【コラム】スペインで「楽しさ」を取り戻した乾貴士、日の丸を背負い輝き放つ時

【コラム】スペインで「楽しさ」を取り戻した乾貴士、日の丸を背負い輝き放つ時

日本代表に復帰した乾貴士 [写真]=野口岳彦

 取材エリアでメディアに対応していたMF香川真司(ドルトムント)が、おもむろに言葉を途切れさせて振り向いた。後方の選手エリアから、誕生日を祝う大合唱が響いてきたからだ。

 輪の中心にいたのは、約2年2ヶ月ぶりに復帰を果たしたFW乾貴士(エイバル)。千葉県内で行われている日本代表合宿。6日目となった2日が、乾の29回目の誕生日だった。

「特にこれって変わったことはないですけど、楽しくサッカーをしたいと思います」

 さりげなく発した「楽しく」という一言に、スペインの地で心身ともに充実したシーズンを送り、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の眼鏡に再びかなった理由が凝縮されている。

 セレッソ大阪からブンデスリーガ2部のボーフム、同1部のフランクフルトを経て、乾は2015年6月にリーガ・エスパニョーラ1部のエイバルに移籍した。

 ドリブルに代表される個人技を徹底して磨く、セゾンフットボールクラブで小学生の時からサッカーに夢中になった乾は、いつしか海外の中でもスペインに憧憬の思いを抱くようになった。

「スペインでプレーしたいと、小さな頃からずっと夢見てきた。憧れ通りだったというか、上手い選手が大勢いるし、すごく楽しくできているし、何の不満もありません。ここで長くサッカーができたら、自分のサッカー人生で最高の宝物になると思っています」

 もっとも、1年目から絶対的な居場所を築いたわけではない。風向きが変わったのは昨年10月22日の第9節エスパニョール戦。2列目の左サイドで巡ってきた先発のチャンスで一発回答を弾き出し、ホセ・ルイス・メンディリバル監督の信頼を勝ち取った。

「ボールを失う回数も減ったし、守備の部分で戦術理解度も高まったし、攻撃の部分でも自分の特長も出せるようになった。いろいろなところが変わったと思う」

 レギュラーの座を不動のものとした理由をプレーの変化に帰結させた乾は、大きな要因としてメンタル面での変化を挙げる。

「ドイツではストレスを感じながらプレーしていたし、そういう点でも全然違う。スペインの中でも珍しいと言われるほどファミリー感のある、すごく雰囲気のいいチームなので。チームメイトたちとよくご飯も食べに行くし、よく絡んでくるし、ホントにいいやつらばかりなので」

 2013−14シーズンのリーガ・エスパニョーラ2部を制したエイバルは、クラブ創設74年目にして悲願の1部昇格を決めた。バスク州ギプスコア県の西部に位置する、周囲を山に囲まれた人口わずか2万7000人の小さな町をホームとするエイバルの最大の武器は、クラブ関わる人々の“絆の強さ”となる。

 熱狂的な応援に後押しされるように1部残留を果たし続け、終わったばかりの16−17シーズンは10位でフィニッシュ。快進撃を続けるエイバルの中で、乾は移籍金(30万ユーロ)を支払って獲得したクラブ史上初の選手だった。

 独特の風土と文化にも馴染むとともに、小気味いいドリブルがピッチで披露されるようになり、さらなる大声援が170センチ、65キロの身体を突き動かす。力強く脈打つ理想的な好循環に、乾も言葉を弾ませる。

「自分のサッカー人生の中では、一番楽しい時期を過ごせている。特に昨シーズンはすごく良い1年になったし、楽しくできることがサッカー選手にとってはベストだと思うので」

 敵地カンプノウでのバルセロナ戦を物差しにすれば、乾が鮮やかな変化を遂げていることが分かる。2015年10月26日は先発して79分間プレーするも、背番号8は不完全燃焼の思いを募らせた。

「カンプノウでプレーすることも自分の夢だったし、先発した時は本当に嬉しかったけど、何もできずに終わった時に『ピッチに立つだけでは満足できない。何かをしたい』と」

 そして、まだ記憶に新しい今年5月21日のリーグ最終節。開始わずか7分に先制弾を、61分には勝ち越し弾をともに左足によるボレーで叩き込んだ。

「飛んだコースが良かったし、ラッキーな部分もありましたけど、点を取ったことが何よりも嬉しかった。カンプノウがシーンと静まり返ったので、ちょっと変な感じでしたけど」

 その後にルイス・スアレスに同点弾を許し、リオネル・メッシには2点を奪われて試合は負けた。敗者の中で際立った活躍に魅せられたのか。4日後の25日に発表された日本代表メンバー25人の中に、ハリルホジッチ監督は乾の名前を書き込んだ。

「ここ最近素晴らしいパフォーマンスを見せてくれている。ロジカルな選出だと思う」

 指揮官はこう語った上で、これまでも代表の中に必ず1人は加えてきた、個の力で局面を打開できる選手として宇佐美貴史(アウクスブルク)との競争に勝ったと説明している。

 カンプノウを沈黙させたスーパーゴールは、予期せぬ代償も伴った。おそらくは2点目を決めた直後。着地した瞬間に右足首を捻挫しながらフル出場し、バルセロナに脅威を与え続けた。

「2点目の後に走っていたら『痛いな』と。ただ順調に回復していますし、この合宿も別メニューでやらせてもらって、だいぶ回復させることができました」

 合宿2日目の5月29日の午後練習から自らの意思で別メニューに切り替えたが、2日の午後からは完全に復帰。シュート練習や7対7のミニゲームを含めて、すべてのメニューを消化した。

「2年とちょっとの間は代表に呼ばれなかったけど、選手を選ぶのは監督なので。特に気にはしていなかったし、まずはチームで結果を出せば、と思っていた。クラブでは足元でもらって、個人技やコンビネーションで仕掛けることを求められるけど、ここではまず裏を狙う。その中で自分の特徴を出していきたい」

 空白期間の間に憧れの地スペインへ渡り、原点でもあるサッカーの「楽しさ」を思い出し、取り戻した輝きが再び指揮官を振り向かせた。もうこの場所から離れない。止まっていた時計の針を動かし、まだ見ぬワールドカップの舞台に30歳にして立つための乾の戦いが幕を開ける。

文=藤江直人

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