温泉街をスポーツ合宿の聖地に。“掛け替えのない空間づくり”に邁進する男の物語【日本サッカー・マイノリティリポート】

温泉街をスポーツ合宿の聖地に。“掛け替えのない空間づくり”に邁進する男の物語【日本サッカー・マイノリティリポート】

32歳で印刷会社から和倉温泉旅館共同組合に転職した吉田。スポーツを地域活性化に活かしている七尾市に、新たな息吹を吹き込んだ立役者のひとりだ。写真提供:株式会社石川スポーツキャンプ



 小さな地方都市をスポーツ合宿の聖地にしたい――。地域の多くの人々を巻き込みながら、託されたその使命に突き進んできた人物に話を聞いた。みんなの笑顔を活力にしながら、掛け替えのない空間づくりに取り組んでいるという。

――◆――◆――

 温泉街がスポーツとタッグを組む――。小さな地方都市のこの一大プロジェクトに深く関わることになる吉田泰は、「大変だから、面白そやな」と誘いに乗った。温泉旅館が集まる観光地に立派なスポーツ施設を建設し、宿泊客の減少に歯止めをかけるという話だった。
 
 前例がどの程度ある取り組みなのか、吉田は自力で調べ、あまりないようだと認識する。それなら挑戦してみるかと腹を括り、勤めていた印刷会社を退職して和倉温泉旅館協同組合の職員となったのが2009年のことだった。

 和倉温泉は日本海に突き出た能登半島にあり、開湯1200年と言われる名湯だ。この名湯を中心とする観光業は石川県七尾市(人口4万9676人)の中核産業だが、吉田が転職する前からカンフル剤を必要とする状態に陥っていた。石川県の統計によると1991年におよそ164万4000人まで増加していた和倉温泉の宿泊者数は、その後減少に転じ、2009年には87万5000人とピーク時から半減していたのだ。

 カンフル剤となるスポーツ合宿の誘致には、経済的な打撃の大きい旅館が中心となり、すでに取り組んでいた。問題はスポーツ施設が不十分だということだった。そこで2009年には和倉温泉の観光協会と旅館共同組合が七尾市に対して施設建設に向けた陳情を行ない、翌年9月にはFIFA(国際サッカー連盟)が公認する最上級の人工芝を使ったサッカーグラウンド3面、フットサルコート2面、クラブハウスなどを備えた公共施設の和倉温泉多目的グラウンドがオープンする。

 官民一体となり、地域の人々が多く関わるこのプロジェクトで、吉田が任されてきたのはスポーツ合宿やスポーツ大会(以下、「スポーツ合宿」と表記)を誘致し、その運営を全面的にサポートする総合窓口だ。2013年には独立した受け皿となる「株式会社石川スポーツキャンプ」を立ち上げ、合宿や大会の申し込みに対応し、宿やグラウンド、弁当の手配はもちろん、マッチメイクまで含めたワンストップのサービスを担っている。

 同じ2013年には和倉温泉街と橋でつながる能登島に人工芝のサッカーコート2面などが完成し、2015年には人工芝24面のテニスコートも近隣に整備されている。スポーツを地域活性化に活かしている七尾市に、新たな息吹を吹き込んだ立役者のひとりが吉田なのだ。 

◇   ◇   ◇
 
 山形県生まれの吉田が石川県民となったのは、小学1年生の終わり頃だ。吉田がサッカー少年だったこともあり、金沢市内に転居した。そこに全日本少年サッカー大会(現JFA全日本U-12サッカー選手権大会)の常連だった強豪少年団が存在していたからだ。以後、首都圏に暮らした大学時代を含め、石川県金沢市が吉田の地元と表現できる土地となる。 

 32歳でそれまで勤めていた印刷会社から和倉温泉旅館共同組合に転職し、4年後には株式会社を立ち上げ自身が代表取締役に。一貫してスポーツ合宿の総合窓口であり続けてきたとはいえ、最初の2〜3年は苦しい日々だった。当初は少なくない税金をスポーツ施設に投じる、地域振興策への不安の声も吉田の耳に入ってきた。金沢からやって来た“よそ者”で、自らの使命に“直球”だけで突き進んでいく吉田自身も、地域からの信頼を得ているとは言い難かった。

