「ああ、無敗を止めちゃったなぁ…」痛恨ミスの“新主将”金古聖司を救った恩師の言葉「早く負けて良かったよ」

「ああ、無敗を止めちゃったなぁ…」痛恨ミスの“新主将”金古聖司を救った恩師の言葉「早く負けて良かったよ」

先制を許すも、その後の東福岡は金古(左)を軸に鉄壁守備を誇示。帝京に反撃の糸口を掴ませなかった。(C)SOCCER DIGEST




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 後半5分、東福岡と志波芳則の狙いがものの見事に結実する。

 高い位置でボールを受けた本山雅志が小気味良いステップでキープし、帝京のマーカー4人を引きつける。そして後方から颯爽と駆け上がって中央のスペースを突いた青柳雅裕にアウトサイドで絶妙のパスを送り、盟友が冷静にダイレクトでゴールに蹴り込んだ。後ろから見ていた金古聖司は、「惚れ惚れした」と回顧する。

「あんな雪の中で、あんな崩しができるだって見惚れちゃいましたよ。え、そこアウト? って。プロでもなかなか観れないゴールです。本山さんはいつだって、なにかをやってくれるワクワク感があった。あのパスはホント、完璧でしたよね」

 ついに逆転に成功した東福岡。金古は「行けるって思った。逆に帝京はあんな綺麗な形で決められて、落ち込んだんじゃないですかね」と話す。その一方で、「ガチガチに引いて守ろうなんて考えてなかったです。普段通りにやれば勝てる。ボールを後ろにやるより前へ、前へと。敵陣でボールを回してこそ、ヒガシのサッカーですから」と力を込めた。

 当時のサッカーダイジェスト増刊『高校選手権・決戦速報号』を見返すと、10番・本山も「僕たちのやることは変わらない。外に開いて中で勝負する。パスは強めに出さなきゃいけないことも、みんなよく分かっていました」と語っている。
 

 帝京は後半14分、怪我でベンチスタートだった大型MF貞富信宏を早々にピッチに送り込んで攻勢を強め、同31分には木島良輔に代えてフレッシュな児島敏生を投入して、パワープレーに拍車を掛けた。

 それでも、膠着した戦況を打破できない。金古と千代反田充が立ちはだかる東福岡の堅牢を崩し切れず、チャンスらしいチャンスは掴めないままだった。

「時間が経つのが速かった。どうしようか、どうしようかって、結局ずっと頭を使っていたからだと思う。ちょっとしたミスが失点に繋がってしまいますしね。あとは、スパイクに雪が沁み込んで本当に冷たかったんですよ。爪先とか感覚がなくなりそうなほど。だからボールが来ないところでも、すごく身体を動かしてないとキツかった」

 やがて、運命のホイッスルが鳴り響く。インターハイ、全日本ユースに続く戴冠で、前人未到の3冠制覇を果たした瞬間だ。

「笛が鳴って、なにか大きなことをやり遂げたんだなって実感が湧いてきました。先生は『3冠は後から付いてくるもの』とずっと言っていて、周りはいろいろ騒ぐんだけど、僕らは目の前の1試合1試合にただ集中していた。本当のところ、最後の選手権を楽しんで勝とう、としか考えていなかった。プレッシャーなんて感じてなかったんです。だからみんな、優勝が決まった時も涙はなくて、ただ笑顔、笑顔でしたね」

 ベースにあったのは途轍もない自信と、極限にまで深めた信頼関係だ。

「このサッカーをやれば負けない。特にインターハイに勝ってからは、試合を重ねるごとにみんなで自信を深めていきましたね。選手権に入ってからも3回戦の国見戦や準決勝の丸岡戦は簡単じゃなかった。でも、負ける気はまったくしなかった。失点しても攻撃陣が取ってくれますからね(笑)。

 ここに出せばああ動く。そこがダメならじゃあこっち。いろんな“型”があって、そのすべてをとことんまで磨き上げた。チーム全体がどんなシチュエーションでも予見して動けるんです。あんな完成度の高いチーム、そうそうなかったと思いますよ」
 

