9人目はテン・ハーグ氏? プレミアリーグで指揮を執ったオランダ人監督たち

9人目はテン・ハーグ氏? プレミアリーグで指揮を執ったオランダ人監督たち

過去にプレミアリーグで監督を務めたオランダ人指揮官たち [写真]=Getty Images

12日、イギリスの各メディアが、マンチェスター・Uがアヤックスのエリック・テン・ハーグ監督と、新監督就任に“基本合意した”と報じた。



 就任が決定すれば、プレミアリーグ史上9人目のオランダ人指揮官となる。なお、この数字は英国を除くとイタリア人(12人)、スペイン人(11人)に次ぐ多さだ。

 そこで今回は、過去にプレミアリーグで監督を務めた8人のオランダ人指揮官を紹介する。

[写真]=Getty Images

■ルート・フリット(チェルシー、ニューカッスル)



在任期間:1996年7月〜1998年2月(チェルシー)、1998年7月〜1999年8月(ニューカッスル)

プレミアリーグで初めて指揮を執ったオランダ人はフリット氏だった。フェイエノールトやPSVなどを経て、ミランではマルコ・ファン・バステン氏、フランク・ライカールト氏とともに“オランダトリオ”を形成したフリット氏は、キャリア晩年の1995年の夏にサンプドリアからチェルシーに加入した。

 1年目からイングランドサッカー選手協会(PFA)選出のベストイレブン及びクラブの年間最優秀選手に選出されるなど活躍を見せたフリットは、翌1996年夏にグレン・ホドル監督のイングランド代表監督就任を受け、選手兼監督となる。兼任となった事で選手としての出場機会は減ってしまったものの、1997年にはFAカップを制覇。クラブに26年ぶりのメジャー・トロフィーをもたらすと同時に、イギリス及びアイルランド出身者以外で初めて、また、黒人としても初めてイギリスで主要タイトルを獲得した監督となった。

 1998年2月に首脳陣との対立でチェルシーを去る事になったフリットは、その後ニューカッスルを指揮。1年目からFAカップ決勝に進出し、ファンからの人気も上々だったが、中心選手だったアラン・シアラーとキャプテンだったロバート・リーとの不和もあり、翌1999-2000シーズンの開幕直後に解任された。

■マルティン・ヨル(トッテナム、フルアム)



在任期間:2004年11月〜2007年10月(トッテナム)、2011年6月〜2013年12月(フルアム)

 2004年、新たに就任したジャック・サンティニ監督のアシスタントコーチとして、トッテナムにやってきたヨル氏。しかし、サンティニ監督がわずか13試合でクラブを去る事となり、同年11月に監督に昇格。2004-2005シーズンを9位で終えると、翌シーズンからチームを2年連続5位に導き、UEFAカップの出場権を獲得。しかし、2007-2008シーズン開幕前に補強を巡る首脳陣との対立が取り沙汰されると、公式戦5試合未勝利となった2007年10月に成績不振を理由に解任された。

 その後、ハンブルガーSVとアヤックスの監督を経て、2011年夏にマーク・ヒューズ監督が去ったフルアムの監督に就任。ここでもクラブをトップハーフに導くなど健闘したが、2013年12月に成績不振で解任。

 なお、プレミアリーグ通算201試合で勝ち点276は、どちらもオランダ人として最多だ。

■フース・ヒディンク(チェルシー)



在任期間:2009年2月〜6月、2015年12月〜2016年6月

 2度に渡ってチェルシーを救った経験があるのがヒディンク氏だ。1度目は2008-2009シーズンの途中にルイス・フェリペ・スコラーリを解任した時。当時、ヒディンクはロシア代表の監督を務めていたが、シーズン終了までという条件のもと、兼任でチェルシーの監督に就任。バラバラだったチームを立て直し、公式戦22試合で負けたのは、わずか1回のみ。FAカップ優勝まで果たす完璧な仕事ぶりを見せ、チームを去った。

 2度目は2015年12月にクラブがジョゼ・モウリーニョ監督を解任した時だ。このときは、1回目ほど劇的に成績を改善できたわけではなかったが、モウリーニョ解任時16位だったクラブを10位まで押し上げ、アントニオ・コンテ監督にバトンを繋いだ。

 なお、プレミアリーグでの1試合当たりの獲得勝ち点は1.94で、これはどのオランダ人よりも多い。

■レネ・ メウレンステーン(フルアム)



在任期間:2013年12月〜2014年2月

 イングランドでは、監督としてよりもコーチとして名の通った存在かもしれない。メウレンステーン氏は、2000年代前半からマンチェスター・Uの下部組織で指導を行い、2008年からはサー・アレックス・ファーガソンのもとでファーストチームのアシスタントを務めた。

