「日本のサポーターは信じられない!」モナコ公室関係者のデュクリュエ氏は、なぜJリーグの虜になったのか【インタビュー】

「日本のサポーターは信じられない!」モナコ公室関係者のデュクリュエ氏は、なぜJリーグの虜になったのか【インタビュー】

モナコ公室アルベール2世の甥であるデュクリュエ氏。モナコ公室宮殿内にあるオフィスで撮影。



 モナコ公国のプランス・アルベール(アルベール大公)殿下の甥で、プランセス・ステファニー(ステファニー公女)の息子である28歳のルイ・デュクリュエ氏は、リーグ・アンのモナコの傍らで成長してきた。このクラブはモナコ公室がオーナーの一角を占め(所有権33%)、ホームスタジアム「スタッド・ルイU」はモナコの国家遺産にもなっている。

 幼いころからそんなモナコのサポーターだった彼は、フランスとアメリカ合衆国で学業を終えると、2015年から2020年までの5年間にわたりモナコで働くことになった。主要オーナーであるロシア人ドミトリー・リボロフレフの代理を務めるヴァディム・ヴァシリエフ前副会長とオレグ・ペトロフ現副会長のアシスタントを歴任しつつ、リクルーティング部門にも携わったのだ。

 やがてルイ・デュクリュエ氏は、モナコの元ディフェンダーで親友でもあるフランソワ・モデストのお蔭もあって、ギリシャのオリンピアコスとイングランドのノッティンガム・フォレスト(オリンピアコス所有)のテクニカル・ディレクターに就任。こうして彼は2020年9月に外国へ武者修行に旅立ち、この2クラブのスカウティング部門に携わっているところだ。
 
 だが、彼の大きなパッション(情熱)の一つは、なんと日本だという。「何回行ったかもう数えきれない」。彼はかなり若い時点でこの国の魅力にはまってしまい、フットボールの「もう一つの分野」のパッションにも浸っている。それは日本代表とJクラブのユニホーム収集で、そのコレクションときたら、驚愕の一言だ。一番の親友で、彼の結婚式の証人(結婚の証明をする役割)を務めてくれたのも、日本人である。

 聞けば、「初めて日本で試合を視察したときのこともよく覚えているよ。セレッソ大阪と町田ゼルビアの試合だった!」と彼は楽しそうに笑う。

「でも最高の思い出は、やっぱりガンバ大阪とセレッソ大阪のダービー。あの雰囲気が大好きなんだ。パンデミー(パンデミック)が終息し次第、すぐ日本に行くつもり。日本代表の新ユニホームがコレクションに欠けているからね。僕はあの新ユニホーム、素晴らしいと思う!」

 こうして彼とのクラッチは直ちに連結し、ルイ・デュクリュエ氏は日本と自分の関係を大いに語り始めた。感情面でも純粋スポーツ面でも仕事面でも、強い絆で結ばれた関係を――。
 

――モナコが所属するリーグ・アンもかなりアトラクティブなのに、なぜJリーグに惹かれたのですか? 何かきっかけでもあったのでしょうか。

ルイ・デュクリュエ氏(以下略)「ごく小さいころから日本の文化、慣習、歴史などに惹かれていたんだ。やがて成長するにつれ漫画にも興味をもつようになり、ごく自然なこととして『キャプテン翼』にも出会ってしまった!

 本格的に日本のフットボールに興味をもち始めたのはもっと後のことだけどね。ヨーロッパにやってきた何人かの日本人選手のポテンシャルを目にするうち、彼らを生み出した日本リーグを特別に見るようになったんだ。日本のフットボール・カルチャーとチームを取り巻く環境、とくにスタジアムの雰囲気のお蔭で、すぐに虜になったよ。

 日本のサポーターは信じられないほど凄い! スタジアムに雰囲気を創り出すという点では、ヨーロッパのサポーターと大いに競えると思う。また日本のチームのプレーは非常にスピードに満ちている。ピッチ上の選手たちのやる気ももの凄い」
 
――日本サッカー協会名誉総裁を務める高円宮妃久子殿下とお会いしたこともありますか?

「残念ながらお目にかかる機会に恵まれたことはない。そもそもが、モナコのリクルーティング部門に関する日本行きは全て、非常に慎み深く、目立たないように行なうミッションだったからね。私がスタジアムにきていることさえ知らないクラブも、いくつもあったと思うよ」

――日本サッカー協会の歴代会長とはコンタクトがあったのですか?