 スポーツ合宿に対応してくれる旅館も、当初は3軒だけだった。それが4軒になり5軒になりと右肩上がりで増えていくのは、吉田が牽引車となりスポーツ合宿の宿泊客を増やしていくからだ。当時の新聞記事など手元の資料によると、和倉温泉多目的グラウンドの施設利用者は2010年の6644人が、続く2011年には5万2206人に急増する。

 七尾市が2007年にスタートさせていた合宿費用の一部を助成する補助金制度の利用者も、初年度の1780人が5年後の2012年には2万人を超えている。コロナ禍に見舞われる前の2019年は、和倉温泉多目的グラウンドの施設利用者が年間約12万人、宿泊客も約5万人といずれも過去最多の数字を叩き出していた。補助金制度の競技別利用者はサッカーが85パーセント弱と最も多い。
 

 地域をより強く巻き込んでいくきっかけとなったのが、地元紙の報道だ。もともと宿泊客/交流人口(観光客)の減少に歯止めをかけるためのスポーツ合宿誘致であり、その効果が具体的な数字として紙面を介して周知されると、吉田に協力する人々が次第に増えていく。

「こちらからのいろんな注文によく応えてくれた、旅館や行政の皆さんには本当に感謝しています。スポーツ合宿の実績を着実に増やしていけたのは、石川県サッカー界の仲間たちが後押ししてくれたからです。県外のチームに和倉はいいぞと、みんな宣伝してくれていましたから」

 コロナ禍に見舞われる前までサッカー合宿の利用者は、高校生のチームがおよそ4割、中学生も4割で、小学生が1割とそれらの子どもたちで9割を占めていた。七尾湾に面した和倉温泉は風光明媚な自然環境を大きな魅力としている反面、交通の便が良いとは言い難い。吉田が積み重ねてきたのは、次回もここで合宿がしたいと満足してもらえるように、滞在環境の質を向上させていくことだった。 

「指導者が余計なことに気を使わず、指導に集中できるのが、たぶん子どもたちの成長にいちばんつながるじゃないですか」 

◇   ◇   ◇

 吉田は高校まで部活動でサッカーを続け、金沢で就職するとこの競技の指導者にもなった。最初は知人に頼まれ中学生たちの面倒を見るようになり、やがて自分自身で育成クラブを運営するほどのめり込む。指導者の目線で指導に集中できる滞在環境を作り、育成年代の選手の目線にもなれる経歴を持つ人物が、七尾市に浸透したスポーツ合宿の総合窓口を担っているということだ。

 滞在環境の質を上げ、維持していくために、吉田は心を砕いてきた。
 
「ひとつは食事です。たとえば懐石料理を楽しめる旅館にとって合宿メシは未知の領域です。なので旅館の関係者に向けた合宿メニューの講習会も開きました。練習や試合を終えた子どもたちの楽しみはメシ、風呂、布団です。旅館の方々にここだけはお願いしますと言い続けてきました。グラウンドでのサポートはわれわれが責任を持って対応しますが、旅館でのもてなしはお願いするしかありません。合宿に来てくれるチームは、どちらも良くて初めて良い遠征だったと思えます」

 スポーツ合宿にありがちなのは、味噌汁が冷めているといった食事についてのクレームらしいと、事前の視察などを通して吉田は知った。

「スポーツだから合宿だから小学生だから、この程度でいい。そういう妥協は一切したくない。これじゃあ腹一杯にならないとか、そういう話を聞けば、すぐに動きましたし、これからも動きます」

 入浴も大勢が集中すれば待ち時間が生じ、それだけ就寝時間も遅くなる。ユニホームやトレーニングウェアの洗濯もまたしかりだ。しっかり睡眠時間を確保できるよう旅館に掛け合い、利用時間を分散させるといった工夫をしてもらう。
 
