予選で圧巻の9ゴール!36年ぶりのW杯出場を決めたカナダ代表の若きエース、デイビッドとは何者か【W杯の必見タレント】

予選で圧巻の9ゴール!36年ぶりのW杯出場を決めたカナダ代表の若きエース、デイビッドとは何者か【W杯の必見タレント】

爆発的なスピードにボールテクニックを併せ持ち、味方のゴールをアシストするラストパスも魅力だ。 (C)Getty Images



 リーグ・アンのリールに所属する22歳のライジングスター、それがカナダ代表を36年ぶりのワールドカップ出場に導いたジョナサン・デイビッドだ。辺境カナダでの知られざるルーツ、欧州でのキャリアを辿りながら、カタールW杯の主役候補のサクセス・ストーリーに迫る。
 
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 2000年1月14日の生まれのジョナサン・デイビッドは、22歳になったばかりのライジングスターだ。

 昨シーズンにベルギーのヘントからリールに移籍すると、チーム2位の13ゴールをマークしてリーグ・アン制覇の原動力となった。パリ・サンジェルマンから首位の座を奪い返した31節の決勝弾に、15年ぶりの戴冠を手繰り寄せた最終節アンジェ戦の先制弾と、重要なゴールを連発した終盤戦はまさにエースの働きだった。

 爆発的なスピードにボールテクニックを併せ持ち、ポジショニングのセンスが光る。「ピッチのどこにいるべきか、ちゃんと分かるプレーヤーだ」と自分でも胸を張る。ゲームの流れをよく理解し、味方のゴールをアシストするラストパスも魅力だ。

 生まれはニューヨークのブルックリン。ただ、アメリカで過ごしたのは生後3か月ほどで、その後は両親の母国ハイチに戻って首都ポルトープランスで育った。そして6歳になったとき、一家はカナダに移住した。首都オタワが新しい故郷になった。

 カナダといえばアイスホッケーがナショナルスポーツ(国技)だ。ジョナサン少年も氷上でスティックを持ち、仲間とともにパックを追った。しかし、本当に興味があったのはサッカーだった。スティックを扱うより、足でボールを扱うほうが断然、巧かった。夢はヨーロッパでプロサッカー選手になること。いつかカンプ・ノウのような大きなスタジアムで、ティエリ・アンリのように疾走し、華麗にゴールを奪う自分の姿を夢想していた。
 
 10歳で地元クラブのグロスター・ドラゴンズに入って本格的にサッカーを始め、11歳でより規模が大きくレベルも高いグロスター・ホーネッツへとステップアップした。ホーネッツもアマチュアクラブだが強化部門があり、そこでテクニカルディレクター(TD)を務めていたマイク・ラノスは、ウェブメディア『First Time Finish』で当時を振り返ってこう語る。

「彼の小学校の先生から電話があってね。とんでもない4年生がいると。その通りだった。あんな10歳は見たことがなかった。すぐにうちのクラブで預かることに決めたよ」

 ホーネッツでメキメキと頭角を現わし、カナダ・サッカー協会の強化プログラムにも選ばれ、加速度的な成長を遂げていった。

 その成長を語るうえで、見逃せない重要なファクターが、カナダならではの特殊な環境だ。

 雪に閉ざされる冬の間は、屋外で練習ができない。地域にはいくつか屋内フィールドがあったが、野球やアメリカンフットボールなど他競技と共用しなければならず、フルコートは使えない。ハーフコート、あるいは3分の1、6分の1という狭小スペースでのミニゲームを通じて磨かれたのが、足下のテクニックとプレースピードだ。ボールを失わない繊細なファーストタッチに、瞬時の判断力と針の穴を通すようなパスの精度を身につけた。
 

「ボールを持ったらすぐに相手に囲まれる。だから素早く、正確にプレーを展開しなければならない。こうして高度なテクニックを自然と自分の物にしていった」

 ホーネッツの現TD、ジェイ・ダ・コスタもそう証言する。これも『FirstTime Finish』に語った言葉だ。「精神的にも逞しかった。何があっても、どんな状況に置かれてもまったく萎縮しなかった」と、ダ・コスタは振り返る。