「田嶋幸三会長とは、私のミッションの枠内でお会いするチャンスに恵まれた。実は田嶋さんも、モナコとロアッソ熊本のパートナー協定調印の際にモナコ公国にいらしたことがあって、そのときに初めてお会いしたんだ。伯父のプランス・アルベール殿下が不幸にも出向けない事情を抱えていたため、私が伯父の代理としてお迎えしたという経緯だった。

 私たちは意気投合して、その後もコンタクトは途切れなかった。日本代表をめぐって私が日本を訪問するたび、田嶋さんはたくさんの気遣いをしながら私を迎えてくれたんだ。田嶋さんは、私の結婚式の際にモナコ公国で催されたいくつかのレセプションの一つも、出席してくれた。私たちの関係は友情に発展したんだ」
 

――あなたは大のユニホームコレクターでもありますね。いつから、どうして日本代表のユニホームまで収集し始めたのですか?

「私が本格的にユニホーム収集を始めたのは、2003年からなんだ。モナコがビッグシーズンを実現していた年で、私がプロ選手たちと初めて接触した年でもあった。伯父の凄いコレクションを見てね、私も伯父と同じぐらい壮大な豪華コレクションに挑戦しようと思ったんだ(笑)。いまでは私も、複数の時代にわたる超ビッグネームのユニホームを何枚か持っているよ。

 日本について言えば、一番古いのは中田(英寿)のユニホームだ。これは私のコレクションの中でも最も美しい、珠玉のユニホームかもしれないな! 中田はゴールデンフット賞の関係でモナコに来ていてね、このイベントをオーガナイズしていた役員の一人が、私がビッグプレーヤー中田のユニホームを本当に欲しがっていることをよく知っていたんだ。それで彼が中田に頼んで、私に預けてくれた。私はそれをとても大事にしている。

 コンタクトを通じて日本代表のユニホームを毎年手に入れようとし始めたのも、それからだね。日本代表のユニホームも本当に大事にしている。デザインスタイルという点で他国と違っていて、ユニーク。いま現在の日本代表が身に着けているバージョンも大好きだ。でもパンデミーのせいでまだ手に入れられなくて……。

 日本に行くたび、Jリーグのユニホームもたんまり入手して戻ってくるんだよ。好きだと思ったものを選択するわけだけれど、オリジナリティーを感じて選ぶこともある。ひとつのチームの毎シーズン違ったユニホームも、すでにかなりたくさん持っているよ」
 
――フランスで開催された1998年ワールドカップは、日本人の脳裏に強烈に焼きつきました。あのワールドカップの具体的な思い出もありますか?

「あの年は……5歳だったんだ(笑)! だからあのワールドカップの思い出は、たくさんあるとは言えない。ただ、フランスが盛り上がって、レ・ブルーが優勝したときはもの凄い熱狂の渦になった、あのイメージはよく覚えているね。

 だから、私の日本代表の最初の思い出も、日韓共催の2002年ワールドカップなんだ。日本がグループリーグをよく戦って、首位で突破したのを覚えている。不幸なことに、サプライズチームになった当時のトルコに敗れ、敗退してしまったことも、ね」

――これまで三浦知良、中田英寿、本田圭佑、香川真司といった何人かの日本人選手たちが、外国人からも評価されました。その後もかなりの日本人選手たちが、彼らの轍(わだち)を辿ろうとヨーロッパでプレーしています。好きな日本人選手はいますか?

「フランスでワールドカップ初出場を果たして以来、日本のフットボールは巨大な進歩を遂げたと思う。Jリーグのクラブは優秀な選手たちを育成し、多くがヨーロッパでプレーするようになっている。正真正銘の「養魚池」がそこにはある。私は仕事柄、たくさんの日本人選手をビデオで見たり、日本に出張したときはナマでも見たりしてきて、所属クラブやユース代表でデビューしたときからずっと追っている選手も何人かいる。

 この仕事を始めて最初に本当に高く評価したのは、南野拓実と堂安律で、少し後には板倉滉も評価したね。2017年にはモナコのためにU-20ワールドカップを視察したが、そのときは冨安健洋も目に留まった。日本に出張した際には、鹿島アントラーズの安部裕葵もかなりいいと思った。これらの選手たちは、ゆくゆく非常に素晴らしいフットボーラーになると思う。彼らの現在のキャリア進展ぶりをみても、私の考えは間違っていなかったと感じているよ」
 
――現役の日本人選手のうち、リーグ・アンで見てみたいと思う選手はいますか?