 エアコンの故障で暑すぎる、眠れないと夜間に連絡が入り、他の旅館を何軒も回って扇風機を大量に借りてきたこともある。夏場であれば日によっては、熱中症対策に欠かせない氷が不足する。気温が上がりそうな日は事前に氷を確保しておき、吉田自身が配って回ることもある。
 
「一つひとつは細かいことなんです。でも、積み重ねていくと、指導者のいろんな負担が軽減されますから」

 吉田は合宿や大会の運営サポートを、「何でも自分に言ってください」と本気のその言葉で始める。どれだけ手間暇かかろうと、一つひとつのチームに寄り添おうと努めてきた。今後も効率を追求するつもりはない。同じ合宿はひとつもないからだ。チームによって事情も異なる。 

「事前にルールを決めておけば楽でしょう。でも、効率を良くすれば、そのしわ寄せで、指導者や子どもたちのストレスになってしまいかねません」

 マッチメイクにも神経を使う。

「大差がつくような試合になってしまえば、せっかくの合宿なのに、どちらのチームにとってももったいない。できるだけ拮抗した試合をさせてあげたいので」

 最近どの学校と試合をしていて、どんな成績か。徹底して事前にリサーチする。対戦相手の指導者が知り合いなら、どうでした? と電話で直接聞くこともある。それでもリサーチどおりにはいかないケースも少なくない。

「トップチームが来るのかどうかまでは分かりませんし、(主力が)何人か抜けて来る場合もありますからね」

 リサーチのための電話が、思いがけず集客につながることもある。え、あの学校が和倉で合宿? じゃあうちも行こうかな、というように。
 

 吉田は合宿運営のサポートを通して、子どもたちを伸ばしてやりたいという指導者たちの純粋な思いをひしひしと感じてきた。その熱意に応えられる滞在環境を整えれば、交通の便が悪くても、実際にリピートしてくれる。宿泊客が増えれば、旅館や民宿の人たちも喜んでくれる。みんなの笑顔が吉田の大きな活力となる。
 
「チームの強化にも、子どもたちの経験にも、地域の経済効果にもつながっているはずなので」

 吉田自身はサッカーグラウンドに自分も立ち、子どもたちの元気な姿を見守っているだけで、報われた気持ちになると言う。

「遠くから和倉まで来てくれて、一生懸命サッカーしているのを見るだけで、十分やり甲斐につながります。幸せやなって感じます」

 吉田が子どもたちの姿に重ね合わせているのは、少年時代の彼自身なのかもしれない。小学生の頃は試合のたびに、家族や親戚が応援に駆け付けてくれていた。

「自分の子どもがサッカーに打ち込んでいるというだけで、親の人生が大きく変わったりもするじゃないですか」

 ゴールを決めても外しても、勝利を収めても敗れても、泣いたり笑ったり感動したり、そこはいろんな感情の起伏をみんなで共有できる空間だった。
 
 きっと吉田は、スポーツならではの感情の共有を含めた掛け替えのない空間をつくりたくて、本気でこう繰り返してきたのだろう。

「なんでも自分に言ってくださいね」 

◇   ◇   ◇

 吉田が手掛ける空間づくりのひとつに、フットサルコートの運営がある。ひとりから参加できる「個サル」のプログラムには、未経験者用から上級者用まで5つのレベルを用意している。誰でも参加しやすい設定にしている原点は、吉田が高校1年生の夏休みにサッカー留学したブラジルにあると言う。

 吉田を含めた日本の高校生たちは、サンパウロを本拠地とする名門パルメイラスの練習生として迎えられた。初日から吉田が圧倒されたのは、サッカーに取り組む姿勢がまるで違っていたからだ。ブラジルの同年代の若者たちは、文字通り貪欲に上を目指していた。

 トレーニングマッチではCFの吉田にぜんぜんパスが回ってこない。強引に横取りすると、自分へのパスを奪われた味方のブラジル人から怒鳴られる。歴然としたキックミスのクロスを入れてきても、自分の非は絶対に認めない。むしろ、お前のポジショニングが悪いからだと吉田がなじられる。言葉は分からなくても、必死なのはよく分かる。プロになるための狭き門をくぐり抜けるために、なりふり構わず結果を残そうとしているのが全身から伝わってくる。

