「本当に凄かった」。中学3年生のシュートを何度も止めた小学4年生の大迫敬介は衝撃だった【東京五輪代表のルーツ探訪】

「本当に凄かった」。中学3年生のシュートを何度も止めた小学4年生の大迫敬介は衝撃だった【東京五輪代表のルーツ探訪】

広島ユース時代は高円宮杯チャンピオンシップに出場した大迫。優勝は逃したが、MIP賞に輝いた。(C)Getty Images



 東京五輪で悲願の金メダル獲得を目指すU−24日本代表。全世界注目の戦いに挑んでいる彼らは、この大舞台に辿り着くまでどんなキャリアを歩んできたのか。

 ここで取り上げる大迫敬介は、幼少期から兄・絢一郎の背中を追っていた。小学4年生の時、兄の試合に混ざり、中学3年生のシュートを何度も止めると、そこから恩師との二人三脚で急速な成長を見せていく。

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 鹿児島県出水市に大迫家の次男として生まれた敬介は、幼少期から兄・絢一郎の背中を追っていた。
 
 小学1年生時には、江内サッカースポーツ少年団の練習に行った兄に付いてサッカーを始めた。チーム事情もあり、約半年後にはポジションが空いていたGKを務める。初めから嫌悪感など抱かず、「シュートを止めるって、楽しい」と感じた。
 
 やがて中学生になった兄がフェリシドFCに一期生として入団すると、小学4年生の敬介は同クラブのスクールに入る。指導にあたった佐渡谷聡監督の脳裏には「練習メニューを言えば、すぐトレーニングに取り組む」姿が焼き付いているほど、飲み込みが早い子だったという。

 だが当時、出水市ではサッカーをしている子どもが少なく、少年団も土日の活動がなかった。仕方なく敬介は週末、ボールを蹴らず親とともに兄の試合を見に行った。「見ているだけでは面白くないですからね」と機転を利かせた佐渡谷監督から、「一緒にやるか?」と声を掛けられる。「はい、やります!!」と返答すると「じゃあ、準備してきな」と言われ、中学生の試合に出場した。

 小学4年生のGKに佐渡谷監督は衝撃を受けた。

「相当数のシュートを止めたんですよ。本当に凄かったです。相手は中学3年生でしたが、クラブを立ち上げて間もない僕らは中学1年生しかいなくて、みんなビビッていてね。でも小学4年生の敬介だけは堂々しているどころか、なぜか少しニヤニヤしているくらいで(笑)」

 誰の目で見ても明らかなほど輝かしい才能があった。しかも中学生になると身長がグッと伸びる。ダイヤの原石を磨くべく、佐渡谷監督は敬介にすべてを尽くした。

 とりわけ生きたのがプロの経験で、かつて鳥栖フューチャーズ(現・鳥栖)などでプレーした佐渡谷監督は、中学生の敬介に「真剣にプロを目指してみろ」と伝え、まずは現役時代に培った「プロの心構え」を話した。そして「プロになりたいと思ってもらいたくて」という願いから、鳥栖や福岡の試合にも連れて行った。また、知り合いのGKコーチにアドバイスを求め、GK専用の練習メニューも作った。特に注力したのがクロス対応で、果敢に飛び出すように指導。加えて、パントキックのトレーニングにも重点的に取り組ませた。

 新たな練習メニューを提示すれば、「敬介はよく食らいついてくれた」。その反応を見た佐渡谷監督もGKの勉強を続け、ブラッシュアップを重ねる。二人三脚で急成長した守護神は、複数のJユースから加入を打診された。

 当時の様子を佐渡谷監督が振り返る。

「ほとんどのクラブが『うちにはこんな施設がある』というアピールばかりだったなか、広島だけは違いました。敬介が成長するための具体的なトレーニングプランを提示してくれたんです。最も熱心なクラブでしたね。そういう話も踏まえて、本人にアドバイスしました」

 佐渡谷監督の助言もあり、最終的に広島ユースに加入した敬介は、優秀なGKコーチがいる整った環境下で着実に成長した。2016年には高円宮杯プレミアリーグWESTを制し、チャンピオンシップではMIP賞を受賞。18年にトップチームへ昇格すると、翌年にはスタメンに定着した。

 東京五輪代表としては、谷晃生や鈴木彩艶と激しいポジション争いを繰り広げる。大迫は後半開始から途中出場したスペイン戦(7月17日/△1-1)で好守連発した。中学3年生のシュートを何度も止めた小学4年生の時のように、堂々たるセービングを見せる敬介には、恐れるものは何もない。

取材・文●志水麗鑑(サッカーダイジェスト編集部)

※サッカーダイジェスト2021年7月22日号から一部を加筆修正して転載。

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