【礒貝洋光×松波正信|特別対談】語り継がれる選手とは? ふたりが導き出したレジェンドの条件

【礒貝洋光×松波正信|特別対談】語り継がれる選手とは? ふたりが導き出したレジェンドの条件

G大阪のレジェンドで、帝京高の先輩・後輩の関係である礒貝と松波の特別対談が実現。(C)J.LEAGUE



 かつてのガンバ大阪で眩い輝きを放ち、サポーターを魅了したレジェンドの超豪華対談が実現した。

 レジェンド=伝説的人物。すなわち語り継がれる選手とは? その問いに答えてもらったのは、日本屈指の強豪校でもある帝京の先輩・後輩にあたる礒貝洋光と松波正信だ。ふたりが導き出した“伝説の条件”は示唆に富むものだった。

――◆――◆――

松波 先輩、ご無沙汰しております。

礒貝 久しぶり! 遠いところから活躍を見ていますよ。

松波 ありがとうございます。コロナが流行する前、OB会に来ていただいた時以来ですよね?

礒貝 そうだね。コロナ禍になってから会うのは難しいからね。

松波 以前は大阪に来ていたと聞いたのですが……。

礒貝 そうそう、セレッソのお世話になって。

――え!? そうなんですか?

礒貝 嘘だよ!(笑)。

――騙されかけました(笑)。確認ですが、松波さんは礒貝さんの5歳下ですよね?

松波 そうです。なので帝京では一緒にプレーしていないんですよ。ただ、礒貝さんは帝京のスーパースター。年齢差があってもその背中を追って、東海大の試合は見に行っていました。

礒貝 卒業後は帝京の夏合宿にも顔を出していたよ。

松波 はい、来てもらいましたね。

――松波さんは、そんな礒貝さんがいたからガンバ加入を決断したとか。

松波 そのとおりです。高校では叶わなかったからこそ、一緒にプレーしたくて。僕はFWなので、礒貝さんのパスを受けたいなと。影響はかなり大きかったですよ。

礒貝 ありがたいね。

松波 こちらこそ恐れ多いです。しかもガンバ加入後、後輩なので可愛がってもらって。家探しに協力してくれて、そして最初は近くに住んだので、いろいろお世話になりました。

礒貝 帝京の後輩では、あとは森下仁志さん(95年にG大阪加入/現G大阪ユース監督)のこともね。
 
――さて、今回はレジェンド特集なので、メイントークテーマは「ガンバのレジェンド」ですが、せっかくなのでおふたりにとっての「帝京のレジェンド」も教えて下さい。

礒貝 それは年代によって違うだろうね。俺らの世代は、早稲田(一男)さんや名取(篤)さんなど、1978年の選手権優勝メンバー。あとは(木梨)憲武さんとかもね。平岡(和徳)さんなども挙がるけど、年齢が4歳差だから“レジェンド感”はないかな。つまり、小さい頃にテレビで「おぉ、すげぇな」という目で見ていた年齢差がある先輩のほうが、より偉大に感じるよね。

松波 そういう視点では、僕にとってのレジェンドは礒貝さんです。中学校2年生の時には選手権準々決勝の東海大一戦を見に行っていましたし。あとは同じ岐阜出身の先輩である森山(泰行)さん、本田(泰人)さん、飯島(寿久)さん、池田(伸康)さんとかも憧れて見ていましたので、レジェンドですよね。もちろん礒貝さんが挙げた先輩たちの名前は知っていたので、偉大な方々が歴史を作った帝京に入れるのは、すごく嬉しかったです。
 

礒貝 でも、そんな選手たちもみんな古沼(貞雄)監督に従順なわけで(笑)。先生のカリスマ性なしでは帝京のレジェンドを語れない。

松波 そうですね。実際に僕も古沼監督という偉大な先生の指導を仰ぐのはすごく憧れていましたし。

――選手ではありませんが、ある意味「帝京史上最高のレジェンド」は古沼監督と言えるかもしれませんね。

礒貝 それはもちろんそうですよ。

松波 間違いないです。

礒貝 ひと言で言うなら、“お父さん”みたいな存在。だから有望な選手が集まったんだと思う。

松波 そうですね。それに古沼監督が務めていた当時のほうが、今よりも選手を集めるのは大変だったと思います。そのなかで帝京の歴史を築き上げ、自然と子どもが憧れるチームを作り、そしてまた有望な選手が入ってくる。そういうサイクルを生み出したのは凄いです。