 先生への感謝もこみ上げてくる。

「Jのサテライトや大学のチームとかとしょっちゅうゲームを組んでくれて、それでも僕たちは負けなかったから、大きな自信に繋がった。先生はいつも長距離の遠征でもバスを運転してくれて、しんどかったと思うんです。厳しいところもあったけど、僕ら選手のことを第一に考えてくれた。サッカーを心底楽しめる環境を作ってくれた。少しは優勝で、恩返しができたかもしれない。

 ヒガシに入学して本当に良かったなってつくづく思うんです。入部してなきゃ絶対にプロにはなれてなかったし、いまでもお父さん世代に『あの雪の決勝の金古さんですよね?』って言ってもらえるなんて、やっぱり幸せじゃないですか」

 選手権決勝から2日後、福岡に戻った金古たちは、なんと新人戦の地区大会を戦った。その2回戦で、3冠王者はあっさりと敗北を喫してしまうのだ。当然、偉大なる公式戦無敗記録にも終止符が打たれた。

 痛恨の失点は、金古のミスが原因だった。

「雪じゃなくて、今度はすっごい雨でしたね。水たまりでボールが止まって、そこを目の前でかっさらわれてゴールを決められた。めちゃくちゃ落ち込みましたよ、さすがに。宮原(裕司)の指名もあって、もう新キャプテンになっていましたからね。

 ああ、無敗止めちゃったなぁって……。選手権が終わってからテレビ出演やら取材やら大忙しで、ひと息つく間もなかったですから……。負けた責任の重さを感じていました」

 肩を落とす金古に、声を掛けたのが志波だった。「まあ早く負けて良かったよ。これで記者さんたちも少なくなるだろう。気にするな」。金古は、この言葉に救われた。「あの段階で、3冠チームの残像を振り払えたのは大きかったです」と回想する。

 それでも、新チームは大いに苦しんだ。

 インターハイは初戦で初芝橋本の軍門に降り、九州大会で敗れたため、全日本ユースは出場権さえ得られなかった。それでも、選手権を連覇してみせた。金古、千代反田、宮原、榎下貴三、寺戸良平ら3冠戦士たちがさらなるグレードアップを遂げ、ふたたび決勝で対峙した帝京を下したのである。

「僕たちは3冠チームより劣る。1年中ずっと比べられ続けて、『今年のヒガシはなぁ』って言われるたびにナニクソって悔しかったし、見返してやろうって思いでいっぱいでした。このメンバーで勝ちたい。だから、3年の時の嬉しさはまたひと味違った。僕は肉離れで満身創痍でしたけど、みんなと勝ちたかったから、戦い抜けたんです」
 

 最後に、金古に頼まれたことがある。

 3冠を決めた第76回大会で、金古は5得点を挙げ、藤枝東のFW河村優と並んで大会得点王に輝いた。「ディフェンダー」が得点王を獲ったのは選手権史上初であり、ひとつの偉業だ。

「忘れられがちなんです。せっかくの機会なんで、強調しておいてください!」

<了>

取材・文●川原 崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

PROFILE
金古聖司/かねこ・せいじ
1980年5月27日、福岡県生まれ。小中は攻撃的MFまたはFWで鳴らしたが、東福岡高入学後にCBに転向して才能が開花。2年時に伝説の3冠を達成し、3年時には主将として選手権連覇に導く。U-20日本代表にも名を連ねた。卒業後は鹿島に入団し、レンタルで神戸、福岡、名古屋でもプレー。大小の怪我に見舞われながらも、29歳からは東南アジアに活躍の場を移し、2015年末に現役を引退した。埼玉の本庄第一高で5年間監督を務めたのち、今年春から株式会社アストニックに籍を置いてマネジメント業をスタートさせた。さらにスポーツ選手のコンディションを管理するSaaSの「ONE TAP SPORTS」の運営会社ユーフォリアでは、チームサポートとして活躍中だ。

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