えると、ものすごく誇れることだと思います。残念ながら1年でJ2に降格してしまいましたが、それでもJ1で戦った経験というのは長崎にとって、とても大きな財産になったと思いますし、僕たちのクラブのこれから先の100年に向けて、物凄くいい経験ができたんじゃないかなと思っています。

――富澤選手はプロになって最初の監督が高木琢也氏で、昨年からは手倉森誠監督になりました。チームの目指すサッカースタイルはどう変化されましたか?

富澤 高木さんの時は、より献身的にチーム一人ひとりがハードワークをして、チームのために何ができるか、というところでは、一人ひとりが責任を持ってプレーするスタイルでした。手倉森監督は、より質というところで、もっと一人ひとりで状況の判断能力を上げる、プレーの質にこだわる。一人ひとりの成長がこのチームには欠かせない、チームのために一人ひとりが成長するんだという思いで、今取り組んでいるところです。

――ちなみに富澤選手はいつからGKをやっているんですか?

富澤 小学4年生からサッカーを始めたんですけど、その頃からGKをやらせてもらっていました。ただ小学生の頃は、GKだけというよりはフィールドもやらせてもらっていましたけどね。

――出身の神奈川県にはサッカーの名門校がたくさんある中で、わざわざ群馬県の強豪・前橋育英高校に進学されていますよね?

富澤 そうです。実は、神奈川県のサッカーの競争率は物凄く高いんですよ。それこそ強豪校が多いので、どこが全国大会に出られるか分からなかったんです。だけど僕は、どうしても全国大会に出場したかったので、僕の中で全国大会の常連校という印象が強かった前橋育英高校が魅力的に見えて、そこで一花咲かせたいなという思いがありました。

――ということは、高校進学の時には既にプロを意識していたわけですね?

富澤 いいえ、実はもっと前です。小学校の卒業文集に「プロサッカー選手になる」と将来の目標を書いてありました。その頃から強い意識を持って実際に取り組んでいたかどうかは別ですけど(笑)、そういう思いを強く持って生活していましたね。

――その後、法政大学に進学されて、ここ長崎で「プロになる」という夢を実現させたわけですが、長崎を選んだ理由は?

富澤 僕は選べるレベルではなかったですし、むしろ長崎さんが僕のことを拾ってくれた、という思いのほうが強かったですね。



――そうだったんですね。地元の神奈川、群馬、そして東京を経験しての長崎。既に長崎に住んで5年目ですが、長崎の街は住みやすいですか?

富澤 はい。とても住みやすくて、食事も美味しいですし、居心地がすごく良くて、ここでの生活は気に入っています。

――長崎は歴史や文化が交差する街だと思います。何か学んだことはありますか?

富澤 長崎と言えば、被爆地であるという事実は避けては通れないと思います。日本の、いや世界的に見ても、特別な県だとすごく感じています。その特別な県の中で、僕たちのV・ファーレン長崎というのは、唯一のプロスポーツチームです。ですから、戦争や原爆の歴史を風化させないこと、クラブとしても平和への思いを発信し続けていくこと、プレーをとおして「愛と平和と一生懸命」を体現していくことが僕たちの使命だと思っています。そして長崎県内に留まらず、日本全国やアジア諸国、さらには世界に誇れるクラブになっていくべきだと強く感じています。

――まさに「ナガサキから世界へ」の精神ですね。長崎の街でオススメの場所はありますか? それこそ平和記念公園や原爆資料館にも行かれましたか?

富澤 はい。長崎にはいいところがたくさんあって、いろいろな場所に行きましたが、やはり一番のオススメの場所は、平和記念公園と原爆資料館です。僕自身、何回か行かせてもらいましたが、ここは、僕たちが漠然としか学んできていなった歴史の事実や当時の思い、あの時代の背景を物凄くダイレクトに感じることができる場所です。だからこそ僕の中では本当に特別な場所で、深く考えさせられる場所なんです。まだ長崎に来たことがないという人でも、来たらぜひ立ち寄っていただいて、何かを感じてもらえたらと思います。

――私自身も何度か行かせていただきましたが、初めて見るとかなりの衝撃を受けるんじゃないかと思います。私は最初に訪れたのが小学生になる前で、あの現実を受け止めきれなくて泣きじゃくって眠れなくて、感受性を激しく揺さぶられた記憶があります。

富澤 僕自身も衝撃でしたね。言葉を失ったというか……。僕は特攻隊の飛行場があった鹿児島県の知覧を学生の時に訪れたことがあって。資料館にも行かせていただきましたし、大学選抜で広島遠征に行った時には広島の原爆資料館を見学させていただきました。そういった意味では多少衝撃は和らいでいたはずなんですけど……ただ、実際に長崎に住むことによって、他人事ではなく、自分事として感じられるようになりました。

――V・ファーレン長崎の一員になったからこそ、学び、そしてそれを世界に発信するという使命感を背負っているわけですね。

富澤 そうですね。僕たちは使命感を持ってやるべきだなと思っています。



――昨シーズンの長崎はカップ戦での勢いが目を見張りました。JリーグYBCルヴァンカップではJ2ながらグループステージを突破し、天皇杯ではJ1のベガルタ仙台を倒しての準々決勝進出など快進撃を見せました。準決勝では鹿島アントラーズ相手にあと一歩のところまで迫りましたし、J1が相手でも、ある程度チームとしても個人としても戦えるという手応えを感じましたか?

