【コラム】新天地はどこに…マルキージオが選んだユーヴェとの別れ

【コラム】新天地はどこに…マルキージオが選んだユーヴェとの別れ

公式戦通算389試合出場はクラブで18番目の記録 [写真]=Getty Images

 まさかの別れだった。ユヴェントスのクラウディオ・マルキージオが、クラブとの契約を2年残して解除した。

 これまでに何度か触れているように、イタリアでは決まったクラブ“一筋”でプレーし続けている選手がどんどん減ってきている。数年前までのアレッサンドロ・デル・ピエロ氏、フランチェスコ・トッティ氏らのように、“バンディエラ”(イタリア後で旗の意味)と呼ばれるチームのシンボル的存在は希少だ。

 マルキージオがユーヴェのユニフォームに袖を通したのは7歳の時だった。それからエンポリにレンタル移籍した2007−08シーズンを除いた25年間、ビアンコ・ネーロ一筋でプレーを続けた。アントニオ・コンテ、マッシミリアーノ・アッレグリの下で7回のスクデットを獲得。GKジャンルイジ・ブッフォン(現パリ・サンジェルマン)や、DFジョルジョ・キエッリーニらとともに八百長事件後のユーヴェの黄金時代を支え、見守ってきたプレーヤーだ。

 しかし、2016年に大きなターニングポイントを迎える。同年4月17日のユーヴェ対パレルモで左ひざの十字じん帯を損傷し、長期の戦線離脱を強いられた。実はその前年には、イタリア代表のドクターが右ひざにも問題があり、手術の必要があるのではないかと指摘していたという。

 その後、復帰を果たしたが、以前のようなコンディションに戻ったとは言い難く、昨シーズンの出場回数は公式戦で20試合にとどまった。そして自身のSNSに、初めてユーヴェのユニフォームを着てプレーした時の写真を掲載し、次のようなコメントを残した。

「1000の想いと1000の心象とともに毎晩過ごしてきた。この写真を眺め続けていると、自分のサッカー選手としての人生を振り返らずにはいられない。このユニフォームを何よりも優先して考えてきた。いつだって」

 これには、「ビアンコ・ネーロでのキャリアを称える」(マルコ・ボリエッロ)、「君はプレーヤーにとってのお手本だ。そしてユーヴェのクラブ史に名を残した」(メディ・ベナティア)、「クラウディオ、本当にありがとう。前途を祝福する」(パウロ・ディバラ)など、選手たちからメッセージが寄せられた。

 マルキージオは『Pincipino(プリンチピーノ=王子さま)』のニックネームのとおり、水色に澄んだ瞳と優しい顔立ちで、モデルとして香水の広告に起用されたり、日本でもイケメンプレーヤーとして注目されたことがあった。残念ながら、Jクラブへ移籍する可能性は低く、パリ・サンジェルマンやカナダのモントリオール・インパクトなどが移籍先として候補に挙がっている。

 マルキージオは現在32歳。生まれてからこれまでの半分以上の日々を過ごしてきたユーヴェは、彼の人生そのものである。そんなクラブから離れるという決断は、本当に難しかっただろうし、身を切るようなつらさだったと思う。しかしあえて、マルキージオはその最も困難で厳しい道を選択をした。その潔さには驚くばかりだ。プロのスポーツ選手が現役引退を決めるその瞬間、それぞれにドラマがある。ただひざが許すなら、彼にはもう少し、別のリーグでボールを追い続けてほしい。

文=赤星敬子

関連記事(外部サイト)