「コイツすげえなと思っていたヤツが、気付けばいなくなったりしてました。たぶん上のカテゴリーに上がったり、下がったりしてたんじゃないですか」

 徐々に勝手が分かってくると、吉田の闘争心にも火がついた。クロスに点で合わせて得点するパターンに自信を持っていたので、途中からはその形に持ち込もうと周りに強く要求もした。1か月の留学期間が終わりに近づく頃には、日本に帰りたくない気持ちが膨らんでいた。
 

 目の前の1対1にひたすら没頭できる、あくまでも勝利が目標で、そのためのプロセスは自由奔放なブラジルのサッカーが吉田の肌に合っていたのだろう。練習中は喧嘩腰でも、終われば嘘のようにフレンドリーに変貌するブラジルの同年代と、しのぎを削るのが楽しくなっていた。

 その一方で、ブラジルでは絶対に通用しないという自己分析もできていた。本気でプロを目ざしているパルメイラスの若者たちは、スピードだったり、高さだったり、展開力やドリブルやクロスだったり、これだけは絶対に譲れないと自負できる特長をそれぞれ持っていた。

 レパートリーの多さやオールマイティさのほうが評価されやすい日本の育成環境を中学以降の部活動で知っていた吉田は、次のように悟っていた。すべてが平均点以上でも、個性に乏しく、型にはまった選手が生き抜ける世界では到底ない。ブラジルでは「なんでもできる」は「なにもできない」に等しかった。

 王国と呼ばれるだけのことはあり、ブラジルではサッカーボールの転がるところに人が集まってくる。吉田を含めた日本からの留学生たちは練習以外の時間を持てあまし、下宿の近くにある大きめの公園やコンクリートの空き地で毎日のようにボールを蹴っていた。5〜6人で遊んでいると、自分も混ぜてくれと現地の人たちが吸い寄せられてくる。

 普通に上手いオジサンがいくらでもいて、華麗なヒールリフトや股抜きを成功させてはドヤ顔を見せつけてくる。和気あいあいと技の見せ合いをしているうちに、熱を帯びた勝負になっていたこともある。時間帯によっては近所の子どもたちも混じっていて、それはそれで大切な楽しい思い出だ。

 広場で繰り広げられる自由参加のサッカーが、高校生の吉田には心地良かった。ボールと空間さえあればいろんな人が集まり、飽きるまでその遊びが続くのだ。

 石川県内でフットサルコートの運営に携わるようになった吉田は、最初は少し不思議だった。日中はいろんな業種の仕事をしている人たちが、夜になるとスポーツウェアに着替えてひとつのボールを蹴っている。心のなかでこう呟いたこともある。この人たちが、ここにボールを蹴りに来るのは、なんでやろ。汗をかくだけなら、ジムでもいいのに。

 ふと甦ってきた記憶が、ブラジルの広場でのあの草サッカーだ。

「そういえば、お互いにポルトガル語も日本語もぜんぜん喋れないのに、みんな仲間みたいになって、肩を組んで一緒に歌を歌ったりしてたよな、って。見知らぬ人たちが集まって、ひとつのボールを介して仲間になれる個サルは、ブラジルのあの光景に似ているんです」

 ◇   ◇   ◇
 
 取材の最後に、吉田の「寄り添い方」への共感を伝えると、こんな話が返ってきた。共感はさらに深まった。 

「効率的にするのは、誰にでもできるというか」 

「手間暇をかけたもののほうが、やっぱり響くんですよね。もちろん時間をかければいいわけではないですが、真剣に考えた時間を人は感じるものなので」 

「人それぞれの味のある仕事もそうですし、生き方だってそうですよね」
(文中敬称略) 

取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)

【PHOTO】サポーターが創り出す圧巻の光景で選手を後押し!Jリーグコレオグラフィー特集!
 

関連記事(外部サイト)