「真剣に遊ぶ」シニアのための“裏選手権”発起人・中村篤次郎が描く夢【日本サッカー・マイノリティリポート】


 O−40のシニアサッカーの世界には「表」と「裏」の全国大会が存在する。数年前に“裏”選手権を構想し、仲間を巻き込んで実現させた大会の発起人は「真剣に遊ぶ」というコンセプトを掲げながら、大きな夢を温めている。

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 2020年の秋に産声を上げた、ある大会の開会式――。Jヴィレッジのピッチには40歳以上のシニアの選手がたくさん集まっている。大会の発起人•プロデユーサーとして挨拶する中村篤次郎(なかむら・あつお)は、大切な参加者である彼らにあえてこう言った。

「できれば、ここで皆さんに、お会いしたくありませんでした」

 同じ日、別の場所ではJFAが主催する「全日本O−40サッカ—大会」が開催されている。そちらに出場しているのは、全国の地域予選を勝ち抜いた16チー厶だ。一方、Jヴィレッジで中村の挨拶に耳を傾けているのは、JFAの主催大会は予選で姿を消した敗者たち……。

 JFAの大会を「表」とするなら、中村たちのこちらは「裏」だ。大会名にも「全国シニアサッカー“裏”選手権」とわざわざ「裏」を盛り込んだ。

 大会の発起人でプロデューサーの中村は、開会式で話をしながら少しだけホッとしていた。ああ、晴れて良かった。今朝のJヴィレッジは快晴で風もない。目の前には、日本の各地からこの大会のために福島まで駆け付けてくれた人たちがいる。

 よく来てくださった。ようやくここまで漕ぎ着けた。そんな感慨を覚えながら、中村はあえて表明したのだ。ここで皆さんに、お会いしたくなかったと。

 もう少し穏やかな表現のほうが適切だったのかもしれない。ただ、マイクを握りしめているうちに、自然とあのような言い方になっていた。もちろん本当は、お会いできてとても嬉しい。だけど、来年はここには来ずに、「表」の大会に出場してほしい。新たに立ち上げた大会の冒頭に、どうしても伝えておきたいメッセージのひとつがそれだった。



 中村が“裏選手権”を立ち上げたのは、悔しさからだ。子どもの頃は野球少年だった。中高でも野球を続け、甲子園を目指していた。サッカーを始めたのは大学からだ。ひょんなことから同級生に見込まれ、同好会に加わった。

 当時のポジションはGKだった。大学卒業後は就職した会社でサッカーチー厶を作り、泊まりがけの大会に参加したこともある。走り回るのが好きで、GKから徐々にフィールドプレーヤーへと変貌を遂げていく。
 
 シニアの全国大会を目指すようになったのは、40歳になり数年が過ぎた頃からだ。ボールを蹴った分だけ上手くなるのが実感できるようになり、それまでは遊び程度でやっていたサッカーにのめり込む。住まいのある東京都内のチー厶を掛け持ちし、それでも飽き足らず、その日限りの寄せ集めのチー厶でもプレーした。

 シニアサッカーの現場で親しくなったのが、林茂(はやし・しげる)というFWの選手だった。複数のチー厶を林も掛け持ちしていて、俺たちよく一緒になるよねと、向こうから話し掛けてきた。

 シニアの全国大会があると教えてくれたのが、中村より10歳ほど年上のその友人だ。聞けば林は、50歳を過ぎてから全国を初めて経験したと言う。JFAが主催する「全日本O−50サッカー大会」がそれだった。林が聞かせてくれる全国大会のキラキラした思い出は、中村の想像力を?き立てた。

「アツ(中村)ならきっと、全国を目指せるよ」

 傑出した中村の運動量を知っているからなのか、林はそう言って駆り立てた。少年時代から全国大会とは無縁だった中村は、林に背中を押され、その気になる。

 親しくしていた別の友人から、一緒に全国を目指さないかと誘われたのが、同じ頃だ。遠距離ではあったが、誘ってくれた友人と同じ石川県金沢市の強豪チー厶に加わり、中村は2014年以降の3年間、北信越地域からJFA主催の全国大会出場に挑戦する。北陸新幹線が当初は開通していなかったので、羽田からの飛行機を利用して試合や練習に参加した。
 