富澤 確かに、ルヴァン杯のグループステージ突破、天皇杯のベスト4という結果はクラブの歴史を変えた瞬間でした。本当にチームとして自信を持って臨んでいけた大会だったと思っています。ただ、まだ出場経験が浅い僕が試合に出場して感じたことは、試合の中での状況判断、試合の流れを察知してプレーの選択を決めていく作業がすごく大切なんだなということでした。自分がしたいプレーだけでなく、チームが求めるプレー、時にはそのプレーを超える自分の発想力も大事になってくる。そのすべての質を上げることが大事で、それをすごく意識するようになりましたね。

――そういった昨シーズンの経験があったからこそ、チームも、富澤選手自身も、今シーズンに懸ける意気込みが大きかったのではないかと思います。そんな中、起きた新型コロナウイルスの影響によるJリーグの中断、そして緊急事態宣言発出によるすべての活動の休止。こんなにサッカーから離れたことも初めての経験だったと思いますが、中断期間中はどんなことをして過ごされていましたか?

富澤 僕自身もコンディションをできるだけ落とさずに、家の中でできるトレーニングをしたり、三密を避けた場所を選びながら体を動かしたりして過ごしていました。そして改めて、ファン・サポーターの方々に支えられて僕たちはサッカーに取り組めていることを実感しました。僕だけじゃなくて、選手一人ひとりが支えてくれている方々に何かお礼ができないか、そんな思いでSNSの発信やクラブをとおした企画に参加して、いろいろな形でファン・サポーターの思いをつなぎ止める時間でもありました。本当にいろいろなことを考えさせられたし、難しい期間ではあったかなと思います。

――全国的に見ても長崎県は緊急事態宣言の解除が早く、チームもグループ別のトレーニングから早めに再開されていました。久々にチームメイトにも会って、思いっきりボールを蹴った感触はいかがでしたか。

富澤 素直にうれしかったですね。と同時に、改めてサッカーができる環境に感謝しました。長崎県内は東京ほど感染拡大しなかったこともあり、チームメイトともみんな元気に再会することができました。何より、こういう環境でできる感謝の気持ちがすごく大きくなりましたね。

――全体トレーニング再開後には早い段階でトレーニングマッチを行うなど、順調にコンディションも上がってきているのかなと思うのですが、Jリーグ再開は楽しみですか?

富澤 この状況でもチームとして十分にトレーニングに取り組めていますし、練習試合をとおしてみんなが意欲的に「もっと良くなるんだ」という気持ちを持って取り組めていると感じているので、僕たちもJリーグの再開が本当に楽しみです。ただ、それと同時にここから梅雨に入りますし、例年以上の連戦にもなります。今シーズンは非常に難しいシーズンになるはずです。たとえ僕たちがいい準備ができていたとしても、それ以上にうまくいかないことも出てくると思います。でも、僕たちはそんな状況に動揺しない心の準備もできているので、Jリーグの再開が今からとても待ち遠しいです。

――今年は変則的なルールで、いつもとは違うリーグになります。一つだけ分かっていることは、確実に過酷なシーズンになるということです。そして連戦になる上、交代枠も増えます。文字どおり、総力戦になると思います。その中で選手自身ができることは何でしょうか?

富澤 チーム力もそうですし、個人としても本当に一人ひとりが、このチームの目標に対して強い気持ちを持って、責任あるプレーを見せることだと思います。僕たちはJ1昇格のために準備をして、Jリーグ再開に向けて取り組んでいるところですが、一人ひとりがサッカーをできる感謝の気持ちを忘れず、サッカーができる環境を当たり前と思わずに、一瞬一瞬を積み重ねていく中で、サッカーで、そしてプレーで、表現していかなければいけないという思いが強いですね。そこにはどうしても勝ち負けといった勝敗が結果として出てはきますけど、一つでも多くの勝ちを積み上げて、最後にファン・サポーターの方に“J1昇格”をプレゼントしたいと思っています。

――そういう意味では、今年はクラブにとっては記念すべきクラブ創設15周年という節目の年になります。そんな年にJ1昇格を成し遂げることができたら、富澤選手自身にとっても、またファン・サポーターにとっても、そしてクラブにとっても最高のシーズンになると思います。最後に今シーズンに懸ける思いを聞かせいただけますか?

富澤 僕自身がチームの最古参ということで、物凄く不思議な気持ちですが、誰よりも在籍年数が長いということは、チームに対する思いが一番強くなきゃいけないんだと思います。これからそういったものを継承していく、次につなげていくためにも、僕自身、このチームで「しっかりと自分を表現したい」、「結果を残して恩返しをしたい」という気持ちが大きいです。昨年、1年でJ1に復帰できなかったという悔しい思いを知っている選手が、今年は僕以外にも多く残っていますし、そこに新しく仲間に加わった選手たちがいて、チームとして同じ目標に向かって走っていきたい。僕も含めて、昨年いた選手たちが自覚を持って、その責任を全うしていきたい、そんな思いでいっぱいです。
    

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