事故で急逝した元コロンビア代表リンコン。なぜブラジルで「この半世紀で最も愛された外国人選手」になりえたのか?【現地発】

事故で急逝した元コロンビア代表リンコン。なぜブラジルで「この半世紀で最も愛された外国人選手」になりえたのか?【現地発】

コロンビア代表で3度のW杯に出場したリンコン。(C)Getty Images



 先日、フレディ・リンコンが55歳で亡くなった。コロンビアではそのショックがいまだに広がっている。

 4月11日の午前5時、コロンビアのカリでリンコンの乗る車が営業前の回送バスと衝突。リンコン側の赤信号無視が原因と言われている。助手席に乗っていたリンコンは外傷性脳挫傷を負い、同乗していた女性二人は軽傷だった。彼はすぐに病院に搬送され、3時間近くの手術も施されたがそのまま目覚めることなく4月13日に帰らぬ人となった。

 コロンビアはこの偉大な英雄の死に国中が動きを止めた。特にカタール・ワールド出場を逃したコロンビアにとって、リンコンが活躍していた時代が郷愁と共に思い出され、彼の存在をより大きくしている。

【画像】凄惨な事故現場…リンコンが運転していた車とバスの前方が大破
 リンコンが代表でプレーしていたのは、コロンビアのまさに黄金世代であり、スター選手が数多くいた。ファウスティーノ・アスプリージャ、カルロス・バルデラマ、レネ・イギータ……。彼らはストライカー、10番、GKと目立つポジションだったが、リンコンはボランチ。派手さはなかったが、不可欠な存在だった。

 190センチの長身を活かし、守備も得点もできる選手だった。1990年のイタリアW杯ではグループステージの重要な西ドイツ戦で、終了2分前に劇的な同点ゴールを決め、コロンビアを決勝トーナメントへと導いた。

 94年のアメリカW杯予選ではアルゼンチンをホームで5−0と下した歴史に残る一戦で2ゴール。この衝撃の結果に誰もが驚き、コロンビアは一躍大会ダークホースと騒がれるようになった。

 出身地のブエナベントゥーラでは、リンコンのための大きな祭壇が設けられ、約100万人が弔問に訪れたという。その中にはかつての同僚だった選手たちも混ざっており、コロンビアのすべてのチャンネルはその様子を生中継した。一人のサッカー選手の死を、国を挙げて悼むのは、94年W杯のオウンゴールが原因で射殺されたエスコバル以来である。

 コロンビア・サッカー協会は「我々は彼を大きな愛情と感謝と尊敬、そして称賛の念をもって記憶します」とのコメントを出し、彼の死を悼んだ。

 悲しみに包まれたのはコロンビアだけではない。

 彼はそのキャリアの大部分をブラジルで過ごし、ブラジルで活躍した最初のコロンビア人であり、最も愛されたコロンビア人、いや、この半世紀で最も愛された外国人選手でもあった。

 まずは94年に「インモータル(不死)」と呼ばれたパルメイラスで活躍。この時のチームはロベルト・カルロス、セザール・サンパイオ、マジーニョ、アントニオ・カルロス・ザーゴ、ジーニョ、エバイール、フラビオ・コンセイソンと錚々たるメンバーだったが、リンコンはレギュラーとして重用された。

 その後、ナポリ、レアル・マドリーとヨーロッパの強豪で2シーズンを過ごしたが、またパルメイラスに戻り、今度はカフー、リバウド、ルイゾンなどとプレーした。

 97年に移籍し、2000年までプレーしたコリンチャンス時代が、選手としてのキャリア最高の時期になった。ブラジル全国選手権で2度優勝し、なによりキャプテンとして最初のクラブワールドカップのトロフィーを掲げたのである。

 コリンチャンスのサポーターは一般庶民が多い。だから一度彼らのスターになれば、生涯にわたって愛してくれる。リンコンはまさに永遠のスターだった。彼はサントス、クルゼイロなど多くのブラジルの名門でプレーしたが、そのすべてのチームで愛されていた。
 
 引退後は監督となりブラジルの小さなチームをいくつか率いたのち、コリンチャンスのユースチームやアトレチコ・ミネイロのサブコーチなども務めた。ただ07年にドラッグの密輸とマネーロンダリングの罪で有罪判決を受けた。彼自身は関与を否定していたが、それが唯一の汚点であった。

 その後はコロンビアでTVのコメンテーターを務め、代表戦やEUROなどの解説をしていた。歯に衣を着せず、チーム批判も恐れない彼の態度は時に物議も醸し出したが、愛されてもいた。
 
 彼が亡くなった日、ブラジルではウクライナやコロナのニュースよりも大きく報じられた。

 サンパウロ州のすべてのチームはSNSやホームページなどで哀悼の意を表した。彼が所属していたコリンチャンスはリンコンのことを「我らがキャプテン」と呼び、クラブのトロフィールームを「リンコンの間」と変更することを検討中だ。

文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子

【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/ブラジル・サンパウロ出身のフリージャーナリスト。8か国語を操り、世界のサッカーの生の現場を取材して回る。FIFAの役員も長らく勤め、ジーコ、ドゥンガ、カフーなど元選手の知己も多い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭をとる。
 

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