――それでは本題に入ります。ガンバのレジェンドは誰でしょう? おふたりはJリーグ開幕初期のメンバーなので、先ほどの帝京の話のように「憧れた先輩」という視点から変える必要があります。国語辞典によるとレジェンドの意味は伝説的人物。なので、おふたりが一緒にプレーして感じた「語り伝えるべき凄い選手」を聞かせてほしいです。

礒貝 それならアレイニコフ。ね?

松波 はい、同感です。

礒貝 なんでもできるんだもん。本当に凄いよ。まさにレジェンド。

松波 一緒にプレーしてみないと本当の凄みは分からないですよね。

礒貝 そうだね。

松波 バリバリのソ連(ソビエト連邦)代表でしたから。

礒貝 そうそう。さすが、(89-90シーズンに)ユベントスでプレーしていただけある。なんでも上手い。

松波 技術が高いんですよね。ほとんどミスしないし、サッカーをよく知っている。ただ、100パーセントでやっていなかったと思いませんか? 

礒貝 確かに、たぶんそうだと思う。
 
松波 本気じゃないのは礒貝さんもですけどね?(笑)。

礒貝 俺は400パーセントでやっていました(笑)。

松波 いやいや、礒貝さんが400パーセントの力を出していたら、とんでもないことになっていましたよ(笑)。

礒貝 いやいやいや(照れ笑い)。

――アレイニコフ選手はどんなパーソナリティを持っていましたか?

礒貝 (笑って冗談交じりに)俺は性格が合わなかった。

松波 ハハハ(笑)。僕もなんとも言えないですね。当時の僕はまだ10代で若手だったので、あんまり喋らなければ、一緒にいる時間もほぼなかったです。ただ、アレイニコフから何かを吸収したい、彼に認めてもらいたいとは思っていました。
 

――日本人選手のレジェンドは? 

松波 それは僕にとっては礒貝さんですよ。一緒にプレーしたくてガンバに加入して、実際にチームメイトになれて、アシストもしてもらって。やっぱり凄いなって思いましたから。

礒貝 え!? あ、恐縮です(笑)。(照れながら)当時の僕はね、遊びの延長みたいにサッカーしていたから。今の選手たちは職業として完全なプロフェッショナルだよね。凄い。俺も真面目にやれば良かったなと反省しています(笑)。

――さすがにそんな不真面目じゃなかったですよね? 主将も務めていたぐらいですから、チーム内で影響力はあったんじゃないですか?

松波 もちろん、ありましたよ。

礒貝 良いほうにも悪いほうにもあったかも(笑)。

松波 それは否定できません(笑)。

礒貝 おい(笑)。まあでも、グラウンド上ではキャプテンだから、例えばユースから昇格した直後のツネ(宮本恒靖)とかには、厳しく言っていたよね。ただ、それは必要なことしか指摘していないし、彼は実際に日本代表にもなっているから、良いアドバイスだったんじゃないかな? できる選手の松波には特に厳しく言わなかったはず。

松波 いや、動き出しのタイミングとか、要求はかなり高かったですよ。

礒貝 え、そうかな? ちょっと言っていたかもしれないね(笑)。

――今名前が挙がった宮本氏はレジェンドのひとりになりますよね。

礒貝 そうだね。やっぱり長くクラブに在籍できるのは凄い。そういう意味では松波はもっと素晴らしい。FWは1、2年でダメだったら外国籍選手を補強され、自身は放出されてしまう傾向が強いポジションだから大変だと思うけど、プロ入りから引退までガンバに居続けた。本当に凄い。だから今があると思う。

