南野の強烈なライバル、ルイス・ディアスとは何者か。リバプールが獲得した「78億円のウインガー」の正体

南野の強烈なライバル、ルイス・ディアスとは何者か。リバプールが獲得した「78億円のウインガー」の正体

コロンビア代表でもエース格に成長を遂げたディアス。W杯に出場できれば、衝撃を与える可能性も。(C)Getty Images



 冬の移籍マーケットでリバプールがポルトから獲得したのが、コロンビア代表のルイス・ディアスだ。移籍金は4500万ユーロ(約58億5000万円)+ボーナス1500万ユーロ(約19億5000万円)で、最大6000万ユーロ(約78億円)になると伝えらえる。

 リバプールでは南野とポジションが重なる25歳の左ウインガーは、いかなるキャリアを築き、現在の地位を掴み取ったのか。

 父親の教え、英雄との出会い、ポルトを選んだ決断…。ディアスをコロンビア時代から知る現地記者が、ルーツを紐解く。

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 コロンビア北部、ベネズエラ国境に隣接する人口3万余りの小都市バランカスで、ルイス・フェルナンド・ディアス・マルランダは1997年1月13日、4人兄弟の長男として生まれた。

 父ルイス・マヌエルは、かつてアマチュアクラブで活躍したアタッカーだった。プロにはなれなかったが、生涯を通じてフットボールに携わりたいと考え、スクールを立ち上げて子供たちを指導。結婚する前から彼は、「将来、息子が生まれたら自分の手で鍛え上げ、プロ選手に育ててみせる」と心に決めていた。

 父親が運営するそのスクールにディアスが入ったのは5歳の時だった。2人の弟もそこで幼少期から英才教育を受けている(2人の弟は現在、プロクラブのアカデミーに所属。長兄の後を追っている)。

 今でこそ父親のスクールはディアスの活躍もあって100人を超える生徒が在籍し、経営は軌道に乗っているが、設立当初は練習生の多くが貧しい家庭の出身で、月謝滞納が続出。一家の収入は少なく、家計は火の車だった。そのため食事もろくに取れず、栄養失調気味だったディアス少年は、小柄で痩せていた。

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 それでも、いやそれだからこそ、「絶対にプロ選手になって貧困から抜け出すんだ」と、強い気持ちでトレーニングに励んだ。

 当時のディアスについて、父マヌエルはこう述懐する。

「とても敏捷で、ボールを繊細に扱うことができた。親の贔屓目ではなく、同世代の中では群を抜いていた」

 ただ、試合ではあえて先発させず、ベンチに座らせることがしばしばあったと話す。その理由については、こう説明してくれた。

「周囲の状況をよく見ないで、とにかくドリブル突破にこだわるタイプでね。自分の才能を鼻にかけて、練習で少し力を抜くこともあった。それではプロにはなれないし、もしなれても成功は覚束ない。だから、一種のお仕置きを与えて本人の自覚を促したのさ」

 息子であっても特別扱いせず、むしろ他の子より厳しく指導する父親のもとで、ディアスは成長を続けた。その甲斐あって、すでに10代前半の頃から地域のフットボール関係者の間では有名な存在だった。

 15年、18歳の時に転機が訪れる。南米サッカー連盟が、同年7月にインディオ出身の選手だけで構成された各国代表による南米選手権をチリで開催すると発表。コロンビアもチームを派遣することになり、かつてワールドカップなどで活躍したMFのレジェンド、カルロス・バルデラマが選手選考に加わった。
 

 各地で有力選手を視察したバルデラマは、初めてディアスを見たときの印象をこう語る。

「ほっそりしていたが、とてつもないスピードの持ち主で、(元コロンビア代表の快足ウイング)ファウスティーノ・アスプリージャの若い頃を思い出した。もちろん、一発合格だ。人間的にもしっかりしていたから、キャプテンを任せることにした」

 大会には8か国が参加し、コロンビアはグループリーグを首位で突破。決勝でパラグアイに惜敗したが、準優勝を成し遂げた。ディアスは左ウイングとして全5試合に先発し、1得点を挙げている。

 この大会は以降、一度も開催されていない。いくつかの偶然が重なり、バルデラマに見出されたディアスは、非常に幸運だったと言えるだろう。

 バルデラマはディアスの才能に惚れ込み、大会後、コロンビアの強豪クラブのひとつであるジュニオールの関係者に推薦した。ディアスはそこで初のプロ契約を締結する。

 だが、スピードとテクニックは傑出していたものの、パワーとスタミナが不足していたため、その後1年半はBチームにあたる2部のバランキージャが主戦場だった。クラブは線が細いディアスに栄養価の高い食事を与え、筋力強化のトレーニングを課して、さらなる成長を促した。

 バランキージャでのデビューは16年4月。翌月の試合で初ゴールをマークし、ウインガーとしての能力の高さを早くも示す。だがゴールを終着点として攻撃に関与しようという意識が低く、そこが課題だった。それでも日進月歩の成長を遂げられたのは、自身の才能を信じて疑わず、なおかつハングリーだったからだ。

「ディアスは会うたびに、こうアピールしてきたよ。僕はもう1部でプレーする準備ができていますよ、ってね」

 苦笑しながらそう振り返るのは、当時のジュニオールを率いていたフリオ・コメサーニャだ。 
 
 17年1〜2月にエクアドルで行なわれたU-20南米選手権のコロンビア代表メンバーに招集されたディアスは、5試合に出場。同年7月、晴れてジュニオールに昇格を果たすと、18 年から出場機会を増やし、才能を開花させていった。

「ディアスがきわめて高い潜在能力の持ち主であるのはわかっていた。できるだけ長くプレーさせて、成長を促すべきだと考えていた」と述懐するのは、既出のコメサーニャだ。
 
 理解ある監督のもとでその才能を育んだディアスは、18年シーズンの国内リーグで38試合に出場して13ゴールを記録。ついにブレイクを果たすのだ。

 翌19年シーズンの前半戦も活躍すると、欧州の複数のクラブからオファーが舞い込んだ。そのなかでもっとも良い条件を提示したのは、ロシアのゼニトだった。

 しかし、父マヌエルが息子に強く勧めたのはポルトガルの名門ポルト。その最大の理由は、過去の実績?だ。これまでにラダメル・ファルカオ、ハメス・ロドリゲス、フレディ・グアリンといった多くのコロンビア人選手が在籍し、ポルトをいわばステップボードに欧州のトップクラブへ飛び立っている。気候が温暖で、文化、言語、習慣、食事などもコロンビアと似ており、欧州に挑戦する最初のクラブとしては理想的だ。ディアスは父親の判断を、素直に受け入れた。

 こうして19年7月、722万ユーロ(約9億7470万円)の移籍金でポルトに入団。7番を背負うウインガーは3年目の今シーズン、18試合で14ゴール・5アシストとさらなる飛躍を遂げ、そして1月30日、名門リバプールに引き抜かれたのである。

 プレミアリーグという新たなステージで、コロンビア代表の成長株はいかなるインパクトを放つのか。見逃せない。

文●ファビアン・ロソ・カスティブランコ

Fabian Rozo CASTIBLANCO
ボゴタ出身の45歳。大学でジャーナリズムを専攻し、スペインの『マルカ』紙にコロンビアのフットボール情報を提供。02年以降のW杯を5大会連続で取材しているほか、CL、クラブW杯などもカバー。現在は国内の有力日刊紙『エル・エスペクタドール』、メキシコの電子メディア『フアン・フットボール』に寄稿するかたわら、コロンビア・スポーツ省の広報担当官を務める。

※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年2月3日号より加筆・修正

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