なぜアーセナルで世界トップクラスのGKを育てたアイルランド人指導者は、日本の高校で監督を引き受けたのか?

なぜアーセナルで世界トップクラスのGKを育てたアイルランド人指導者は、日本の高校で監督を引き受けたのか?

ヴェンゲル時代のアーセナルで15年間GKコーチを務めたペイトン氏。シュチェスニーやE・マルチネスといった名手の成長に関わった。(C) Getty Images




 淡路島で不思議な邂逅があった。

 相生学院サッカー部監督のズドラブコ・ゼムノビッチと総監督の上船利徳は、終えたばかりのトレーニングを振り返りながら海辺の砂浜を歩いていた。そこで190センチを超えるゼムノビッチと同じくらい長身の外国人を見かけた。

 実はゼムノビッチは、前日伊弉諾(いざなぎ)神宮でも彼を見かけていた。「声をかけてみようよ」と上船に促され挨拶をしてみると、途端に両者の話は弾んでいく。長身のふたりは、サッカーで繋がり清水エスパルスで仕事をしたといいう共通項もあった。ゼムノビッチは、かつてクラブに天皇杯をもたらし、淡路島で遭遇したジェリー・ペイトンは2年間GKコーチを務め、現在は長男が同クラブのアカデミーでプレーしていた。

 ペイトンは、GKとして20年間近くイングランドのトップリーグでプレーし、アイルランド代表としてユーロ(1988年)やワールドカップ(1990年=ベスト8)に出場。引退後は、アーセン・ヴェンゲル指揮下のアーセナルで15年間もGKコーチを務め、数々の名選手を育てて来た。ベンゲルの退任とともにロンドンを離れることになり、夫人が生まれ育った日本に移住。淡路島にはちょうど家族旅行で訪れていた。

 その夜一緒に日本代表戦をテレビ観戦した3人は、翌日徳島に出かけて相生学院高校の試合を見て、同校が本拠とするトレーニング施設にも足を運んだ。2002年日韓ワールドカップの際には、イングランド代表がトレーニングをした天然芝や人工芝のピッチだった。

 縁を大切にする上船総監督は「ダメもとで」と、早速GKコーチへの就任を打診してみた。ペイトンは少し考え、話し合いの末にGKアドバイザーを引き受けることになる。ペイトン自身も「素晴らしい施設だし、トレーニングを見学してチームのレベルにも感心し興味深く見ていた」そうで、交通費のみ支給の無報酬で再度淡路島を訪れ、指導や講習をした。
 
 ところが、しばらくして相生学院を取り巻く事情が急変した。相生学院高校サッカー部は「プロフェッショナル・フットボール・アカデミー」と命名したように、プロの選手育成を第一義の目的としている。通信制の利点を活かし、柔軟で効果的なプログラムにより優秀な選手を育てて、在学中でも実力が備わっていればプロの道へ進ませようというプロジェクトだ。上船がプロのトップチームの監督経験を持つゼムノビッチを招聘したのも、実際に目指すレベルを知る人物に指導を託すべきだと考えたからだった。

 だが相生学院の監督に就任したばかりのゼムノビッチに、J3のカマタマーレ讃岐からオファーが来た。本人の希望に沿い快く送り出したものの、後任探しを迫られた上船は何人かの候補者を頭に浮かべ、ペイトンこそが適任ではないかと直感が働いた。GKコーチのキャリアが長いペイトンだが、インドのプレミアリーグでは監督も経験していた。何より上船は、常に物事をポジティブに捉えるペイトンの姿勢に共感を覚えていた。早速条件提示をしてみると、数日後に快諾の連絡が返って来た。
 

 アイルランド代表の守護神で、アーセナルでは世界でもトップクラスのGKを育て、欧州の最前線に身を置いて来たペイトンが、日本で高体連のチームを率いる。あまりに落差の大きな選択について、本人に聞いた。

「淡路島は風光明媚で私の自宅から2時間半で通える。人々も暖かく居心地は最高です。その気になれば、いつでも妻や息子にも会えるし、何より息子の成長を近くで見守ることが出来る。また相生学院はしっかりとオーガナイズされ、選手たちは高いテクニックを備えるだけではなく、知的で敬意を持って私にもサッカーにも向き合っています。15〜18歳は、選手の育成にはとても大切な時期。私の知識を伝授する良い機会だし、コロナ禍を乗り越え日本で働けるのは、とても幸せなこと。自然な流れで仕事を始めています」

 上船総監督は、敢えて通訳をつけずにペイトンを迎えた。
「英語はいずれ必要になる。こちらが覚えて行けばいい」

 総監督も負けず劣らずポジティブ思考だった。ペイトンは監督に就任すると選手寮の特別ルームに住み込み、毎日朝から上船総監督とトレーニングメニューの確認などで時には3時間近くも話し込んでからピッチに出ていく。

「トシ(上船総監督)とは、お互いの言い分を完全に理解し合った上でトレーニングに入っています。日本に住んで3年間になりますが、風土、環境、文化の全てが大好きで、淡路島の生活にも選手たちにもスムーズに溶け込み、また選手たちもそう感じてくれていると思います」
 
 上船は、わずか1週間ほどで「ピッチ上のことは全く問題ない」ほどペイトンの英語を理解するようになったそうで「もう僕が通訳を出来ますよ」と胸を張る。

 これまでペイトンは、ボイチェフ・シュチェスニー(ユベントス)ウカシュ・ファビアンスキー(ウェストハム=ともにポーランド代表)エミリアーノ・マルティネス(アストン・ヴィラ=アルゼンチン代表)イエンス・レーマン(元アーセナル=元ドイツ代表)など数々の最高レベルのGKを指導してきた。

「私には絶大な経験があります。一方選手たちは、学ぶことに貪欲です。すでに相生学院からはプロ契約をする選手が出ましたが、さらに多くのJリーガーを育てていくことが目標になります。また私は、海外でプレーするために何が必要かも知っています。コンスタントにプレーするために必要なことだけではなく、高額な報酬を得てもお金に惑わされないこと、良い決断力を養う方法なども伝えていきたいと思っています」
 

 欧州やプレミアリーグの頂点を競うアーセナルでは、極限の重圧を経験してきた。
「特にずっと本拠地にしていたハイバリーを去り、新設のエミレーツ・スタジアムへ移ってからは、一気に経済的な責任も増した。チャンピオンズ・リーグでは、必ずノックアウトステージへの進出を義務づけられ、大きなプレッシャーがかかってくる。でもコーチたちは、その重圧を選手たちに感じさせないようにポジティブな空気を醸す必要がありました。それは若い選手を買ったり抜擢したりして一流選手に育て上げていくのに不可欠。そういう環境の中でセスク・ファブレガスが16歳でトップチームのデビューを果たすなど、次々に優秀な選手たちが羽ばたいていったのです」
 
 ペイトンが間違った日本語を使うと、選手たちからは笑いが広がる。それが張り詰めた空気を和らげ、再び前向きなトレーニングが継続される。圧倒的な経験値を持つ新監督は、短期間でマジシャンのようにチームを一変させた。(文中敬称略)

※後編につづく

取材・文●加部 究(スポーツライター)
 

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