松波 そう言っていただけるのはありがたいです。まあ、最後のほうは、役割的にスタメンではなかったですけど、なにはともあれ、加入1年目からガンバを強くしたい想いはありました。いろんな方々が作り上げたガンバの歴史を、引き継いでいかないといけない気持ちも持って頑張った甲斐がありましたね。
 
――FWと言えば、Jリーグ開幕初年度にチーム内得点王の永島(昭浩)さんも歴史を作ったひとりです。

松波 そうですね。僕は同じFWなので、すごく勉強になりました。点を取るための動き出しなどアドバイスももらいましたし、華やかでしたよね。日本人初のハットトリックも決めましたし。当時のガンバを象徴するレジェンドでした。

礒貝 良い意味で掴みどころがないというか、意外性のあるプレーも多かったよね。

松波 そうですね。言葉で言い表わせない凄みがありました。
 

――おふたりがガンバで一緒にプレーしたのは96年までで、ここからは97年以降のレジェンドも話したいです。例えば97年に加入したエムボマ選手はレジェンドのひとりですよね。

松波 もちろんです。

――96年に退団した礒貝さんとの共演が叶わなかったのは非常に悔やまれるなと。そこで想像上の質問です。もし礒貝さんとエムボマ選手が一緒にプレーしたら、どんなサッカーを見れたと思いますか? これは両者を知る松波さんに聞きたいです。

松波 もちろんエムボマがもっと点を取ったんじゃないかなと。……と、僕の負担が増えるかな、ふたりともあまり守備をしないので(笑)。

礒貝 ハッハッハ(爆笑)。いやいやいや~。

松波 でも、礒貝さんが凄いところにパスを出し、それにエムボマが凄いランニングで反応し、そして凄いシュートを決める。そういう想像はできますよね。

礒貝 97年にエムボマは25点を取ったけど松波も得点は多かったよね?

松波 その年は13得点ですね。まあ、僕のことよりも、ふたりが共演したらと想像するとワクワクしますよ。

礒貝 面白かったかもね。

松波 パスを出せば、エムボマは必ず走ってくれます。

礒貝 そうだよね、対峙した相手に負けないからね。楽しい、楽しい。

――さて、97年以降で他のレジェンドはどうでしょう? おふたりが一緒にプレーした96年まででレジェンドを選んだ基準とは、また視点を変える必要があると思います。

松波 チームを象徴する存在もレジェンドと呼べますね。

礒貝 あとは長くチームに貢献している選手も。
 
――今挙がったふたつの視点で、97年以降のレジェンドを選ぶと?

礒貝 遠藤(保仁)。いろんな意味で凄い。素晴らしいよ。

松波 遠藤が加入してチームカラーが変わりましたからね。出場数、得点数、タイトル獲得数も彼が圧倒的。

礒貝 淡々としていて、冷静だし。

松波 まさに職人ですよね。

礒貝 あと他のレジェンドと言えば稲本(潤一)も。

松波 あとは明神(智和)、加地(亮)、山口智、アカデミーで育った二川(孝広)や大黒(将志)あたりもですよね。

――同じ10番として、礒貝さんは二川選手をどう見ていますか?

礒貝 ごめん、98年の引退後は違うことをやっていたから、しっかりはサッカーを見れていない(笑)。

――すみません、失礼しました。では松波さん、礒貝さんと二川選手を比較してみるとどうでしょうか?

松波 創造性や技術は同レベルです。ただ、礒貝さんのほうが「おぉ!」というプレーが多く、二川のほうが堅実。もちろん二川も「おぉ!」というプレーはありましたけど、礒貝さんとは「おぉ!」の大きさが違う。

――礒貝さんの「おぉ!」というプレーはなぜできるんですか?

松波 なんでですかね。凡人には分からないです(笑)。

礒貝 なんも考えていないよ(笑)。
 

――でも、味方に厳しく要求していたんですから、考えていないわけないですよね?