 中村は本気だった。パーソナルトレーナーの下で計画的なトレーニングに励み、本来はトップアスリー卜のための沖縄での合同自主トレにも誘われて、3年続けて参加した。よく走るアマチュアのサッカー選手が、プロ選手たちの刺激剤にもなるだろうと、トレーナーに見込まれていたのかもしれない。

 合同自主トレの参加者にはJリーガーが多く、1年目は元日本代表MFの高橋秀人(現横浜FC)や、プロ入り直前の稲垣祥(現名古屋)もいた。磐田や大宮などでプレーした上田康太(現クリアソン新宿)とは、やがてふたりで海外旅行に行くほど親しくなった。

 沖縄での合同自主トレは正月明け早々に、4〜5泊の日程だった。トレーニングは早朝6時半からの約2時間と、14時からの2〜3時間という2部制だ。一緒に汗を流しているうちに、Jリーガーたちからイジってもらえるようにもなった。

「オッサンの割には、アツさん、頑張っているじゃないですか」

 北信越地域から全国を目指した中村の挑戦は3年で終わる。JFA主催の全国大会には手が届かないままだった。

 中村は想像していた以上に打ちひしがれた。毎年1年間、フルタイ厶の仕事に従事しながら定期的なトレーニングを欠かさず、食事やコンディションにも気をつけてきた。JFA主催の大会期間は、あらかじめそのために空けておく。移動や滞在にかかる費用も工面しておく。

 心にぽっかり穴があいたような悔しさのなかで、中村はあることに気がついた。こんなに意気消沈しているのは、自分だけなのか。いや、違うだろう。予選敗退に打ちひしがれているシニアは、他にもたくさんいるはずだ。

 いっそのこと、「表」のために空けておいた日程で「裏」の全国大会を企画開催すれば、大勢が喜んでくれるのではないか――。“裏選手権”はそんなある種の奇想から始まった。



 2021年の秋、裏選手権は第2回大会を無事に終えた。同時期に開催されていた「表」の全国大会では、「裏」の第1回大会で上位進出を果たしていた「羅針盤倶楽部NAGOYA」(愛知県名古屋市)と「FC船橋」(千葉県船橋市)の2チー厶で決勝戦を戦った。

 それは中村を力強く鼓舞する事実となった。なぜならば、裏選手権を次のように位置づけているからだ。翌年の「表」に向けての第一歩の大会にして下さいと。

「やっぱり続けていかなければならないと思いましたね。この大会を」
 
 掲げているコンセプトは「真剣に遊ぶ」だ。第2回大会の決勝戦をピッチの外で見守っていた中村は、選手たちが覗かせる会心の笑顔に目を奪われた。ファイナリストとなった「JOBS (ジョブズ)」は、JリーガーのOBたちで構成されている。対戦する「SOL TODA」(埼玉県戸田市)の選手たちは、元日本代表で歴戦の石川直宏を含むプロ経験者たちを本気にさせていた。

 本気で戦っているからこそ、心は躍り、ふとした瞬間に笑みがこぼれる。日常生活ではなかなか味わえない、真剣勝負ならではの醍醐味だ。

 決勝はJOBSが敗れる結果となった。

「来年は絶対、優勝するぞ」

 元Jリーガーが悔しそうに、でも楽しげにそう呟く光景は、「真剣に遊ぶ」というコンセプトを個人的にも大切にしてきた中村を、満ち足りた気持ちにさせるものだった。

 決勝戦の翌日、中村は早くも2022年の大会に向けて、大会のクオリティをどう上げていくか、考えを巡らせていた。判断の基準となるのは「プレーヤーズ・ファースト」の精神だ。

