浦和レッズでプロになった“早熟の天才”。28歳で現役を引退してからクラブ代表として辣腕を振るうまで

浦和レッズでプロになった“早熟の天才”。28歳で現役を引退してからクラブ代表として辣腕を振るうまで

生まれ故郷の川越でクラブ代表を務める千島氏。現役時代さながらの“ワイルド”さが健在だ。写真:河野正



 小学校5年生から憧れていた浦和レッズの一員となり、夢を叶えた千島徹は浦和で6年半、愛媛FCで3年半プレーし、プロ選手として10シーズンを過ごした。引退から7年後の2016年には、地元の埼玉県川越市でサッカークラブの代表となり、3つのカテゴリーで指導と運営に多忙な毎日を送っている。

 その当時“ひまわりの千島徹”と言えば、埼玉県内に広く名の知られたスーパースターだった。

 小学校1年生で川越ひまわりサッカークラブに入り、技術や柔軟性、判断力を磨いてきた。6年生の時、埼玉県市町村選抜少年大会に出場し、川越市のエースとして大活躍。当時、全日本少年大会を2度制していたFC浦和が出場した浦和市に準決勝でPK戦勝ちすると、決勝では大宮市を3−0で下した。Jリーグが開幕した1993年のことだ。

 獅子奮迅の働きをした千島は、最優秀選手賞と得点王を獲得。浦和レッズの若手FW河野真一と対談し、浦和がホームゲーム開催日に発行する『オフィシャル・マッチデー・プログラム』に掲載されるご褒美も手に入れた。

「レッズが練習している大原サッカー場を母親と初めて訪れ、この頃から将来はレッズの選手になりたいと思うようになったんです」
 
 前年9月27日、Jリーグ最初の公式大会であるナビスコカップ予選リーグ、浦和−横浜マリノス戦が川越運動公園陸上競技場の開場記念試合として開催された。5年生の千島は浦和の大旗を振りながら、川越ひまわりSCの仲間と観戦。「目の前で見たプロの試合に興奮し、勝ったレッズにのめり込みました」と回想する。

 小学校の卒業文集には、ふたつの誓いをこう記していた。『レッズのストライカーになる』『レッズの福田正博選手と一緒にプレーする』

 中学に上がるとレッズが指導陣を送るなどして協力し、ユースとジュニアユースがレッズの下部組織となった浦和スポーツクラブに所属。96年にユースからトップチームに初めて昇格した鈴木慎吾、神野真郎、伊賀光博がその一期生だ。

 95年の高円宮杯第7回全日本ユース(U−15)選手権は、浦和スポーツクラブとして初優勝している。2年生の千島は全4試合に先発し、決勝では関東予選決勝で敗れたジェフ市原を1−0で下した。市原には阿部勇樹、静岡・東海大一中には浦和で同期の鈴木啓太がいた。

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 00年にユースから6人目となるトップチーム入り。中学2年でU−16日本代表候補に飛び級で入るなど、6人の中では最も実績があり、次代のエースとして注目された。1月30日の新加入会見では「チーム内で激しく競い合い、プロとしてどん欲にやっていきたい」と抱負を述べていたのだが……。

 浦和が初めてJ2に陥落した00年の新人は千島、鈴木、早川知伸の3人だけで、公式戦デビューは千島が一番早く、4月12日の川崎フロンターレとのナビスコ杯1回戦第1戦に後半10分から出場。天皇杯も1回戦の後半開始からピッチに立ち、この時点では鈴木をリードしていた。

 ところがJ1に復帰した2年目になると立場は逆転。千島が公式戦で1度もベンチ入りできなかったのに対し、鈴木は第2ステージ第2節でリーグ戦に初先発すると、ここから一気に主力へと躍り出たのだ。

 千島のJリーグデビューは、3年目の第2ステージ第3節のジュビロ磐田戦。後半27分に登場し、41分には鈴木のパスから強烈な惜しいシュートを放った。4年目の03年はリーグ戦最多の8試合に出場。FC東京とのナビスコ杯準々決勝第1戦では、敗色濃厚だった後半44分に同点ヘッドを決めた。ユース出身者の初ゴールであり、浦和のナビスコ杯通算100点目でもあった。

