エスパルス内定の齊藤聖七、底なしの“清水愛”「一刻も早くオレンジのユニホームを着て、プレーしたい」【独占インタビュー】
2022年06月02日 13時35分サッカーダイジェストWeb

6月2日、来季からの清水加入が発表された齊藤。貫かれた“清水愛”や見据える未来について語ってくれた。写真:安藤隆人
6月2日、流通経済大MF齊藤聖七の2023年シーズンからの清水エスパルス加入内定が発表された。
神奈川県出身の齊藤は、地元のFCパルピターレジュニアユースから清水ユースに進み、トップ昇格を果たせずに流通経済大に進んだ。今回の内定は古巣復帰であった。
「たった3年しか住んでいないのに、なぜか一番愛着がある街なんです。不思議ですよね」
齊藤は清水への思いを熱く語ってくれた。筆者は4年前、彼がトップ昇格できるか、できないかの瀬戸際にいる姿を目の当たりにしていた。
「多分厳しいと感じているのですが、やっぱり僕はトップ昇格が夢なんです。なので、どこかで諦めきれない自分がいるんです」
希望と現実の間で揺れ動く清水ユースのナンバー10。高3の夏にチームはクラブユース選手権で破竹の快進撃を遂げ、大宮アルディージャユースとの決勝で齊藤は前半アディショナルタイムに貴重な追加点を叩き込み、16年ぶり2度目の優勝に大きく貢献した。
キャプテンとしてもチームを力強く牽引する姿をクラブ首脳陣も高く評価していたが、現実はトップ昇格を見送る決定を下した。
苦しさと悔しさを味わう形で流通経済大に進学するが、清水愛は消えるどころか、ますます増大するものであったという。
なぜ、そこまでの清水愛を抱いているのか。今回はインタビューコラムとして、その経緯と理由、そして齊藤が見据える未来について聞いてみた。
――◆――◆――
「ずっとエスパルスというクラブが僕の頭の中にあったので、そこに加入が決まって素直に嬉しいです。高校時代、トップに上がるためにユースに来たので、上がれない時は悔しかった。上がるか上がれないかわからないとギリギリまで言われて、それで『上がれない』と言われた時は、さすがに『もうこんなクラブ、2度と知るか』と一瞬思いましたが、それも一瞬だけでした。やっぱり清水という街をすごく気に入っているし、クラブも大好きという気持ちが上回ったので、『戻るために何をすべきか』とずっと思ってサッカーをやってきました」
ユース時代の3年間で、なぜここまでの想いを抱くようになったのか。それは齊藤のサッカー人生に隠されていた。
「僕はもともとエリートどころか、かなりの雑草だったんです」
小学校時代、Jクラブの下部組織は雲の上の存在だった。小6の時は横浜F・マリノスのジュニアユースのセレクションに挑戦するも落選。さらに他の神奈川の強豪町クラブのセレクションすらもことごとく落選し、完全に自信を失った。
そして、やっとの思いで加入したFCパルピターレで運命の出会いを果たすことができた。FCパルピターレは明治大サッカー部の栗田大輔監督が代表を務めるクラブで、そこで多くのものを吸収できた。チームとしてはJクラブや街クラブの分厚い壁の前に結果を残せなかったが、そこでサッカーを存分に楽しんだ齊藤は、清水出身の栗田監督の繋がりもあり、清水ユースのセレクションを受けることになったのだった。
「Jクラブをことごとく落とされた僕が、初めて合格をもらいました。それが本当に嬉しかったし、最初に清水の三保グラウンドに見学に行った時に、空がすごく青くて綺麗で、海沿いの風景に心から感動したんです。
気候も穏やかで、『この街、なんか好き』となったんです。帰りに親とエスパルスドリームプラザに寄ったのですが、街の中にエスパルスを全面に押し出した商業施設があること自体に驚いたし、1階の出店が並ぶところで店のおばちゃんに『来年から清水に住むんです』と言ったら、『なんで?』と言われて、『エスパルスのユースに入ります』と言ったら、『エスパルスに!?応援しなきゃいけないね!』と満面の笑みで言われて、本当優しい気持ちを感じました。
サッカーを愛する地元の人たちに惚れて、清水という街に惚れて、エスパルスというクラブに惚れて、穏やかな気候に惚れて……。全てが素晴らしくて、僕の劣等感すら包んでくれるような場所だなと。『俺の居場所はここだ』と思えたんです」
清水ユースでの日々は刺激的だった。高1の時、初めてIAIスタジアムにトップチームの応援に行った時も、心が震えた。
「スタンドから綺麗な清水港と富士山がくっきりと見えるし、太陽の日差しがピッチ上によく当たって、その太陽の光に照らされたオレンジってめちゃくちゃ輝くんですよ。綺麗な芝生のピッチに、太陽に照らされたオレンジの戦士たちがプレーする。それがめちゃくちゃかっこよくて、キラキラして眩しいんです。