礒貝 いや、というより、話が変わるけど、逆に周りが俺に厳しく要求してこないからダメだったんだよなあ。

――もう少し詳しく教えて下さい。

礒貝 例えば俺がゴール前に入るシーンもあるけど、自分がベストと思ったタイミングではセンタリングがほとんど入ってこない。それが不思議でさ。だから松波に聞きたい。FWはどういう意識でパスを呼び込んでいたの?

松波 パスの出し手の目線は見るようにしていましたよ。

礒貝 そうだろうけど、でも俺がゴール前に入ったタイミングではパスがほぼこない。シュートも打てないうえに、無駄走りでさ。なぜなんだろう、これはって、思っていた。

松波 さっきの補足説明をすると、あとはパスの出し手の状況を見ます。サッカーのセオリーに当てはめたうえで、パスを出せる状況でなければFWは走りづらいです。なので礒貝さんがパスを出せると思っていても、FWが無理と判断してもうワンテンポ遅らせたら、もう遅いとなることはあったかもしれないです。

礒貝 そういう場面はあったね。

――話はやや逸れましたが、つまり礒貝さんはサッカーのセオリーにハマらないイメージを持っていたから、「おぉ!」というプレーができた。

礒貝 まあ、そうかもしれないけど、俺としては相手や味方の位置によって、どうすれば点が入るか瞬時に判断してプレーしていただけ。ただ、味方とタイミングが合わなかったということは、一般的なセオリーとはイメージが違っていたのかな。

松波 でも、礒貝さんの才能なら、味方のタイミングに合わせられたと思うんですよ。先ほどの話につながりますが、だから厳しいんです。ある意味優しくないなって(笑)。

礒貝 ハハハ(笑)。

――なるほど、だから“お互いに”厳しく要求し合う環境が必要だったと。ちなみに、そのなかでも礒貝さんのイメージに最も波長が合っていたのは誰だったんですか?

礒貝 松波はバリエーション豊富な動きでゴール前に走るから、パスは出しやすかったよ。

――そうなんですね。では仮に時代を変えてみて、もしも全盛期の礒貝さんが今のガンバでプレーしたら?

松波 その前に監督が大変だろうなと。扱える人が少ないと思う(笑)。

礒貝 そんな難しいこと言わないじゃん!(笑)。

松波 冗談はさておき、価値のあるプレーヤーなのは間違いないです。

――さて複数のレジェンドが挙がり、最後に総括として改めてお伺いします。レジェンドとはどんな選手?

礒貝 やっぱり、松波のように長い間、クラブに自らを捧げている人に与えられる呼び名だね。

松波 とんでもございません。僕の考えはクラブを象徴する選手。数々の記録を残した遠藤がレジェンドの筆頭ですけど、礒貝さんも含めて、他にもJリーグ開幕初年度からクラブの歴史を作った方々もレジェンドと呼べます。選ぶ基準は人それぞれだとは思いますが、少なくとも周りから評価されたうえでの呼称なので、リスペクトされる人がレジェンドであるのは間違いないと思います。
 
PROFILE 礒貝洋光 いそがい・ひろみつ/1969年4月19日生まれ、熊本県出身。幼少期から天才と称され、85年に帝京高に入学。1年生時から10番を背負い、高体連屈指のスターとして活躍した。東海大を経て92年にG大阪に加入。怪我に悩まされた時期もあったが、ピッチに立てば異次元のプレーを披露した。97年に浦和へ移籍し、翌年に29歳で現役引退。現在は様々な仕事をこなす。

PROFILE 松波正信 まつなみ・まさのぶ/1974年11月21日生まれ、岐阜県出身。帝京高では2年生時に高校選手権で7得点を決めて得点王に輝く。チームを優勝に導いたストライカーとして注目を集め、93年にG大阪に加入。以降05年までガンバ一筋を貫いて現役を退く。引退後もG大阪でユースやトップチームの監督を歴任し、18年8月から強化アカデミー部長を務め、今年6月から監督に再就任。

※サッカーダイジェスト2021年5月27日号から転載。一部加筆・修正。

取材・文●志水麗鑑(サッカーダイジェスト編集部)

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