 プロへの道も、独自のやり方で切り拓いていった。18歳でヘントに加入するまで、ずっとオタワを離れなかった。もちろん、オファーは絶えなかった。バイエルンで活躍中のアルフォンソ・デイビスを輩出したバンクーバー・ホワイトキャップスにモントリオール・インパクト、トロントFCとカナダに本拠地を置くMLSのクラブから熱心に誘われた。それでも首を縦に振らなかった。勉学を疎かにしたくないという母親の意向があったからだ。本人も同じ考えだった。

 オタワでの練習環境にも不満はなかった。ホーネッツから16歳で移ったオタワ・インターナショナルズでも、質の高い指導が受けられた。協会の育成センターにも通っていたので、それで十分だと本人は納得。MLSというステップなど踏まず、ヨーロッパに渡ってプロになろうと、そう決心していた。
 
 地域のコミュニティーにも支えられた。『First Time Finish』によれば、ジョナサンがサッカーを続けられるようにと、経済的に余裕のない一家を学校の先生やホーネッツの関係者が個人的に援助したという。慎ましやかで思慮深い母親と、同じように誠実で心優しい少年は、誰からも愛される存在だった。

 カナダ代表として出場したユース大会での活躍で、やがてヨーロッパにもその名は響き渡る。ヘント、レッドブル・ザルツブルク、シュツットガルトなどいくつかのクラブから声が掛かり、最終的に選んだのがヘントだった。18年1月、国外移籍が解禁される18歳になってすぐ、ヨーロッパでプロになるという夢が実現した。

 加入から半年間はユースチームで過ごし、迎えた18-19シーズン。デビューは衝撃的だった。2節のズルテ・ヴァレヘム戦、途中交代で初めてピッチに立ったその試合で、終了間際に劇的な同点ゴールを決めた。それだけではない。3節のワースラント=ベベレン戦では、同じく途中出場からラスト8分間で2ゴール。初先発を果たした5節のロケレン戦では同点弾を叩き込む。さらにヨーロッパリーグの予選でも2試合連続でネットを揺らし、デビューから7試合で6ゴールという驚愕のパフォーマンスを演じてみせた。
 
 このシーズンは12ゴールを挙げてヘントの優勝プレーオフ進出に大きく貢献すると、翌19-20シーズンはコロナ禍で打ち切りとなるまでに18ゴールを挙げ、得点王に輝いた。
 

 ヨーロッパ中のビッグクラブが色めき立ち、コロナ禍による移籍市場の冷え込みを物ともせず、争奪戦が巻き起こる。そして、チェルシー、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッド、バイエルン、ドルトムント、インテルと名だたるメガクラブとの競合を制したのが、リールだった。移籍金は2700万ユーロ(約35億円)。これはカナダ人としての史上最高額だ。

 もちろん、リールを選んだ本人には注意深い計算があった。ナポリに移籍したヴィクター・オシメーンの後釜として確実に出場機会を得られると踏んだのだ。
 
 開幕から3か月間はノーゴールと苦しんだものの、クリストフ・ガルティエ監督の戦術修正でブレイクスルーを果たし、その勢いはいまに繋がる。

 22歳のライジングスターを巡り、移籍市場は再び過熱している。争奪戦に油を注ぐのが代理人だ。「リールは今シーズン限り。プレミアリーグは良い選択肢だ。本人はラ・リーガにも興味がある。ボールプレーやテクニックがある選手が好まれる」と煽り立てる。
 
 2022年は、ワールドカップ出場を決めた代表シーンでも主役を演じる可能性がある。北中米・カリブ海予選で9ゴールを挙げたデイビッド以外にも、バイエルンのデイビスに、レッドスターの守護神ミラン・ボージャン、ベジクタシュのMFアティバ・ハッチンソンと現カナダ代表はまずまず粒ぞろいで、彼らとともに衝撃の世界デビューをやってのけるかもしれない。

 そのときは、ピンクのバラが咲き乱れることになるはずだ。開催期間の12月は3年前に亡くした母、ローズさんの祥月だ。昨年の12月にこんなことがあった。ウインターブレイク前最後の19節ボルドー戦。ゴールを決めたデイビッドはベンチに駆け寄ると、一輪の花を受け取り、そっと口づけして天に掲げた。母に捧げたその一輪、それがピンクローズだった。

文●松野敏史

※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年2月3日号より加筆・修正
 

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