さらにスタンドもオレンジ一色で、あの独特で耳に残るサンバのリズムの中に包まれて……。もう一刻も早くここでオレンジのユニホームを着て、大好きな清水の太陽に照らされながらプレーしたいって思ったんです」
清水ユースでは1年時から出番を掴み、2年時は主軸としてプレミアリーグEASTで躍動するなど、順風満帆なサッカー人生を歩み始めた。当時、ユースの監督であった平岡宏章監督からも全幅の信頼を寄せられ、3年時にはエースでキャプテンとなった。
しかし、高3になってからは前述した通り、徐々に厳しい現実が重くのし掛かった。
「クラブユース選手権の前に関係者から『トップ昇格は厳しいかもしれないから、大学や他を探したほうがいい』と言われたんです。でもまだはっきりと『上がれない』と言われたわけではなかったので、『ユースで結果を出そう』と思っていました。
実はクラブユース選手権の前に痛みがあって、MRIを撮ったら第5中足骨にヒビが入っていたんです。この箇所は完全に折れないと手術ができないので、『昇格に向けて折れるまで死に物狂いでやろう』と覚悟を決めて臨んだんです。
それで優勝してから『まだチャンスがあるぞ』と言われて、最終セレクションとなる1週間の練習参加が決まったのですが、優勝してからSBSカップ、プレミアリーグと連戦が続いて、オフがほぼない疲労困憊の状態で練習参加することになったんです。なんとか持ってほしかったのですが、初日の紅白戦で踏ん張った瞬間に……」
自分でも折れたことがはっきりと分かった。“トップ昇格の夢”も折れてしまった音に聞こえた。
「あと数日だけでも持ってくれたら……」
思いは届かず。大学進学を決めた齊藤を、熱心に誘ってくれたのが明治大と流通経済大だった。経済面などいろいろ含めて考えた結果、流通経済大に進んだ。
「自分のことを最後まで思ってくれた栗田さんや、同じように熱心に誘ってくれた流通経済大のためにも、4年後に必ずエスパルスに戻ると覚悟を決めました」
流通経済大では1年から出番を掴むことができた。2年時には曹貴裁コーチ(現・京都監督)も加わり、「高校までの僕に決定的に足りなかったハングリー精神やチームのために戦うという精神を植え付けてもらった」と語るように、多くの経験と思考を大学生活を通じて身につけた。
さらに1年時からずっと兵働昭弘スカウトとコミュニケーションが取れていたことも大きかった。兵働スカウトは齊藤が第5中足骨を負傷した時、紅白戦の味方としてピッチに立っていた。
「多分、僕がラストチャンスだったことも知っていて、紅白戦が終わった後も『俺が上の人に言っておくよ』と言ってくれたんです。もともと僕を気にかけて話しかけてくれる偉大な先輩選手だったので、僕が卒業して1年目にスカウトになったと聞いた時は、運命だと思いました」
兵働スカウトとの絆を深めながら、清水にふさわしい選手になるべく、彼は不断の努力を続けた。そして今年3月のデンソーカップチャレンジ福島大会の後に念願の獲得オファーが届き、即決した。
「僕がユースに加入してから、エスパルスはなかなか上位に食い込めていません。僕はまだ『強いエスパルス』を目の当たりにしていないんです。今も正直、苦しい時期を過ごしていますし、僕が高校時代に恩師としていろんなものを教えてくれた平岡宏章監督も解任されてしまいました。
でも、僕はエスパルスがどんな状況であっても、あのオレンジを着てプレーしたい気持ちは一切変わりません。仮に来年はJ2になったとしても、僕はエスパルスでプレーすることに意義を見出しているんです。むしろ僕が入って、もう一度、強いエスパルスを取り戻したい気持ちが強い。それくらいの気持ちじゃないといけないし、そう思ってエスパルスに入らないと応援してくれる人たちに失礼だと思っています」
清水に戻ることは決まった。これからはお世話になった流通経済大で躍動し、即戦力として愛する場所へと羽ばたくべく。齊藤は気持ち新たにこれからを歩み出す。
「栗田さん、平岡さん、チョウさん、中野(雄二・流通経済大監督)さんと、僕は本当に指導者に恵まれています。全員から『周りから応援されるような選手になれ』と言われていたのですが、今はその言葉の意味がはっきりと分かりました。
まずは今、負けが多くなっている流通経済大で結果を残して、チームを1つでも上の順位に押し上げて、来年は1年目からサポーターの皆さん、清水の街の人たちに応援してもらえるような熱いプレーをピッチでしたい。『齊藤』ではなく、『セナ』と呼んでもらえるように頑張りたいです」
取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)
【PHOTO】清水エスパルスの歴史を彩った名手たちと歴代ユニホームを厳選ショットで一挙紹介!
記事にコメントを書いてみませんか?