 裏選手権の実行委員会は4人で構成されている。中村が発起人となり、イベント運営のプロでノウハウを持つ脇田英人(実行委員長)と、シニアサッカー界やビジネスの世界でも顔の広い渡邊俊介を巻き込み、第2回大会からは「表」への出場歴を持った、Jクラブとのパイプも太い福富信也が新たに加わった。

 異なる視点を持った、補い合える4人であり、レフェリーを含めた多くの関係者の尽力に感謝しながら、それでも大会当日の運営の人手は十分には足りていない。「選手第一」をさらに追求していくためにも、シニアサッカーへの熱い思いを共有できる仲間をどう増やしていけばよいか、中村たちは策を練っている。
 
 裏選手権は予選のない応募招待制だが、どんなチ—厶を招待するかの基準は設けている。JFAが主催する全国大会の予選などで一定以上の実績を残していて、何よりも「真剣に遊ぶ」O−40のチームが対象だ。

 大会は1泊2日の日程で、招待された出場12チー厶が4ブロックに分かれ、初日の予選リ—グを経て、2日目のトーナメントに臨む。試合時間は50分(25分ハーフ)で、同点の場合はPK戦で決着をつける。各チーム2日で計4試合というなかなかのハードスケジュールだ。

 怪我対策には力を入れてきた。プロやその予備軍のトレーナーたちが、消耗した身体をケアしてくれるブースを設け、特別協賛の「オムロンヘルスケア株式会社」をはじめとする協賛企業からの提供で、コンディションを整え、向上させる医療機器やサプリメントも使用できる。

 2年目の大会からトレーナーを増員し、9人体制とした。初日の試合終了後はトレーナーブースを宿泊棟に移し、密を避けるなどの感染症対策を施しながら、より多くの選手がケアを受けられるように工夫した。

 トレーナーチームには学生も含まれていて、全員プロを目指している。ひっきりなしのケアが大変そうなので、学生のひとりに「大丈夫?」と中村が声を掛けると、返ってきたのは気持ちの良い返答だった。オジサンたちは「ここが痛い、あそこが痛いとどんどん教えてくれるので、めちゃくちゃ勉強になってます!!」。

 Jヴィレッジでの開催にも意味がある。

「日本サッカー界の“聖地”ですし、震災復興支援に少しでも貢献できたらと」

 1年目の2日間、2年目の2日間といずれも快晴で天候にも恵まれた。選手たちに好条件下でプレーしてもらえたのも、中村たちには喜ばしいことだった。

 裏選手権には、幻の「0回大会」がある。2019年の秋に開催予定だった最初の大会は、大型の台風接近で断念せざるをえなかった。
 
 そんな経緯もあったので、2020年の第1回大会を無事に終え、友人の運転で帰京する車の中で中村は安堵していた。携帯しているスマホには、出場チームの代表者や選手たちから続々とメッセージが届いている。

 中村が感謝の気持ちを綴って発信したSNSへの投稿にも多くの反響がある。「ものすごく良い大会でした」「楽しかったです」「ありがとうございました」。喜びの声をたくさん受け取り、助手席の中村は静かに嗚咽(おえつ)していた。

 何事も起きてないかのように隣で運転してくれている年下の友人の優しさを感じながら、中村の嬉し涙は止まらなかった。



 裏選手権の第2回大会にJリーガーのOBチームを招待したのは、中村たちがある構想を温めているからでもある。

「Jクラブのシニア選手権です」

 中村はツエーゲン金沢の初代GM(2005〜07年)で、FC東京の営業部員(07〜09年)だった職歴も持っている。

「今はJ3までクラブがあって、若年層を育成するカテゴリーは充実しています。けれど、シニアのチームはありません」

 シニアのカテゴリーをJクラブが設け、例えばJリーグの試合の前座でシニアチーム同士が対戦する。齢(よわい)を重ねても、これだけやれるのかと観衆を沸かせる。元Jリーガーたちが憧れの存在のまま、中高年世代のロールモデルとなり、少子高齢化が進んでいく社会をサッカーで元気にしていけたら――。描いているのはそんなイメージだ。
 
