本来いるべき場所へ…J1昇格&J2優勝の柏が進むべき道を突き進んだ先に得た歓喜

本来いるべき場所へ…J1昇格&J2優勝の柏が進むべき道を突き進んだ先に得た歓喜

決して平たんな道ではなかったが、1年でのJ1昇格&J2優勝を果たした柏レイソル【写真】=J.LEAGUE PHOTOS

 歓喜の瞬間が訪れた。明治安田生命J2リーグ第41節、柏レイソルはFC町田ゼルビアを3−0で下し、始動時からチームが掲げていた「J2を優勝して1年でJ1に復帰する」という目標を達成した。

“昇格候補筆頭”。それが開幕前の柏に与えられた称号だった。伊東純也、中山雄太の海外移籍こそあったものの、主力選手の大半はチームに残り、さらにかつて柏に数多くのタイトルをもたらしたネルシーニョ監督が5年ぶりに復帰を果たした。他を圧倒する戦力を経験豊富な名将が指揮するとなれば、J2では頭一つ抜けた存在として扱われるのは当然だろう。

 だがシーズン序盤戦、その高い前評判とは裏腹に、柏はJ2の戦いに苦しめられることになる。

 不振の原因の一つは、ロングボールを前線に送り込むだけの単調な攻撃がばかりが目立ち、極度の得点力不足に陥ったことにある。ではなぜ、クリスティアーノ、オルンガ、江坂任、瀬川祐輔といったタレントを擁しながらも攻撃が機能しなかったのか。それはネルシーニョ監督の要求に対する選手たちの戦術の捉え方にズレが生じていたからだ。得点力不足に陥り、プレーオフ圏外に順位を落としていたシーズン序盤戦、ネルシーニョ監督のサッカーを熟知している大谷秀和はチームの課題を次のように指摘している。

「ビルドアップの時に、相手に狙われている危ない状況でパスをつなごうとするから監督に強く指摘されるのであって、そこで選手が全部蹴ったほうがいいと思ってしまったら攻撃にならない。監督が『蹴れ』と言っているのは、相手が来ているところに(パスを)出して奪われるからであって、監督は『そういう時はリスクを冒さずに蹴れ』と言っている。逆に『相手が来ていないならつなげ』と言っているのだから、なんでも蹴るのでなくて、もっと選手一人ひとりが自分の中で考えてプレーに反映させなければいけない。監督は決して選手のプレーを制限しているわけではなく、言い方が強い分、受け取る選手が極端に受け止めてしまう部分がある。チームとしてもっともっと考えて、選手が自分のできるプレーを思い切ってピッチの中で表現していい」

 結果が伴わないと、何かを変えたくなるのが常だが、3試合連続スコアレスドローを含む5試合未勝利の状況に陥っても、ネルシーニョ監督は「何も変える必要はない。これを継続していくだけだ」と言い、その考えは全くぶれなかった。それどころか、時には「これを継続していれば、結果は必ず出るようになる」と毅然とした様子で答えることもあった。

 当時、監督と同じ旨の言葉を口にしていたのが布部陽功ゼネラルマネージャー(以下GM)である。布部GMは現役時代にはヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)でネルシーニョ監督の指導を受け、2010年から14年までの第一次政権時には柏のコーチとして監督を支えた。選手・指導者の両面からネルシーニョ監督の手腕を見てきた人物だ。

「今は監督が選手を観察している時期。どこかのタイミングで必ず負けなくなる時期が来ると思います」(布部GM)

 指揮官と布部GMが話していた“その時期”を迎える。

■攻撃面の問題を大きく改善した4バックの導入


 ターニングポイントは、J2第18節アビスパ福岡戦だった。それまでは守備の安定を求めて3バックシステムを用いていたのに対し、柏はこの試合から4バックへと切り替えた。それに伴い、前述の大谷の言葉にもあった攻撃面の問題は大きく改善された。

 試合自体は序盤に福岡の先制を許し、追い掛ける展開となったものの「人数をかけるところはかけて、攻撃に関しては終始安定してゲームを運べた」とネルシーニョ監督も高い評価を与えたとおり、主導権を握って攻撃を仕掛ける柏のアグレッシブなプレーが光った。福岡に先制を許していたため、仮にこの試合を落としていた場合は「内容が良くても勝てなかった」とネガティブな空気が漂っていたかもしれない。しかし、後半アディショナルタイムのラストプレーで、江坂の起死回生の同点弾が決まり、柏は1−1のドローに持ち込んだ。この1点で潮目が変わった。試合直後のロッカールームでは、ネルシーニョ監督も「このサッカーを続けていれば勝てる」と選手に伝えたという。

