「世界を見てこい」恩師の言葉で海外武者修行も視野に…左足の名手が志す指導者への道【玉田圭司ストーリー・後編】

「世界を見てこい」恩師の言葉で海外武者修行も視野に…左足の名手が志す指導者への道【玉田圭司ストーリー・後編】

今季限りで現役を引退した玉田。シーズン中には鮮やかな足技で巧みなゴールも挙げた。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)



 今季限りでスパイクを脱ぐ決断をした玉田圭司。ファンタスティックな左足、イマジネーションに富んだプレーで観る者を楽しませてくれた稀代のレフティは、第二の人生をどう見据えているのだろうか。

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「今後についてはまだ決めていないんですけど、指導者の道は選択肢のひとつ。もしも自分が監督になった場合はワクワクする楽しいサッカーを見せるのが理想です。

 僕がこれまでで一番衝撃を受けたのは、(ジョゼップ・)グアルディオラ監督のFCバルセロナ。そこからサッカー観が変わりましたし、自分が思い描いていたような監督が出てきてくれたと感じたんです。

 ただ、誰かのコピーをしようとは思わないし、『自分流』を出していきたい。その時、どういうサッカー界になっているか分からないけど、貫くところは貫きたいです」

 12月11日の引退会見で、今後についてこう語った玉田圭司。指導者になると完全に決めたわけではないというが、ユニホームを脱いだ今も「理想とするサッカーの突き詰めたい」という思いは少なからずあるようだ。

 その布石を打つため、まずは指導者ライセンス取得を最優先に考えていくつもりだ。現時点ではJFA公認B級まで取得済みだが、日本サッカー協会は来年以降、日本代表キャップ数20試合以上の元代表選手のライセンス取得をスピードアップさせるという。もちろん成績にもよるが、玉田が2022年にA級、2023年にS級を取り、2024年から「玉田監督」としてJリーグの舞台で采配を振るうことも不可能ではない状況なのだ。

 2013年末から千葉県津田沼で自身がプロデュースするフットサル場「KT ESTADIO」で年に数回、子供たちを指導している関係もあり、彼は育成年代にも興味も示している。そのため、いきなりトップレベルのコーチを目指すかどうかは定かではない。どちらに進むにしても、「楽しいサッカーを追い求めたい」という気持ちは人一倍強い。それを他の人間に表現してもらおうと思うなら、選手時代以上のアグレッシブさが求められるのは確かだ。
 

 習志野高時代の恩師・本田裕一郎監督(現国士舘高テクニカルアドバイザー)も「選手時代以上の努力をしなければいけない」と語気を強めている。

「玉田を筆頭に元プレーヤーだった人間が肝に銘じるべきなのは、選手と指導者は全く別物だということ。指導者はいろんな情報を貪欲に取りにいく必要があるし、自分のスタイルを構築しつつ、勝てるチームを作らなければいけない。上のレベルへ行けば行くほど結果が求められるし、3~4試合続けて勝てなかったら首になる厳しい世界。そこを渡っていくための理論武装も重要になってくる。そういう道を進んでいこうと思うなら、玉田も自分から海外に出ていって、最先端の戦術やトレーニング方法を学び、自分なりのアプローチを見出さないといけない。引退報告を受けた時も『もっと世界を見てこい』とハッパをかけました」
 
 本田監督自身も、習志野高校時代には毎年のようにアルゼンチン遠征へ赴き、ボコボコのグランドで激しく身体をぶつけ合う現地の少年たちを見て、バトルの重要性を痛感。当時はまだしばしば行なわれていた鉄拳制裁が厳禁であることも痛感させられたという。

 流通経済大柏高に赴いてからは欧州の最高峰に目を向け、ボルシア・ドルトムントやバイエルン・ミュンヘン、ザルツブルクなどのアカデミーを毎年のように訪問し、練習方法や育成哲学を習得。それを現場に還元しようと試みた。GPSを使った走行距離やスプリント回数の計測はすでに育成現場でもスタンダードになりつつあるが、本田監督はいち早くデータ活用の重要性に目覚め、学校側と交渉して導入に踏み切っている。

 99年から23年間もプロキャリアを積み上げてきた玉田はそんな苦労をしなくても、恵まれた環境でトレーニングを積み重ねることができたが、指導者を目指そうと思うなら、自ら道を切り開き、人脈を広げていく必要がある。本田監督はそのことを伝えたくて、あえて「世界を見てこい」とアドバイスしたのだろう。

「新たな人生を始めようと思うなら、まずは行動を起こすことが第一。国内外でいろんな人と会い、さまざまな環境を見て回り、本当に自分が目指すべきものを見極めるところから始めないといけない。玉田はもともと生粋のサッカー少年。無欲だったからこそ、純粋にサッカーを楽しんでここまで来たと思いますが、ここから先は頭を切り替えないといけない。いい意味で脱皮できるかどうか。そこが成否の分かれ目になると思います」

 恩師から厳しいエールを送られた本人は「コロナが落ち着いたらぜひ海外に行って勉強したい」と意欲を示している。彼には現役時代にともに戦った洪明甫(蔚山現代監督)、ドラガン・ストイコビッチ監督(現セルビア代表)、ディエゴ・フォルランといったネットワークがあるし、それを生かすことも可能なはず。本田監督など周囲の人々の人脈を紹介してもらえる環境にもある。そういった財産を最大限有効活用しながら、理想の楽しいサッカーを具現化することができれば、まさに最高のシナリオだ。
 
「いずれにしても、個性を伸ばすことは大事。自分も左足には強いこだわりを持ちながらここまでやってきた。日本にも世界にも左利きの素晴らしい選手が沢山いるけど、僕は人と自分を比べたことはない。『自分ならこうする』という考えでやってきました」と武器を突き詰めることの大切さを玉田は口にする。指導者になった際にはそのことをしっかりと伝え、見る者を魅了するようなタレントをひとりでも多く表舞台に送り出し、そのうえで勝てるチームを作ってほしいものだ。

 稀代のレフティの第2章に大きな期待を寄せたい。

取材・文●元川悦子(フリーライター)
 

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