30年目のJリーグ、歴代最強助っ人ベスト5! イニエスタやブラジル主将を抑えての1位は? 特別賞は「日本の指導者は見る目がない」と公言した…

30年目のJリーグ、歴代最強助っ人ベスト5! イニエスタやブラジル主将を抑えての1位は?  特別賞は「日本の指導者は見る目がない」と公言した…

加部氏の“J歴代最強助っ人”トップ5に選出さえた(左から)イニエスタ、ストイコビッチ、ビスマルク。(C)SOCCER DIGEST



 2022シーズンで節目の30年目を迎えたJリーグ。その長い歴史の中で、数々の偉大なプレーヤーが日本サッカー界を盛り上げてきた。本稿では、日本リーグ時代から長きにわたり、日本サッカーを追い続けてきたスポーツライターの加部究氏が、ファンの記憶にも残る強烈なインパクトを残した“J歴代最強助っ人”を選出。そのベスト5をお届けする。

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【J歴代最強助っ人 ベスト5】
1位:ドラガン・ストイコビッチ(元名古屋)
2位:ビスマルク(元V川崎、鹿島ほか)
3位:アンドレス・イニエスタ(神戸)
4位:ギド・ブッフバルト(元浦和)
5位:ドゥンガ(元磐田)
 
 タレントの宝庫だった旧ユーゴスラビア屈指のファンタジスタと、欧州でその名が鳴り響く気鋭監督のJリーグでの遭遇は、今後2度と実現しないレベルの奇跡だった。

 1990年イタリア・ワールドカップでの活躍で「次代を担うスター」と世界中に認知されたドラガン・ストイコビッチは、度重なる故障が原因で1994年に名古屋と契約。ゴードン・ミルン指揮下の最初のシーズンは、頻繁に遅刻を繰り返し、体重もオーバー気味でふてくされていたという。

 もしこのまま体制が変わらなかったら、ここでピクシーのサッカー人生は尻すぼみで幕を閉じていたかもしれない。だがチームは極度の不振でリーグのお荷物状態から脱却できず、ミルンを解任して新監督の招へいに動き出す。当初白羽の矢が立ったのはフース・ヒディンクだったが、オランダ代表監督就任の話が浮上して断念。代わりにやってきたのがアーセン・ヴェンゲルだった。

 ヴェンゲルの指揮でストイコビッチもチームも急変貌を遂げた。名古屋は最も刺激的で魅力溢れるサッカーを見せるようになり、その中心にはストイコビッチが君臨した。蘇ってファンの感嘆を引き出す創造性や華麗なテクニックを披露するようになったのは在籍2年目から。だがそれでも、日本のファンは7年間もストイコビッチの妙技を堪能できて、このあいだにピクシーはW杯にもEUROにも出場した。

 正真正銘の天才の凄み、サッカーの楽しさを長期間にわたり体現してくれたという点で歴代最高の助っ人とした。残念だったのは、積み上がったカードのおかげで出場試合数が限定されたことだが、その分、適度な休養が取れたこともコンディショニングの維持に役立ったのかもしれない。
 

 2位のビスマルクもJリーグで最盛期を迎え、ヴェルディ川崎と鹿島で優勝請負人として勝ちまくった。19歳でイタリアW杯のブラジル代表メンバーに選ばれながら23歳で来日。ストイコビッチのように派手に創造性を発揮するタイプではないが、とにかく全ての局面で最適の判断に伴う精度の高いプレーを披露し続けた。ゴールを決めたあとのお祈りポーズも一世を風靡し、子供たちが盛んに真似た。

 3位は21世紀で最大のインパクトをJリーグに与えたアンドレス・イニエスタ。前世紀に比べれば当然日本人選手の底上げも進んだが、そのなかでもボールを奪われず、さらには楽々と奪い返すテクニックも傑出している。もちろんゴールに繋がる仕上げの精度も際立ち、近年稀なJクラブの大型投資に見合った存在感を見せつけた。

 4位はギド・ブッフバルト。浦和もJ開幕当初は低迷が長かったが、圧倒的な存在感で守備を統率し、浮上の基盤を築いた。

 西ドイツ代表では、アルゼンチン代表と対戦する際、ディエゴ・マラドーナのマークを託されることが多く「ディエゴ」のニックネームがついていたそうだが、同時に長身のDFながらテクニシャンだった意味も含まれていた。浦和に加入してしばらくすると、ブッフバルトの深いスライディングなどが、周りの選手たちにも浸透していったのが印象的だった。
 
 そして5位は、JリーガーとしてW杯に参戦し、1998年フランス大会の開幕戦でゴールも決めた元ブラジル代表のセーザル・サンパイオ(横浜フリューゲルスや柏、広島でプレー)とも考えたが、やはりチーム全体への影響力の大きさを考えてドゥンガにした。

 もともと全体的に技術的なレベルが高い磐田で、大声で全体を叱咤しまくり、チームに戦う姿勢を植えつけて黄金時代への扉を開いた。ブラジル代表に入ると、技術的には凡庸に映りがちだったが、並外れた集中力と勝負強さがあり、ミスも少なかった。主将を務めたブラジル代表でも、怒鳴り散らすスタイルはまったく変わらないが、責任に値するプレーはしっかりと見せていた。

 一方で、日本にいながらJリーグでデビューも果たせずに帰国し、即座に大化けしたという点で特別賞を贈りたいのがアモローゾ。J開幕当初のヴェルディ川崎のサテライトに所属し、帰国した途端にブラジル代表に選ばれた。

 ブラジル、ドイツ、イタリアと3か国のリーグで得点王を獲得。ブラジル代表として凱旋すると、記者会見で「日本の指導者に見る目がなかったんだ」と公言。当時ヴェルディの松木安太郎監督は、後にアモローゾと再会するが、「マツキ、もうオレは高くて買えないよ」と言われたそうである。

文●加部 究(スポーツライター)

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