「私に言わせれば、いま挙げた選手たちはみなリーグ・アンで戦えると思う。しかも彼らだけではない。私は鈴木優磨も、リーグ・アンで見てみたいね。ベルギーのシント=トロイデンでプレーしている選手だ。彼はフランスで何かいいものを実現できるかもしれない、と思っているんだ」

――54歳でもプレーし続けている世界最古参のプロ、三浦知良も知っていますか?

「もちろん! 世界的レジェンドだよ! 彼は日本のフットボール・カルチャーを語るにあたって避けて通れないビッグな存在だが、スポーツ面だけではなく大衆カルチャー面でも大切な存在なんだ。だって、『キャプテン翼』のストーリーにインスピレーションを与えた人だからね。

 日本に行けば、彼を知らずに看過するのは難しいほどだよ。いまでもかなり多くの広告に登場しているからね。プロフットボーラーとしての長寿ぶりが人々のリスペクトをますます強化しているが、パフォーマンスでも世界的リスペクトを勝ち取っている。ワールドフットボールのエムブレムとなっている人物だ」

 
――ところで、好きな日本のクラブはあるのでしょうか。

「その歴史や醸し出す雰囲気などから、気に入っているクラブは複数あるんだ。でも、もし選び出さねばならないとしたら、ガンバ大阪と鹿島アントラーズかな。出張するたび、いつもこの2クラブを見に行くのが楽しみなんだ。

 しかも素晴らしいスタジアムと、非常にいい育成センターを備えているんだよ。スタジアム周辺にいると、熱意やフィーバーもしっかり感じ取れるよ。歴史もとても豊かなんだ。私は歴史や遺産をつくってきたクラブを高く評価する。鹿島アントラーズの選手たちも大きく評価しているね。

 そもそも、植田直通を発掘したのも私でね、モナコの系列クラブであるセルクル・ブルージュにスカウトすることになった。彼はいまニーム・オランピックにいる。

 ガンバ大阪について言えば、こちらはやや特殊なストーリーになるかな。実は私の一番の親友は日本人でね、大阪の人なんだ。アメリカで学業を終えるときに知り合った。それで大阪にお邪魔することになって、大阪の2クラブを発見することになった。でもいろいろな経過からガンバの方に傾注していった。ガンバで働く何人かの人々に出会って、いいフィーリングを感じたからなんだ」
 

――南野拓実の話も出ましたが、久保建英もいますね。彼らを知っていますか?

「もちろんよく知っている。当然だよ。タケ・クボはFC東京のU-23チームの試合で見た。J3時代。彼はまだたった15歳だった! U-23に15歳だよ。そんな年齢差にもかかわらず、彼はすでに驚愕の存在だったね。超がつくほどインテリジェントな選手で、非常に俊敏、ボールをもてば巧み。凄い嗅覚と非常にいいクイックネスを備えている。

 南野拓実の方は実際に会ったことがあるよ。モナコにトライアルに来たんだ。そのとき初めて会った。まだかなり若かったね。私もかなり若かったけど(笑)! 私は『だいぶ恥ずかしがり屋な少年だな』と思ったかな。いまの彼がどうなったかを見ると、凄すぎて信じられないよ!

 当時のリクルーティング部門責任者は、私が日本人選手に興味をもっていることを知っていたので、それで南野を紹介してくれたんだ。トライアルの後、彼は日本に帰国して、セレッソ大阪で頭角を現した。以降のストーリーはご承知の通り……。私がリクルーティング部門に関わっていたころは、何度もこの2人を『モナコに呼ぼう』と提案したんだよ。でも残念ながら、一度も彼らを獲得しなかった。私にとってはいまも後悔になっている」
 
――最後に日本代表について。日本代表は常にヨーロッパ・フットボールの水準に到達しようとトライしていますね。あなたの目からみて、日本代表がさらに成長するカギは何でしょうか。

「日本のフットボールはいいルートを歩んでいると思う。彼らには彼らだけがもつ特有のプレースタイルがあって、しかもヨーロッパのビッグリーグでプレーする選手が日本代表にどれだけいるかを数えるにつけ、日本は常に進歩し続けていると言っていい。

 今後のカギは、独自のフットボール・カルチャーをしっかりキープして、みんな一緒に学び続けながらも、同時に、アンドレス・イニエスタのような選手が日本に来るようになっているから、そうした外国人ビッグプレーヤーからも大いに学ぶことだと思う」

取材・文●フランソワ・ヴェルドネ(『L'equipe』紙記者)
翻訳&コーディネート●結城麻里
 

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