 続く第19節のジェフユナイテッド千葉戦、シーズン序盤戦の不振から見違えるようなパフォーマンスを披露した柏は、2−0というスコア以上に千葉を圧倒した。第20節では、その時点でJ2の首位に立っていたモンテディオ山形をアウェイの地で撃破し、勢いが加速していく。そしてついに第25節のファジアーノ岡山戦の勝利によって、柏はJ2の首位に躍り出た。

 8月まで続いた連勝は「11」に到達。一時は、2位との勝点差が「10」まで開いた。どれだけ連勝が続いても、ネルシーニョ監督は「我々はまだ何も成し遂げていないんだぞ!」とことあるごとにゲキを飛ばし、常にチームを引き締めていた。

 恐らく、柏の目標が単に“J1昇格”だけならば、このまま突き進んだ可能性は十分にあったと思われる。ただ、ネルシーニョ監督が思い描くのは、昇格と同時に来季以降のJ1で勝てるチームを作り上げることにある。夏以降、ネルシーニョ監督は2位以下との勝点差を「脂肪が蓄えられた状態」と喩えている。開いた勝点差を有効活用し、実戦を通じて“J1仕様”へのバージョンアップを図る。

 実際にネルシーニョ監督は、取材陣との話の中で、何度か「ラボ」(研究)という言葉を用いていた。夏の補強で加わった三原雅俊、川口尚紀、山下達也、マテウス サヴィオ、ジュニオール サントスといった新戦力を、トレーニングを通じて徐々にチームにフィットさせるというよりは、実戦に投入することでできるだけ早い順応を試みた。また、小池龍太の海外移籍と川口の負傷欠場というチーム事情があったにせよ、本来はアタッカーの瀬川をサイドバックに起用し、前線にクリスティアーノ、オルンガ、マテウス サヴィオの外国籍選手を並べる布陣も試していった。

 思い返せば2010年のJ2でも、夏の移籍で水野晃樹を獲得し、翌年からのジョルジ ワグネルの加入も早々に内定していた。シーズン後半戦には、まだ若手の一人に過ぎなかった酒井宏樹を起用して、翌年J1での大ブレイクを促す足がかりを作り出していた。

■進むべき道を突き進んだ先に帰ってきた場所


 11連勝がストップし、9月から10月にかけての6試合で柏は2勝1分3敗と負け越した。開いていた勝点差をライバルチームに詰められる形になったが、指揮官は「浮き沈みが激しいと思われるかもしれないが、私にとっては想定内」と、周囲から指摘される“失速”や“足踏み”という言葉を全く意に介さない。それどころか、むしろ瀬川をサイドバックに起用していた際に「彼が本来のアタッカーに戻った時には、サイドバックの経験によってプレーの幅が広がることに何ら疑いはない」との公言どおり、第37節の千葉戦で瀬川を7試合ぶりにサイドアタッカーに戻すと、瀬川は攻守両面においてスケールアップしたプレーを見せつけ、チームの勝利に大きく貢献した。

 勝てば“J1昇格”と“J2優勝”が決まる町田戦でも、柏は必ずしもベストメンバーではなかった。キャプテンの大谷が負傷欠場し、チーム最多スコアラーのオルンガがケニア代表で不在、さらに移籍1年目にして守備陣の大黒柱となった染谷悠太を累積による出場停止で欠いた体。それでも優勝が懸かった大一番で3−0という快勝を収めることができた要因の一つは、マテウス サヴィオ、三原、山下らを積極登用してきた指揮官のマネジメントの成果とも言えよう。スタンドから仲間のプレーを見ていた大谷は「誰がピッチに立ったからといって不安はない。今日もピッチに立った選手たちが結果を残してくれると思っていた」とチームメートへの信頼の厚さを語った。

 結果だけを見れば、柏のJ1昇格とJ2優勝は順当だったのかもしれない。しかし町田戦後、ほとんどの選手たちが昇格の喜びよりも「ホッとした」と安堵の言葉を述べていたように、“昇格候補筆頭”として対戦相手からは“打倒・柏”の包囲網を張られ、毎試合難しい戦いを強いられたこの1年間は、決して楽なシーズンではなかった。

「シーズンの開幕を振り返れば、序盤はなかなかうまくいかないことが続いていた。その中でシーズン中盤に差し掛かったあたりで我々が進むべき道を見つけた。それが今、シーズン終盤を迎えて、進むべき道、戦い方を確立できた。それに対して、自分自身、率直にうれしく思っていますし、選手たちは今年1年間、いろんな困難に果敢に向かい合ってくれた」(ネルシーニョ監督)

 結果が出なくてもブレることなく自分たちの進むべき道を突き進み、その中でさまざまな困難に打ち勝ったからこそ得た歓喜である。

 悲嘆の涙に暮れた降格から1年。柏は自分たちが本来いるべき場所であるJ1に帰ってきた。

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