 02、03年はハンス・オフト監督の寄せる期待も大きかったが、選手層が厚くなって浦和に黄金期が到来し始めた04年以降は故障もあり、なかなか試合に絡めなくなった。
 
 鈴木のように努力していたら、一流選手になれたのではないか──と後年は後悔ばかりしたそうだ。

「啓太は自分に足りないものをトレーナーと相談し、そのメニューを居残りで懸命にこなしていました。自分にはそんな努力と工夫が圧倒的に足りなかった。ここが僕と啓太の決定的な違いで、プロ意識が欠如していたということです」

 06年6月にJ2愛媛に完全移籍。小学校からの友人でもある関根永悟が在籍していたほか、活発で明るいチームとあってすぐに溶け込み、純粋にサッカーを楽しめた。

 加入から1か月半後の8月6日、東京・国立競技場での東京ヴェルディ戦だった。千島の赤いユニホームを着た大勢の浦和サポーターが、応援に駆け付けてくれた。スタンドで赤と愛媛のオレンジが重なり合う光景を見て鳥肌が立った。「自分の宝、財産です」と喜び、「卒業文集の夢は福田さんと同じピッチに立つことしか実現できなかったけど、最後のシーズンと決めていた09年は、初めて強いプロ意識を持てた。9年間は後悔ばかりでしたが、あの年だけは全てやり切れました」と10年間の現役生活をしみじみ思い返した。

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 選手時代は七変化のようにいろんな髪形を披露し、服装も独特だった。浦和時代にはサッカー雑誌にイラストや絵画の連載をしていたこともあり、デザインや服飾関係の仕事に就こうと考えていた。10年から地元のセレクトショップに勤務する傍ら、浦和のハートフルクラブや知人のサッカースクールを手伝った。

 それからアパレルを辞め、コーチ業も辞め、サッカーから身を引いていた時だ。浦和レッズユースの1学年先輩、國分洋祐さんの知人が川越市にNPO法人FUTUREを設立し、サッカー部門を立ち上げるので、人材を探していると聞いた。

 千島自身、サッカー界から離れる時間が長くなるほど寂しさや物足りなさ、郷愁に駆られただけに熟考した末、川越FUTUREフットボールクラブの代表に就任する。

 16年の創立とともにまず小学生のジュニアスクールを開講、5、6人でのスタートだった。18年発足のトップチームは川越市民リーグ2部から始まり、埼玉県社会人リーグ3部に昇格した昨季、三菱と浦和で活躍した広瀬治さんを監督に招いた。

 今春には念願のジュニアユースが活動を開始。千島は3つのカテゴリーを担当しているが、最も力を入れているのが育成部門だ。
 
 小学生の頃、土・日曜日は川越ひまわりSCに通い、平日は学校から帰ると近所のお兄さんたちと3時間もストリートサッカーに興じ、創造力を養ったそうだ。

「受け身ではなく、自分で考え、自分から発信することが重要なんです。真剣勝負の中でも、相手との駆け引きや間合いなどサッカーの楽しさを味わってほしい。相手と本気で戦いながらも、サッカーを楽しんでいる選手を見る時が指導者として一番うれしいですね。そんな選手をたくさん育てていきたい」

 千島と一緒にクラブ入りした國分コーチは、サッカーのことしか考えていない姿勢は浦和ユース時代から少しも変わらないと言う。「先に答えを出さず、選手に考えさせ自主性を求める教え方が素晴らしい。詰め込み過ぎない練習法も特長ですね」と説明しながら、「彼のような指導者が増えれば、日本にも世界的な選手が生まれると思います」と評した。

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 指導と運営をこなす代表という立場になって、初めて気付いたことも多い。

 グラウンドレベルの様子は現役時から見たり、聞いたりして把握していたが、クラブ業務となるとなにも知らなかった。それがいまは、フロントの気持ちや苦労が分かるようになった。「クラブスタッフの仕事ぶりを知ると、どういう姿勢でサッカーと向き合えばいいのかが分かりますね」との言葉には説得力がある。

『川越から世界へ』がクラブのスローガンだ。千島は「うちから巣立った選手は協調性と自立心、柔軟なプレーと判断力でどのカテゴリーでも活躍してほしい」と願う。川越に育ててもらった40歳は、親鳥がひな鳥を温かく包み込むように地元の子どもたちを育てている。

(文中敬称略)

取材・文●河野 正

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