フットサルの選手→監督からの叩き上げ。清水の新指揮官ゼ・リカルドの異色のキャリア【現地発】

フットサルの選手→監督からの叩き上げ。清水の新指揮官ゼ・リカルドの異色のキャリア【現地発】

ヴァスコ・ダ・ガマの監督を辞任し、清水を率いることになったゼ・リカルド。(C)Getty Images



 清水エスパルスの監督となったゼ・リカルドは、ここ数年で頭角を現してきた人物だが、他の指揮官とは異色の経歴を持つ。

 彼はサッカーではなくフットサルのプロ選手であり監督だった。イタリアからの移民二世で、イタリアのパスポートも持っている。ちなみに彼の本名はジョゼ・リカルド・マナリーノ。ブラジルでジョゼは短く「ゼ」と呼ぶことが多い。だからゼ・リカルドだ。

 マラカナン・スタジアムのおひざ元で育ち、父が経営していた、彼が兄弟と手伝っていた新聞スタンドもこの地区にある。つまりずっとサッカーの空気を吸って育った人間だ。のちに入ったフットサルのチームもこの地区にあった。

 最初に入ったサッカーチームはサオ・クリストバオで、かの怪物ロナウドも所属していたチームだ。ゼ・リカルドも何度か彼を見かけたことがあったかもしれない。
 
 ゼ・リカルドは12、13歳までサッカーを続けた。しかしリオのほぼすべてのサッカーチームのテストを受けても、どこも獲得してはくれない(唯一フラメンゴのテストだけは受けなかった。当時フラメンゴの若い世代には多くの優秀な選手がいたので、彼は元から無理だとあきらめたのだそうだ)。

 オラリオというリオの小さなサッカーチームに半年だけ在籍したが、その後はフットサルに転向。25歳までプレーし、その間にリオのトーナメントで優勝もした。

 21歳からはフットサルの伝統あるチーム、ヴィジャ・イザベルでプレーしながらも、若い世代のコーチをしていた。リオのフットサルのベスト選手、ベストコーチにもなったこともある。

 引退後はそのままフットサルのコーチとなり、バスコ・ダ・ガマやボタフォゴのフットサルチームを率いた。

 その後イタリアに渡り、アスコリのフットサルチームのユースとトップを率い、監督だけでなく、フィジカルトレーナー、GKコーチまで務めた。彼がアスコリにいた時代はイタリア・サッカーの黄金期で、なかでもアリーゴ・サッキのサッカーに心酔したという。

 彼はそのままイタリアにいてもいいと思っていたが、2005年にフラメンゴのジュニアチームの監督の話が舞い込み、ブラジルに戻る。2006年にはU−15のチームを率いてリオ選手権で優勝する。この時最終的に優勝を争ったバスコにはフィリッペ・コウチーニョ(現アストン・ビラ)がいた。しかし2008年には解任され、2009年にアウダックスを率いる。
 その後、2012年に彼はまたフラメンゴに呼び返される。2014年にはU−15のチームを率い、フレンドシップカップ・ブラジル・ジャパンで優勝。彼のサッカーでの初のタイトルとなった。ちなみにこの大会は98年に日伯の若い選手の交流を目的にジーコが創設したものだ。

 2016年には、80以上のチームが参加するブラジル最大のユース大会コパ・サンパウロでU−18フラメンゴを優勝に導き、ゼ・リカルドの名は一気に知られるようになった。

 そして、その後に大きな転機が訪れる。この年の5月、フラメンゴのトップチームを率いていたムリシー・ラマーリョが心臓病でドクターストップを宣言されてしまう。チームは急遽代役を探さなくてはいけなかったが、その時白羽の矢が立ったのがゼ・リカルドだった。彼はU−18の監督をしながらも、トップチームに上がった若手たちのコーチもしていた。
 
 こうして2016年5月29日、ポンチ・プレッタ戦で、名門フラメンゴの監督としてデビュー。2−1で勝利した。当初は数試合の中継ぎと思われていたが、彼は良い意味で予想を裏切り、そのままシーズンの終わりまでチームを任せられ、ブラジル全国選手権を3位で終える。ラマーリョが基礎を作ったチームであったとはいえ、ゼ・リカルドの手腕も素晴らしかった。

 2017年5月にはプロサッカー監督としての最初のタイトル、カンピオナート・カリオカで優勝。最終的には解任されるが、432日間、見事にブラジルの名門を率いて結果を出した。

 その後、かつてフットサルの監督をしていたバスコ・ダ・ガマに今度はサッカーのトップチームの監督として招聘され、2012年以来遠ざかっていたコパ・リベルタドーレス出場権獲得に導いた。

 2018年にはボタフォゴに移り、翌年にはリオを離れブラジル北部のフォルタレーサを率いるが、ここでは1か月で解任された。

 しばらくのブランクの後、2021年6月にカタールSCの監督に就任するが年末には解任、ゼ・リカルドは、もっと長くいるつもり海を渡ったため、がっかりしたという。

 ブラジルに戻ってきたゼ・リカルドはまたバスコに戻り、カンピオナート・カリオカでは準決勝進出を果たした。しかし、彼は突然チームの会長に辞表を提出し、皆を驚かせた。清水から声が掛かったからだ。

 バスコを去った背景には、彼の不安もあったとも言われている。バスコは最近、アメリカの777パートナーという会社が持ち株の60%を得てオーナーとなった。それまで何度も解任されている彼は、新オーナーにどのように扱われるか疑心暗鬼だったのかもしれない
 ゼ・リカルドは決して有名な監督ではない。しかし若いながらも多くの経験を積んでいる。南米だけでなくヨーロッパのサッカーの薫陶もうけている。2018年にはリオ州の最優秀監督に選出された。

 好んで使うフォーメーションは4-1-4-1。これは状況に応じて、4-3-3にも3-4-3にも変化させることができる。

「4-1-4-1は未来のシステムだと思う」と彼はよくインタビューで言っている。
 
 常に学ぶ姿勢を止めない人でもある。父が病気になってからは新聞スタンドで働きながら、大学の体育学部を卒業。教師の資格も持っていて、実際に地元の専門学校で、何度か教壇に立ったこともある。優秀な教育者であり、多くのユース年代のチームを任されてきたのもその証拠だろう。

「対戦相手を最大に敬う方法は、常に真剣に戦うことだ。それに今日の敵は、明日のチームメイトかもしれない。いつもこのことを念頭にプレーするんだ」

 それが彼の口癖だ。彼を知る誰もが、口をそろえて彼の人となりを褒める。温厚で真面目で、他者をリスペクトする。こう言った点は日本と非常に相性がいいのではないかと思う
 
 ロナウド、ロビーニョ、カカ、ネイマール…ブラジルのトッププレーヤーの多くがフットサル出身だ。フットサルで培ったテクニックが、役に立っているのだと言われている。ゼ・リカルドもフラメンゴを率いる際に、フットサルの経験が大いに役立ったと言っている。

 彼は数少ないサッカーとフットサル両方を指導することのできる監督だ。清水でも選手にフットサルの素養も教えることができたら、そのケミカルがチームに大いなるマジックをもたらすかもしれない。

文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子

【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/ブラジル・サンパウロ出身のフリージャーナリスト。8か国語を操り、世界のサッカーの生の現場を取材して回る。FIFAの役員も長らく勤め、ジーコ、ドゥンガ、カフーなど元選手の知己も多い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭をとる。

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