 中村のイメージはさらに膨らむ。複数のJクラブでプレーした選手はプロ生活にピリオドを打ったあと、どのクラブのシニアに所属するかを好きに選べるようにする。クラブが選ばれる側になれば、選手に選んでもらえるように、より良いクラブに成長していくのではないだろうか――。

 大きな夢は、シニアのワールドカップ開催だ。中村は長期的な展望を忍ばせている。

「私たちの代では叶わないかもしれません。それでも裏選手権を脈々と続けていけば、ノウハウがそれだけ蓄積されていくわけですから。開催の可能性は必ず出てくると思っています。私たちの思いを受け継いでくれる人たちが現われるまで、バトンを握り続けていたいです」

 中村はひとりの選手として、全国大会出場という目標も持ち続けている。目指しているのは、JFAが主催する「全日本O−50サッカー大会」の予選突破だ。

 中村に限らず、裏選手権の実行委員を務める誰もが心置きなく「表」の全国大会に出場できるように、「裏」の運営体制が強化されている未来を見据え、まずは今年の第3回大会に向けて中村たちは準備を進めている。

 近未来に向けて構想しているのは、移動の費用や時間がかさむ遠方のチームも参加しやすくなるように、大会を東西に分けて開催する方式だ。東西の王者が激突するチャンピオンシップを創設しても面白い。

 さらにはこれまでの40歳以上に加えて、50歳以上、60歳以上とカテゴリーを増やしていく裏選手権の拡大も視野に入れていると言う。



 振り返れば、ここまで辿り着けたのは友人となる林茂とシニアサッカーの現場で知り合い、アツなら全国を目指せると背中を押されたからだった。ある時、これが俺の宝物だと林が自慢げに見せてくれたのは、何冊も書きためてある手帳だった。

 めくられたページには公式戦の日付、対戦対手、天候、自分の得点とアシストを記録した文字が、びっしり書き込まれていた。
 
 2019年の夏、56歳の若さで林は永眠する。亡くなる数か月前には中村が幹事となり、この友人の「公式戦通算1000ゴール、100ハットトリック」を祝う会を開いている。すでに病に冒されていた林は、入院していた病院からスーツ姿で現われると、中村たち友人が林のために共同制作したメモリアルDVDの映像に嬉しそうに見入っていた。

 中村はふと想像することもある。茂さんのことだから、裏選手権にも出たいと言ってくれたかな。でも、きっとこんな台詞(せりふ)かもしれないな。

「目指すのはやっぱり、“表”だよね」

 シニアの本気は、若者たちの心を動かす力も秘めている。中村がそう感じたのは、裏選手権第1回大会の初日だった。

 少し手があいた中村は、福島県内の高校から大会の運営を手伝いに来てくれていたサッカー部員のひとりに話し掛けた。会話のディテールはよく覚えていないが、たしかこんなふうに声を掛けた。

「どう? オッサンたち、スゴいでしょ」

 その場にいるのは高校生と中村のふたりきりだったが、目の前で繰り広げられているシニアの熱戦からお互いに目を離せない。だから、ふたりとも顔はピッチのほうに向けたまま、声だけの会話となっていた。高校生はこう呟いた。

「これ、ガチですよね?」

 ちょっと控え目にも映る、物静かな雰囲気の高校生が発した次の言葉に、中村の心は大きく震えた。もしかすると声だけの会話だったから、ポロっと本音がこぼれたのかもしれない。

「俺たちも、こんなふうに、なれるのかな?」

 あの高校生がシニアの選手たちに向けていたのは、驚きと畏敬が入り混じった感嘆のまなざしだったに違いない。中村はこう考えている。大人たちが真剣に遊べる場、真剣に遊ぶ熱さが、これからの時代はいっそう求められるのではないだろうか。未来を担う若者たちの心に、希望の灯をともすためにも。
(文中敬称略)

取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)

【PHOTO】敵も味方も関係なし…ワールドカップの美しき光景
 

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