 その後、アンジ・マハチカラでヒディンク氏のアシスタント、監督を経て、2013年11月に、前述のヨル氏のアシスタントコーチとしてフルアムにやってきた。その1か月後にヨル氏が解任されたことで、監督に昇格。

 しかし、当時プレミアリーグ最下位に沈んでいたクラブは、わずか2か月でメウレンステーン氏を諦め、“鬼軍曹”として知られたフェリックス・マガト氏を招聘。プレミアリーグ史上初のドイツ人監督となったマガト氏だったが、クラブは結局降格。メウレンステーン氏は「自分だったら・・・」と思ったかもしれない。

 なお、メウレンステーン氏は現在、オーストラリア代表でグラハム・アーノルド監督のアシスタントコーチを務めており、3月に日本代表と対戦した際は、コロナウイルスに感染した同監督に代わり、前日会見に出席していた(試合ではアーノルド監督が復帰)。

■ルイ・ファン・ハール(マンチェスター・U)



在任期間:2014年7月〜2016年5月

 オランダ人で、マンチェスター・Uの監督を務めた“先輩”がファン・ハール氏だ。2014年ワールドカップ・ブラジル大会では、魅力的なサッカーでオランダ代表を3位に導き、大きな期待とともに監督に就任したファン・ハール氏だったが、就任1年目はタイトルを獲得できず。「試合が退屈だ」と批判される事も多く、2年目にFAカップ優勝を果たしたものの、その2日後に解任の憂き目に遭った。

 そんな先輩は、やはりこの事を根に持っているのか、先日、テン・ハーグのマンチェスター・U監督就任について「彼はコマーシャルクラブではなく、フットボールクラブを選ぶべきだ」と古巣を批判しながらアドバイスを送った。この助言は後輩の耳にどう響いたのだろうか。

■ロナルド・クーマン(サウサンプトン、エヴァートン)



在任期間:2014年7月〜2016年6月(サウサンプトン)、2016年7月〜2017年10月(エヴァートン)

 2014年夏、マウリシオ・ポチェッティーノ監督をトッテナムに引き抜かれたサウサンプトンが後任に選んだのはフェイエノールトの監督と退任したばかりのクーマン氏だった。この人事には懐疑的な見方もあったが、1年目にチームを7位に導き、ヨーロッパ・リーグ(EL)の出場権を獲得。2年目には1つ順位を上げ、6位でシーズンを終え、2年連続でEL出場権を獲得した。

 この手腕が認められ、クーマン氏はロベルト・マルティネスの後任として、エヴァートンの監督に就任。初年度にEL出場権を獲得するも、2年目は一時的に降格圏に沈むなど不振に陥り、2017年10月末に解任された。

 クーマン氏はその後、オランダ代表を経て、2020年夏にバルセロナの監督に就任。2021年10月に成績不振のため解任されたが、今年11月に開催される2022年ワールドカップ・カタール大会の後にファン・ハールの後任として再びオランダ代表監督に就任することが内定している。

■ディック・アドフォカート(サンダーランド)



在任期間:2015年3月〜10月

 2015年3月、厳しい残留争いの中、名門サンダーランドはグスタボ・ポジェを解任し、経験豊富なアドフォカート氏にクラブの命運を託した。同氏はクラブを素早く立て直し、2015年5月にアーセナルと引き分け、1試合を残して残留を決めた際は涙を浮かべて喜んだ。

 目標を達成したアドフォカート氏は、シーズン終了直後に監督業からの引退を発表したが、すぐに撤回し、サンダーランドと1年契約を延長。しかし、その選択は吉とは出ず、開幕から勝利が遠く、8試合未勝利となったところで解任となった。なお、クラブは19位で監督を引き継いだサム・アラダイスが、何とか残留にこぎつけた。

■フランク・デ・ブール(クリスタル・パレス)



在任期間:2017年7月〜9月

 77日間。これがデ・ブール氏がクリスタル・パレスの監督だった期間だ。「プレミアリーグ史上最低の監督」とはジョゼ・モウリーニョの言葉だが、開幕からリーグ戦4連敗、全てノーゴールだったとは言え、あまりに早すぎる気がしてならない。

 なお、最下位でバトンを受け取ったのは百戦錬磨のロイ・ホジソン。結局パレスはすぐには持ち直せず、開幕7連敗を記録するが、最終的には11位まで順位を上げたため、結果的に解任は正しかったとも言える。

(記事/Footmedia)

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