「やり続ければチャンスは来る」板倉滉が年代別日本代表で持ち続けた悔しさと前向きな笑顔【五輪代表エピソード】

「やり続ければチャンスは来る」板倉滉が年代別日本代表で持ち続けた悔しさと前向きな笑顔【五輪代表エピソード】

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 川崎フロンターレの下部組織が生み出した才能のひとりである板倉滉だが、ユース時代はこの世代の顔的存在だった三好康児の影に隠れた存在でもあった。

 同じ1997年の早生まれ。年代別日本代表にコンスタントに選ばれ、2013年のU-17ワールドカップにも主軸として出場した三好に対し、板倉はその代表に一度も呼ばれることはなかった。

 ともにトップチームに昇格した後もトップデビューは三好の方が先だった。だが、当時から高さと正確なキック、そして対人の強さは魅力的で、大きな将来性を秘めていたのは間違いなかった。

 だが、どうしても育成年代はずば抜けたテクニックがある選手に注目が行きがちで、大型選手は身体操作の面で時間がかかるというハンデもあって、遅咲きになりやすい。もちろん遅咲きと言っても、花開かぬまま終わってしまう選手も多くいる中で、板倉はプロ2年目から一気にその成長速度を早めていった印象を受ける。
 
 彼を変えたのは年代別代表における切磋琢磨だった。彼が年代別日本代表に初選出されたのはプロ1年目のU-18日本代表だった。SBSカップメンバーに選出されると、翌2016年にはU-19アジア選手権(バーレーン)のメンバーにも選ばれた。

 だが、そこでの彼の序列は3番手、4番手のCBというものだった。1番手には冨安健洋と中山雄太がおり、さらに左利きの大型CBという希少価値の高い町田浩樹がおり、板倉はその次に位置する存在だった。

 実際にU-19アジア選手権でも、彼に出番が巡って来たのは準々決勝を勝利し、U-20W杯の出場権を掴みとった後の準決勝・ベトナム戦のみ。この時のメンバーはいわゆるターンオーバーのメンバーだった。一方の三好はこの大会で6試合中4試合にスタメン出場し、1得点を挙げるなど主軸として存在感を見せていた。

「チームの優勝は嬉しいけど、個人的には悔しかった。試合に出たいという想いを強く持っていたし、世界では絶対に試合に出られるようにしないといけないと強く思った」

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 大会後、彼は素直な思いを口にした。だが、この大会を通して印象的だったのは、板倉の明るさだった。常に笑顔で、声を出しながらチームを盛り上げようとしていた。もちろんその奥にはこみ上げる悔しさがあったが、彼はそれを一切見せずにチームファーストで動いていた。だからこそ、ベトナム戦でスタメン出場をした時は心から応援することができたし、実際に3−0の完封勝利に貢献し、その後のアジア制覇というタイトル獲得への勢いをもたらした。

 はっきりとした序列を見せつけられても、それを受け入れ、さらに覆そうとするメンタリティを持っているかどうかで、その選手の評価、行く末は大きく変わってくる。個人的な成長を遂げるために必要なのは『自分のGPS』を持っているかどうか。いくら「ここにたどり着きたい」という目標を持っていても、では自分が今どこにいるか、そこまでどれくらいの距離があるかが分からなければ、達成に向けての具体的なアプローチ策を見出せない。

 夢や希望をただ持つだけではなく、今自分がどこにいるのかが分かれば、具体的な策を打ち出せるし、それが分かれば序列はあくまでもその時点での評価であり、自分次第でいくらでも変えられるとモチベーションを高めることもできる。
 
 板倉は三好をはじめ、冨安、中山ら同年代の大きな存在を目の当たりにし、自らの成長の糧にしていった。

 川崎でボランチとしてプレーし、年代別代表ではCBとしてプレーをしながら、謙虚にかつ虎視淡々と上を目指し続けた。2017年にはU-20W杯(韓国)のメンバーにも選ばれたが、そこでも当初はボランチ、CBともに序列は1番手ではなかった。それでも、「もちろんどちらがやりたいかと聞かれたら、僕は『ボランチ』と答えます。僕は攻撃が好きで、守備も攻撃も両方出来るボランチは、今後必要になって来ると思うので、僕はそこを目指したい」と、はっきりとした自分の意思を持ち、かつ「CBとしても求められたことができないと意味がないし、どんな状況であれ、使ってもらえるところで使われたいと思っているので、ボランチもCBもハイレベルでこなせる選手になる意思はあります」とチームのためにタスクをこなす自分も必要だと捉え、ぶれることなく前を見据えていた。
 

 そうした前向きな意識は、U-20W杯本大会で一定の成果となって表われた。初戦・南アフリカ戦で彼はボランチとしてスタメン出場を果たし、三好とともに世界の舞台に立ったのだ。だが、その後は全てベンチスタートで、出場は決勝トーナメント初戦のベネズエラ戦の76分から(延長戦の末に0-1の敗戦)の出場のみだったが、彼はこの大会でも笑顔を絶やさず、チームのための立ち居振る舞いを見せた。

「やり続ければ必ずチャンスが来る。それはこれまでの僕の経験から理解していますし、これからも変わらないので、何事も前向きに捉えて、かつ悔しさだけは忘れずにやっていきたいと思います」
 
 この言葉を彼は今も大切にしているのが、彼の歩みを見れば分かる。海外に渡り経験を重ねる中で、三好、冨安、中山らも同じヨーロッパで研鑽し、変わらぬ刺激的な存在になっている。彼が引き寄せた幸運の出会いと努力によって、板倉は東京五輪の最終メンバーとして日本に帰ってくることができた。今度は日本の屋台骨としての活躍を見せてほしいものだ。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)
 

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